10 第一の殺人
祐介と根来は、やはり東三に対するさまざまな疑惑が収まるということがなかった。一体、あの男は何を考えているのか、それさえはっきりすればこの不可解な状況はもう少し理解できるのではないか、という気がしていたのである。
「東三さんがどう考えているのか、一つ確認してみようじゃありませんか」
祐介はそう提案すると、根来や幸児、そして未鈴に至るまでその場にいた全員の賛同を得られた。
「確かに、東三さんが何を考えているのか気になりますね。でも、彼は今どこにいるのでしょう」
幸児が首を傾げたので、祐介は考えるまでもなく、
「とりあえず、東三さんの部屋に行ってみましょう」
と言った。
このようにして四人は、一階の廊下の一番奥にある東三の部屋の前までやってきたのである。すぐに祐介がドアをノックをする。しかし、中からの反応はなかった。ドアノブをまわしても鍵がかかっていて開かないのである。
「反応がねえな……」
根来はつまらなそうに言うと、何かに気づいて、扉の真下の床にしゃがんだ。
「なんだ、これ。血か?」
祐介は、その言葉を聞いて、その場でノックするのを止めると、根来の凝視している床に視線を落とした。
なるほど、床に何か赤いものがべっとりとこびりついている。それを拭き取ろうとした形跡はない。まるで返り血を浴びた人間が歩いた跡のような……。しかし、そのような血の跡はあくまでもそこだけで、そこから先の廊下には、ぴたりと消えて無くなっている。
「根来さん。これをどう考えますか?」
「何かあったとみるべきだな」
根来は祐介の顔を見ると、考えていることは同じと見えた。二人は決心をすると、すぐさまドアを体当たりしようと構えた。それを見て驚きの声を上げたのは幸児だった。
「な、何をしているんですか?」
「扉を壊そうとしているんですよ」
「ちょっと待ってください!」
幸児は慌てて止めたのだった。
「この館は、尾上家の所有物ですから……床に血がついていたぐらいで、ドアを壊そうとしないでください」
「しかしね、こちとら刑事の血が騒いでいるものでね……」
根来は、そう言うと鋭い表情でドアを睨む。それを見て、幸児はさらに慌てた口調で、
「なら、こうしましょう! 館の外側からまわり込んで、窓から室内の様子を覗いてみましょう。確か、この部屋には、外の庭園に出ることができる裏口があったはずです。窓から室内の様子を見て、何かよろしくないことが起きていたら、その時に、その裏口の扉を壊して中に入れば良いのです」
「しかし、もしも、その窓のカーテンが閉まっていたら……」
根来がそう不満げに言いかけると、
「根来さん。ここは尾上家の洋館ですし、床の血だけでは何かが起きている証拠としては弱いですよ。幸児さんの言う通り、まずは外側から覗いてみましょう」
と祐介がなだめたので、お前がそう言うんならしょうがねえな、と根来はつまらなそうに頭を掻いた。そして根来は未鈴に、ドアの前で東三が出てこないか見守っているようにお願いして、三人は玄関へと走って行った。
洋館の壁に備え付けられた街灯が煌々と付けっ放しになっていたので、三人が館の外側を走って、庭園側に回りこむことには造作なかったのである。
そして、すぐに東三の部屋の窓を見つけると、祐介と根来はすぐにそれに飛びついて、室内の様子を伺った。室内は電灯が灯っていて明るかった。そして、その部屋の奥の壁側にぐったりと倒れている人間の姿を見て、祐介は思わず息を呑んだのである。
それは腹を切り裂かれて、床に大量の血を噴き出した無残な男の死体であった。それは他でもない、白目を剥き出したまま苦悶の表情を浮かべて息絶えている、憐れな東三の姿なのであった。
「こ、こんな馬鹿な……!」
根来は悔しくて、誰ともなしに叫んだ。
するとその時、誰かが玄関の方から走ってくる足音が聞こえてきたので、三人は驚いてはっと振り返った。ところが、それは三人を心配して追いかけてきた未鈴なのだった。
「ねえ、どうしたの?」
「未鈴。この通りだよ」
震えた声で幸児は窓の中を指差した。祐介と根来は、未鈴には刺激が強いのではないか、と思ったので「しまった」と思った。未鈴は驚いて一瞬目を背けようとしたが、案外大丈夫なものらしく、かえってまじまじと死体を眺めていた。
「おい。あんまり見ない方がいいぞ」
根来はそう言って、裏口のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていて開かない。こうなったら……。
「おい。羽黒。この扉を壊すぞ」
「ええ」
根来と祐介は目を合わせると、二人で息を揃えて、何度もドアに体当たりをした。しばらくすると、そのドアの鍵がぐらついてきたので、無理矢理ドアを開けて、四人はそのまま室内へと雪崩のように侵入したのであった。
さて、この部屋の形は四角形である。見取り図を想像してもらいたい。その右側に廊下からの入り口があるとしたら、下側が庭園側の裏口となっている。ベッドは左側にあり、上の壁の近くに東三の死体が横になっているというような構図である。
根来と祐介は、しばらく無残な死体をまじまじと見下ろしていたが、根来はすぐに妙なことに気がついた。左側のベッドの枕元にある机の上に鍵が置いてあるではないか。これは、この部屋の鍵なのだろうか。だとしたら、おかしなことになりはしないだろうか。根来はすぐにその鍵を取って、右側の廊下へと通じるドアへと向かった。そこには、未鈴が呆然と立ち尽くしていた。それがあまりにも邪魔だったので、強引に押し退けると、未鈴は「ふにゃん」と言ってよろけた。根来はそこでさらに妙なことに気づいた。
ドアの内側のドアノブに小さなビニール袋がかけてあったのである。ビニール袋には固形石鹸の包みが入っていたのだが、なんでこんなところにかけてあるのだろうか。根来は不気味に思いながら、そっとビニール袋を横に退けると、その裏側でシリンダー錠の内側のつまみが横になっていた。根来はつまみを縦にひねってから、ドアを開いた。
根来は廊下側に出てから、机に置いてあった鍵を鍵穴に差し込んで、これが部屋の鍵であることを確認した。
根来はこれを知ると鬼のような顔をして、部屋に戻ってきた。
「羽黒。そいつらを今すぐ外に出すんだ! これは殺人事件だぞ」
祐介ははっとして、幸児と未鈴を室外に出るように促した。
「これはまずいことになりましたね」
「ああ。それだけじゃねえ、この鍵を見てみろ」
「ええ、そのこともまずいんです。鍵は部屋に一つずつしかない。そして、その鍵はまぎれもなくこの部屋の鍵です。そして、この部屋の二つのドアはどちらも施錠されていたと見える」
「お前も気づいていたか」
「ええ、これは密室殺人ですね」
そして、祐介と根来は、血まみれの死体を見下ろした……。一体ここで何が起こったのか、そして、これから何が起ころうとしているのか、二人は予想もできなかったのである。
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