海王と海の聖女
なつき
還流の神殿
第1話 晴天の霹靂
蒼い海。果てしない海。どこまでも続く晴れの海。遠く高くから光を注ぐ太陽と大きな雲達が浮かび、小波しかない穏やかな海。
その海を。一隻の大型帆船が追い風を受けて進んでいる。舳先で静かに波を切りあまり早くは無いがそれでもまっすぐに進んでいた。この船は外洋航海の貿易船。珍しい交易品を積んで海を西東。海から海へと駆け抜ける冒険の船だ。
「……覚悟は出来ています。ラインバルトさま、一息でお願いいたします……!」
……そんな貿易船の甲板で。十六歳ぐらいの乙女が一人、眸を閉じて震えながら正座していた。
肩を越える程に伸ばした艶やかな黒髪に瑞々しい柔肌、そして『一枚の白い蛇革ローブ』が目を引く、異国情緒の溢れるとても可憐な乙女だ。
彼女の名前は『
「……いや、無理だぜハルカちゃんよ」
そんな彼女の前で、一人の壮年が胡座をかいてインクのついたペンを片手に呻く。短いブラウンの髪に同じ色合いの無精髭、そして灰色のロングコート姿の中々筋肉質な壮年だ。
彼の名前は『ラインバルト』。二十数年漁師をやってきた元漁師で海賊崩れ、そして今はこの船の船長をしている。
「……な、何故ですか……?」
ぱっちりと涙を湛えた双眸を開くハルカ。くりっとした丸みある眸は透き通った黒色で、見る者全てを惹き付ける力があった。
「……いや、ダメだ。魔法の文字を身体に刻むなんか絶対ダメだ」
そんな眸で見られても、ラインバルトは沈痛な面持ちでかぶりを振る。
「……お願いいたしますラインバルトさま。私の身体に私が指定した魔法文字を刻んで下さい! そしたら海賊にさらわれても安心ですから!!」
とある魔法書のページを指差して要求する彼女。
「いやそれ刺青みたいなもんだろ?! ダメだぞ、年頃の女の子が身体に傷をつけたら!!」
それに対して、ラインバルトは立ち上がりながら毅然とした態度で言い返す。どうやら彼女、昔海賊にさらわれた事を気にしていて。次はさらわれても抜け出す方法を考えていたらしい。
……そして行き着いた解答が刺青というのが困るところだ。
「……うぅ。せめてローブに刻めば何とか……」
なおもしつこく食い下がるハルカちゃんに、
「ダメって言ったらダメだぞ。だいたいハルカちゃんのローブは皮膚じゃねーか」
ラインバルトは全力で否定した。実は彼女、オニヘビという人語を解する大蛇の種族の亜人で。うまく変身し皮膚はローブに変えて誤魔化しているが元の姿は白い身体の蛇だった。
「……それにな。あんまりそんな事するとな、ハルカちゃんの兄ちゃんに俺が殺されかねないんだよ」
ぶるりと震えて。ラインバルトは脅えた。彼女――ハルカの兄貴は『ユウキ』といって、オニヘビ種族の中でもかなり能力の高い存在でさらに妹を溺愛しており。彼が妹の怪我が原因で暴れている姿を見ていたのでラインバルトにとっては色々と恐い存在だった。もっともな話、義侠心は厚いし話の判る存在だから、いきなり怒る事は無いだろう。
……ハルカちゃんが関わっていない限りは、だが。
「しかし今日は良い天気だなぁ」
雲と雲の間から光を降らせる太陽を眺め、ラインバルトはゆっくりと伸びをする。太陽の光が心地よいからか、同時にあくびも出てきた。海も高波が無い凪に近い海でさざ波が静かな音色を奏でているばかりで、本当に良い天気だった。
「そうですね、良いお天気です♪ よろしければ特製ライムドリンクでも作りましょうか?」
同じように彼の隣に並び、笑顔で両手を合わせるハルカ。
「あぁ。頼むわ。俺は見張っているから」
「はい。了解です
うきうきと弾むような軽やかな足取りで、船内の食堂室に向かうハルカちゃん。
「相変わらず、良い娘だな。ハルカちゃん一人いたら船旅は何とでもなるな」
その姿を見送りながら、ラインバルトは微笑んだ。
「……だからこそ、だ。早いとこ仲間を見つけてハルカちゃんの負担を減らさないとな……」
ラインバルトは船の縁に身体を預けながら呻く。
そう。今現在はずっと二人旅なのだ。この帆船はハルカちゃんのお兄さんのツテで二人でも操れる帆船にしてもらったが……なにぶん船員不足は否めない。
現在のハルカちゃんの仕事量は海の白魔導士としての本業――『浄化魔法を使って新鮮な真水と食糧の管理』それに加えて航海士や船医、果ては料理人までやっている……。彼女の負担はかなり高いはずだと、ラインバルトは唸る。
(……このままじゃ過労で倒れ兼ねないからな……。まずは料理人、それから航海士とか船医とか……あぁそうだ。船番の戦士も確保しないといけないかも知れないな)
空を眺め、ラインバルトは双眸を細める。優しくて速い海風が駆け抜けて、この前停泊中にハルカちゃんが見立てて買ってくれた灰色のロングコートをなびかせた。
そして。矢のような影が疾走してきたのはそんな時だった。
◇◇◇
「ふふふん、ふんふんふ~ん♪」
上機嫌に鼻歌を唄いながら。ハルカは蒸留した糖蜜酒に輪切りのライムを絞り、ソーダと砂糖を少々入れて。小樽の中でマゼラー棒を使って静かにステアする。
「これで特製ドリンクの完成です♪ ラインバルトさまはお酒が強いから蒸留酒でも安心ですね♪」
満面の笑顔で最後に「ありがとうございます」という食材に対する感謝の言葉に体力回復の白魔法を織り込みながら、特製ドリンクの完成を喜ぶハルカちゃん。もちろん喜ぶ理由は、ラインバルトの笑顔を思い浮かべてだ。マゼラーについた滴を指で掬い一口味見して、程よい甘さとライムの酸味が効いているそのドリンクの出来の良さにうっとり。これならラインバルトさまも喜んでくれそうだと。食糧庫の管理日誌に使用した食糧を書き込みつつ、ハルカはご機嫌になる。
「真水は大樽が二十荷。食糧も――特に果物の生鮮食品類には今朝から浄化魔法をかけているので鮮度は大丈夫ですね。これならしばらくの間航海出来るはずです」
管理日誌を眺めつつ、ハルカはライムの種を別の皿に残しながら満足気に頷いた。
「……しかし今は仕方ないですが……ラインバルトさまに負担が多くなっていますね?」
ハルカは自分が飲むアルコール無しのドリンクを作りながら、ため息を洩らす。
「ラインバルトさまは船長として航海の指揮や力仕事、それから海で鮮魚等の食糧確保に見張りや当直も行っていますから……かなり辛いですよね。何とかできませんかしら……?」
ゆっくり小樽の中を混ぜながら、ハルカは首を傾げる。しかし……羨ましい事に以心伝心な二人だった。申し開いた訳でも無いのにこれである。ちょっと嫉妬しそうだ。ハゲろ、足の小指を角にぶつけちまえ、そしてそのままハルカちゃんに治療されながら結婚して末永く幸せになってくれやがれラインバルト、とか言いたくなる。いやホントマジで、割と率直に。
「早く仲間が欲しいですね。特に海上戦の出来る戦士が今一番かも知れません……。ラインバルトさまも私も、戦闘能力は無いですから……」
むむむ……と眉をひそめるハルカ。
船体に巨大な衝撃が走ったのは、その時だった。
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