Part29 兄
藤原先輩とは、校門を出てすぐに分かれた。
学校から出ると冷たい風が皮膚を切り裂くように吹き付け、一緒に眠気も飛ばしてくれた。
「まだ人がいるだろうから、一旦、家に戻って出直そう」
と、ミライが提案した。
家に帰るまでの間、ミライとはちょっとした話をした。
ブラッド粒子ともクロスブラッドともリアライバルとも関係のない、何て事のない、趣味とか好きなものの話だ。
俺たちの未来については興味が沸いたが、既に人類の進歩は頭打ちだったとミライは言っていたし、何よりリアライバルに壊された世界を、ミライはなるべくならば思い出したくないだろうと考えて、話題にはしなかった。
もっぱら俺の事を話した。
昔から、両親が共働きで、余り一緒にいなかった事。
母さんが外に働きに出ている間、父さんは家に併設された道場にいたが、年齢や病気の事もあって俺には空手を学ばせようとはしなかった。子育てというのも苦手だったようで、それくらいの歳の子供がみんな見ていたであろうヒーローもののビデオを見せてくれた。
病弱な上に、気弱な俺は、小学校でも友達が少なく、多くの子たちが経験するであろう他所の家に上がり込んでゲームをしたり、何人かでつるんで用水路でザリガニを釣ったりという事はしなかった。
「妙に具体的だな。ザリガニって……」
――メジャーな遊びじゃないの?
「……まぁ、釣り具なんてのは小学生同士で遊ぶにしては、過ぎた玩具だからな。駄菓子屋でスルメイカでも買って、枝の先に巻き付けた糸に吊るして……って感じ?」
――だから、俺はやった事ないってば。
そういう話を、聞いた事があるだけだ。漫画で読んだのかもしれない。
そんな訳で、俺は価値観の切り替えが巧く出来なかった。本当ならば適当な年齢で卒業するのであろうヒーローものが、いつまでも好きで――別に今になって玩具をねだったりはしないが――、ヒーローを追うのと同じ感覚で少年漫画を、ヒロインにドキドキするようにラノベやアニメを見たりはするが、根底にあるのはヒーローへの憧れだ。
スポーツにも、勉強にも、グルメにも、芸術にも特に見向きもしないで、ヒーローが戦う姿だけを、楽しみにしていた。
「小説家の例えは、あながち間違いじゃなかったかもな」
昼間の話だ。
「本を読んで知識を蓄えるのは、自分の想像力を豊かにする為だろ? その想像力で、お前はヒーローと一緒に並んでいる訳だ」
――並んでなんていないよ。それに、想像なんてのは綺麗な言葉過ぎる。俺には妄想で充分だ。
想像は、創造だ。
何かを創り出す為のエネルギーである。
でも妄想は、何かを生み出したりはしない。
想像は現実に影響を与えるが、それをしてはいけないという気持ちで自分の心に臨んでいる俺は、妄想の達人でしかない。
自分でも巧く説明が出来ないのだが……ともあれ、俺の中では想像と妄想は分けて考えられるべきものであり、妄想は想像の下に置かれるべきなのだ。
「そんなに卑屈になる事もないだろうに」
ミライが苦笑した。
俺も、卑屈になり過ぎているという事は分かっている。だから、ミライの言葉は、俺の本当の気持ちを読んだ上でのものだろう。
――ちょっと、懐かしいな。
「何が?」
――あんたが、俺の心を……記憶を読めるなら、分かると思うけど……それに、あんたが他の誰かにこの事を話したり出来ないから言うけど……俺、昔は兄ちゃんがいたんだ。
「お兄さん?」
――本当にいた訳じゃないよ。俺は最初からずっと一人っ子さ。だから、その、何だろう……。
「イマジナリーフレンドっての? 想像上のお友達……」
――ああ、それそれ。俺の場合は、兄ちゃんだったんだ。
何で兄だったのかと言うと、幼少期の、何でもないやり取りの所為だろう。
父さんの道場を、東京の知り合いが訪ねた事があった。その知り合いは父さんに息子がいた事を、この時に初めて知って、父さんも俺を紹介した。
その人に、言われたのだ。
“跡継ぎさんですか! 良いなぁ”
そんなニュアンスだった。
俺も空手をやって、館長である父さんの跡を継ぐものだと思われたのだ。
父さんにはそんな気持ちは――俺が言い出したなら兎も角――なかったのだが、似たようなやり取りが何度か繰り広げられた。
近所のおじちゃん・おばちゃんや、子供を道場に通わせる親などから、俺が父さんの下で空手をやっていると、勘違いしたのである。
俺は、その頃には自分の身体が弱い事は分かっていたし、空手の稽古を見学してその迫力にすっかり怖くなってしまっていたから、自分がその一角に加わる事が嫌で堪らなかった。
だから、独りでテレビと向かい合っていなければならない寂しさも加わって、俺以外に父親の跡を継げる身近な誰かを想像し、周囲の人間の期待から逃げるしかなかったのだ。
道場は別に世襲制じゃなかったので、父が一言言えば周りの人の誤解は解けた。しかし俺は、父と言葉を交わす事自体が少なかったので、昔の印象を抱いたまま、俺の嫌な事を肩代わりしてくれる兄を空想していた。
――こうやって、口に出さずに言葉を発して、あんたと話していると、その兄ちゃんと一緒にいた頃を思い出す……。
「そうだな……今の俺は、お前にとっちゃイマジナリーフレンドみたいなものだ」
他の誰の眼にも映らず耳にも聞こえぬ、俺だけに見える空想上の兄。しかも彼は、俺の身体を使って人を虐めから助け、難しい教科書の問題を解き、あまつさえ怪物と戦うヒーローにした。
――考えてみれば、安い妄想だ。
本当はミライなんて精神体はおらず、リアライバルもブラッド粒子も俺の妄想で、平坂先輩の事は見て見ぬ振りをし、体育の時間はバスケットボールをぶつけられて怪我をした。
それが現実である世界も、存在するのだろう。
「ま、幸か不幸か、俺の存在は兎も角、お前が直面した出来事は全て、現実だがな」
ミライは兎も角……か。
他の事が、妄想のようでいて現実であるなら構わないが、しかしミライが妄想でしかなかったとすると、それは一番困るかもしれない。
――しかし……ああいう事は、親から教わりたかったな。
「勉強の話?」
教育には、勉強という箱の中身が伴っていなければならない、という話だ。
――うちの両親は、別に勉強しろ勉強しろってうるさい人らじゃなかった。宿題はやったのか? くらいは訊いたと思うけど。でも、勉強をやる意味を教えてくれる事もなかった。だからミライが言ってくれなければ、俺は、勉強する意味について、考える事はなかったと思う。
いや、例え考えるようになったとしても、親がその理由にはなる事はないだろう。
「仲良くないのか? 両親と。そうは見えなかったが」
――そんな事はないよ。普通に接する分には、文句ないさ。大学までは学費の面倒も見てくれる……っていう話もしてるしね。
「でも、そこまで好きな訳じゃない。嫌いなのか?」
――嫌いとも違う。好きじゃない訳じゃないし……ただ。
ただ、これもやはり、巧く言うのが難しいのだが。
父から、何かを教えて欲しいと、俺は思った。
母に、何かを学びたいのだと、俺は感じていた。
それこそ、どうして勉強するのか? しなくちゃいけいないのか? という事について、ミライが言っていたような事を、両親の口から聞いて、勉強を頑張ろうと思えるようになりたかった。
――我儘かな、これは。
何不自由なく生活させて貰った上で、こんな文句を付けるのは……。
ミライは少し考えた後、
「親も人間だ。完璧じゃないからな。お前が望む事を、全てしてやれる訳じゃない。特に、後からこうならば良かったと思う事はな。……ただ、それはお前も同じだ。お前も完璧じゃない。どれだけ良い生活をしていても、人の心まで自由にはならない。それくらいの我儘を、俺のようなのに言うくらいは構わないだろうさ」
と、俺の頭に手を乗せながら、言った。
やっぱり、その手の感触はなかったけれど、俺は昔のように、空想の兄に頭を撫でられたような気がして、ちょっとだけ嬉しかった。
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