Part10 ヒーローになるんだ

 怪物の爪が、俺の頭部に迫る。


 その時だった。


 俺の額に、もう数ミリ落下すれば喰い込むと思われた爪の前に、光が生じた。

 何処から現れたのか分からない光だ。


 俺の眉間の位置から生じた光は、瞬間的に大きくなり、俺は眼を瞑った。だが瞼を透過して脳に突き刺さる光は、俺に頭痛を引き起こさせた。視界ばかりが、脳までが真っ白に染め抜かれるようだった。


 それは、あの怪物も同じだったらしい。光が治まったのを感じて眼を開けると、怪物は俺から数メートル距離を取って、校庭の真ん中まで移動していた。


「聞いてくれ、朔耶」


 俺の傍から、声がした。


 白黒の明滅を、まばたきで払い落とそうとする俺の前に、その人物がしゃがみ込んでいた。


 白い服を着た男だった。服と言っても、身体にぴったりと密着した、タイツのようなものだ。白いタイツの表面に、赤いラインが刺繍されており、肩や腕、膝、脛などに薄手のクッションを取り付けている。


 年齢は、二十代の半ばくらいだろうか。


 コスプレの類にしか見えないのだが、しかし、その服装よりも気になった事がある。


「俺の名はミライ。朔耶、君たちの時代は今、最大の危機に晒されようとしている」


 へたり込んだ俺の傍に跪き、俺の肩に手を掛けるミライと名乗る男。

 その身体は透けており、彼の向こう側の校庭や怪物の姿がはっきりと見えていた。

 俺の肩に乗せられた手も、質量を感じない。


 ミライはしかし、俺の驚きなど配慮していないように、話を続けた。


「急げ朔耶! そのクロスピナーにリバーサルメダルを装填し、俺と共に戦ってくれ!」


 クロスピナー?

 リバーサルメダル?


 訊き返そうとした俺だったが、その時既に、俺は左手に、いつの間に持っていたものか、見覚えのない折り畳みの携帯電話にも似た何かを握っていた。


 分厚いカバーと、薄めの台座部分が、軸で繋がっている。カバーの表面には円形の窓が開いており、側面には円錐台形の突起が確認される。


 そして右手にも、やはりいつの間にか、見知らぬものを握っていた。ずっしりと重いメダルだ。片面が黒で、中央に星のようなマークがあり、もう片面は赤色をしていて人間のバストアップのシルエットが描かれていた。


 このメダルが、ミライの言うリバーサルメダルならば、この携帯電話のようなものはクロスピナーなのだろう。


「奴はリアライバル、ブラッド粒子の暴走が引き起こすソウルリバーサル現象によって人間が変化してしまったものだ。早くしないと戻れなくなる。今、あの人を救う方法は、君と俺とが力を合わせる事だけなんだ!」


 ミライが肩越しに怪物を振り返った。


 彼が何を言っているのか分からない。しかし奇怪な現象の――怪物を始め、半透明の男と、知らぬ間に持っていた不思議なアイテム――連続に、俺の恐怖がぶり返して来た。


「あ……あのっ……そのっ……」


 俺は怪物に追われていた時以上に動転して、全身を震えさせた。激しい動悸によって、暫く治まっていた発作が再発したように、何度か咳き込んでしまう。


 だが、ミライが次に発した言葉によって、その動悸がぴたりと治まった。


「ゆくぞ朔耶。ヒーローになるんだ!」


 ヒーロー……

 俺の幼い頃の、憧れだ。


 ブラウン管の中にしか存在せず、けれど確かに、幼い頃、彼らは俺の傍にいた。


「叫べ! “重装じゅうそう”だ!」


 ミライの言葉に突き動かされるようにして、俺は、震えながらも動いていた。


 ミライの半透明の手が、俺の左手に重なり、クロスピナーを操作させる。台座面のボタンを押すと、クロスピナーは自動で展開した。カバーの内側にも半透明のカバーがあり、これが跳ね上がると、メダルの厚さと同じ幅の窪みが出現する。


 その窪みから、メダルはクロスピナーの中に呑み込まれた。


 クロスピナーを再び閉じて、側面の突起をひねる。するとメダルを受け入れた部分がカバーの中で回転し、窓にメダルの模様が浮かび上がった。


「じゅ……」

「重装だ!」


 俺は、ミライが言ったのと同じ言葉を、繰り返した。


「重装!」


 咽喉が張り裂けんばかりの叫びで発せられたキーワードを受けて、クロスピナーなるデバイスが起動した。


 窓の部分から光が漏れる。掌に伝わる振動は、クロスピナーの内部でメダルが回転する事によって生じるものだった。


 縦に回転し、表と裏を交互に窓の外に見せ付けるメダルは、次第に回転速度を上げてゆき、両面の模様が同じ空間に重なって見えるようになった。そしてこの窓から発生した光が大きくなって、俺の身体を包み込んでしまう。光と言っても、それはメダルの両面が見せていた光沢と同じ、赤と黒の光だ。


 二色の光は螺旋を描いて俺の全身に絡み付いた。


「これ、どうなって……」


 俺はミライの方を見た。しかし、もうそこにミライはいなかった。俺の視界さえも、赤と黒の光に遮られる。全ての景色が俺の前から消えて、そして俺は自分がいる場所さえも分からなくなった――






 飛鳥朔耶の身体が、クロスピナーの発する光に覆い隠されると、ミライ言う所のリアライバルは威嚇するように唸り声をあげ、そしてそれまで朔耶がいた場所へ突撃してゆく。


 校庭の砂利を蹴り上げて接近する不気味な怪物は、その巨体を用いて、朔耶を押し潰そうとするかのようであった。


 助走が即ち威力となって、リアライバルは学校の壁面に激突した。リアライバルは既に、その身一つで昇降口のガラスの扉や、教室の壁を突き破っている。中学生の少年一人、圧殺する事は訳もないだろう。


 だが、大きな土煙こそ校舎の前に吹き上がり、割れたガラスの破片が教室に入り込み、巻き起こった風がただでさえ荒らされた室内の机や椅子を弾き飛ばすも、リアライバルが壁を砕いた時のような音はしなかった。


 砂埃がゆっくりと晴れてゆく。この時、リアライバルは校庭へ向かって後退してゆくのであったが、それがどうやら自分の意思ではないらしい。


 校庭と校舎の間に、コンクリートの通路がある。そのコンクリートを爪で引っ掻きながら、リアライバルは反対側から押し出されているようなのだ。


 その後肢が、コンクリートから校庭に戻された時、


「ふんっ!」


 と、土煙の中から鋭い、しかしくぐもった声が放たれた。


 刹那、リアライバルの巨体が宙を舞い、校庭の中央に着地する。


「ごぅっ!」


 ここで初めて、リアライバルは声らしい声を上げた。その咆哮は、少年の生命を脅かす時には放たなかった威嚇の声だ。自身の身を守るべく発する、明確な敵意の含まれた声である。


 その前に、砂埃を払って歩み出る者があった。位置から考えてそれは飛鳥朔耶少年に他ならないのであろうが、彼を知る者がそこにいれば、決して朔耶少年と認識する事はないだろう。


 リアライバルの爪が付けたコンクリートの通路の傷をなぞるようにして、ワインレッドに輝く鉄のブーツが歩いている。


 全身を、黒いボディスーツと、グラデーションが施された深紅のプロテクターで固めた怪人が、校庭に降り立った。


 赤黒いヘルメットの正面には、角張った三日月状のバイザーが被さっていた。このバイザーの奥に、リアライバルを睨み付ける鋭い眼のようなものが浮かび上がっている。


 腰にベルトを装着しているが、左側のサイドバックルには、朔耶がミライに命じられて使用したクロスピナーがマウントされていた。


 ワインレッドの怪人は、右手を見て拳を作り、左手を持ち上げて拳を作った。そして両手を開いて握るのを何度か繰り返して、


「良し! 成功だ!」


 と、顔を上げた。

 その声は、朔耶が聞いたミライのものであった。


 ミライの声で話すワインレッドの怪人は、リアライバルを真っ直ぐ見据えると、広げた両手を前に出して、腰を浅く沈めた。


「ゆこう、朔耶。あの人を助けるんだ! 俺たちクロスブラッドの力で!」


 ワインレッドの怪人――クロスブラッドに向かって、リアライバルが飛び掛かった。

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