ドス黒なずみ童話 ④ ~どこかで聞いたような設定の少女の失踪~【なずみのホラー便 第43弾】
なずみ智子
ドス黒なずみ童話 ④ ~どこかで聞いたような設定の少女の失踪~
――整理しなきゃ……きちんと整理をするべきだわ。
イモージェン・ウィルキンソンは、ペンを取った。
手元の蝋燭の灯りだけが頼りの部屋の中、ペン先をインクに浸すかすかな水音ともに、イモージェンの額にじわりと汗が滲む。
吐く息はこれ以上ないほど重く、歯はしっかり磨いたはずであるのに、まるで獣のごとき生臭さまで自身の鼻腔に届けられた。
考えたくない。
けれども考えて、きちんと整理しなければならない。
叔母の経済的援助のもと、町の学校に通うことができたイモージェンは、一通りの読み書きはできる。
ペンを握るのだって、今夜が初めてというわけではない。
しかし、震えるペン先は、ざらつき黄ばんだ紙の上をのたくり始める。
――――――――――――――――――――
アーニャ・キングストン失踪事件
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最初の一行目を書いただけで、イモージェンの胃がキリキリと痛み出す。
”いつもの”お使いの途中、10才の美少女アーニャ・キングストンが失踪。
白昼堂々の失踪。
母親手作りの赤い頭巾がお気に入りのアーニャ・キングストンは、この村の皆に「赤ずきんちゃん」と呼ばれ可愛がられている。
これ以上ないほどにパッチリとした瞳は長くて濃い睫毛に縁どられ、きらめく金髪に赤い頭巾をかぶり、ひざ丈のスカートからは真っ白でツルツルのふくらはぎをのぞかせている可憐な”赤ずきんちゃん”。
彼女は、いつも土曜日の午後に、葡萄酒と焼き立てのパン、そしてお花を持って森の中にある一本道を通り、自身のおばあさんが1人で住む家へと足を運んでいる。
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白昼堂々のアーニャの突然の失踪には、以下の可能性が考えられるであろう。
【1】 アーニャは、森の中で狼などの”言葉通りの獣”に襲われてしまった。
⇒ だが、それには食い散らかされたアーニャの肉片や髪の毛、血に染まった服の切れ端、獣の毛が残っていなければならない。そもそも、”アーニャの大部分”を狼が自分たちの巣へと持ち帰るとは考える者は少ないであろう。絶対にその場で食い散らかすはずであると。
それに、半死状態の獲物を自分の巣へと持ちかえる習性のある熊の目撃情報なども、自分が知る限り一切ない。
【2】 アーニャは、森の中で事故に遭い、怪我で身動きができない状態、あるいは既に死亡。
⇒ アーニャが通る一本道は、時折、町からの馬車が通ることもあり、きちんと人の手によって整備されている。彼女の祖母であるアビゲイル・アシュレイの家は、その中途地点にある。一本道を外れ、森の奥へと踏み込んでいったなら、危険な沢や崖にだって突き当たるであろう。
しかし、アーニャは、”焼き立てのパン”を持って祖母の家へ行くのをとても楽しみにしている。彼女が一本道を外れ、途中で道草をする可能性は極めて低い。
【3】 アーニャは、自らの意志で失踪した。
⇒ 考えられる数々の可能性の中では、これが一番有り得ないと皆は思う。
大人の女ならまだしも、アーニャはまだ10才の子どもだ。彼女を支援する者がいるならまだしも、子どもが1人で暮らしていけるだけのお金を持っているはずも、貯め込んでいるはずもない。
慎ましやかな彼女の両親、キングストン夫妻にかなりの額の貯蓄があった仮定として、アーニャがそれを無断で持ち出したという更なる仮定をしない限りは……
【4】 そもそも、アーニャは祖母の家へなど向かっていなかった。
⇒ アーニャは、自宅を出ることはなかった。彼女は自身の家の中で、親からの躾と称する虐待や不慮の事故などによって死亡。キングストン夫妻は、死亡した一人娘の遺体をどこかへ隠した。
キングストン夫妻は嘘をついている?
皆が、アーニャの捜索に――生きていると信じたいアーニャの捜索に気を取られている間に、2人でアーニャの遺体をどこかに遺棄。
しかし、キングストン夫妻の評判や普段のアーニャへの態度を見ている限り、虐待などはあり得ないと皆は考える。
それに、アーニャが自宅を出て、祖母の家へと向かったのは確実であるとする目撃者(証人)は、少なくとも2人はいるであろう。
祖母へのお土産の葡萄酒は自家製の葡萄酒であるも、アーニャはいつも自宅から近い花屋、パン屋の順で買い物をしている。
・1人目の証人……花屋のレベッカ・エリン
美しい花で生計を立てているのに、本人はずんぐりむっくりで相当に不器量なうえ、愛想までもないオールドミス。いつも不機嫌な彼女は、小さなお得意様でもあるアーニャにだって笑顔の一かけらすら見せないであろう。
彼女は子供嫌いというか、そもそも人嫌いであるのだ。それなのになぜ、よりにもよって接客業をしているのかは、村の皆はとっても不思議がっている。
極限まで愛想がないも、愛想がないからこそ、わざわざ嘘を――「アーニャはいつものように、うちの花を買っていったけど」などと言うとは誰も思わない。
・2人目の証人……パン屋のジェシー・テンプル
花屋のレベッカとは正反対なほどに愛想が良すぎる細身の中年男性。ちなみに既婚者で5才の男児の父親でもある。
小さなお得意様のアーニャのために、毎週土曜日は彼女が店に顔を出す時間を合わせて焼き立てのパンを用意していることは、村の皆が周知の事実だ。可愛いらしいアーニャのために、時々、バターやピーナッツクリームまでも、ニコニコして”おまけ”しているらしい。
もしかしたら、”良からぬ気を起こした彼”がアーニャを店舗内に監禁し……といった疑いの目を向ける者もいるでだろう。
【5】 けれども、森の中をルンルンと歩くアーニャの目撃者が複数、現れる。
⇒ 隣町より、私たち家族が暮らす家へとやってくる叔母シルヴィア・パグリッシ、伯母の娘であるメリンダ・パグリッシ、そして彼女たち2人が乗る馬車の御者ウォルター・アーツ。
叔母のシルヴィア・パグリッシは、若い頃は劇場の看板女優であったほどの美人であり、その美貌には身内ながら今現在もため息がでるほどだ。この村の女は、誰一人として叔母の美しさにかなうものはいないであろう。
私が分不相応な町の学校で読み書きを教わることができたのは、その美しさによって町の富豪に見初められて結婚した彼女の経済的援助のおかげでもある。
それだけでなく、病に冒された私の父(叔母にとっては義兄)までも、経済的に気にかけてくれている。
私の従妹でもあるメリンダ・パグリッシは、ちょうどアーニャと同じ10才。
メリンダは母譲りの美貌を誇る少女だ。
アーニャにも負けないぐらいの美少女というか、垢抜け洗練されているという点ではアーニャよりも勝っている。
推定年齢30代前半の御者、ウォルター・アーツは、体つきこそガッチリしているも、いつも眠そうな目をしていており、全体的に覇気というものが感じられない。
さらに言うなら、彼は生まれつき、口をきくことができない。けれども、他人が話していることはしっかり理解しているし、主人の命令には忠実に従うとの叔母シルヴィア談だ。
【6】 となると、アーニャは無事に、祖母アビゲイル・アシュレイの家に辿り着いたものの、祖母の家で何らかのトラブルが発生し死亡。
アビゲイルは、アーニャの遺体をどこかに埋めるなどして隠したうえで「アーニャは今日、ここには来ていません」と皆に、真っ赤な――まるでアーニャのずきんの色のように真っ赤な嘘を告げている。
⇒ この【6】の説も可能性は低いと思われる。
アーニャの父方の祖母であるアビゲイル・アシュレイは片足が不自由であるのだ。
不自由と言っても日常生活が困難なレベルではなく、足を少し引きずるぐらいであるらしいが……
聞いた話では、アビゲイル・アシュレイは30代の頃、近所の子どもを暴走する馬からかばい怪我をして、後遺症を負ったとのこと。他人の子どもを、自らの身を顧みずに助けたこともあり、彼女を”積極的に”悪く言う者は村ではまずいない。
何より、彼女はもう”おばあさん”なのだ。片足が不自由であることに加えて、老体で子供とはいえアーニャの遺体を1人で遺棄するのは難しいであろう。
【7】 けれども、アビゲイル・アシュレイに協力者がいたとしたら?
⇒ 第一候補者として、猟師サム・グラディスの名前がまずあげられるであろう。
推定年齢40代前半の彼は独身で、村の猟師たちの集まりにも参加せずに一匹狼を貫いている。
その身なりにも清潔感はない。
お決まりのように素行も良くなく、酒好きのうえ、町の娼婦に入れ込み、有り金すべて巻き上げられたとのことが数回あるとの話だ。常に金に困っているサム・グラディス。
いわば変わり者であり、村のはみ出し者でもある。
銃を手に森の中をプラプラしていた彼が、偶然にアビゲイル・アシュレイの家を覗き込み、アビゲイルに金を積まれて孫娘の遺体遺棄を頼まれたのだとしたら……
【8】 いや、猟師サム・グラディスはアビゲイル・アシュレイの協力者などではなく、アーニャ失踪に関わっている実行犯だとすると?
⇒ 獲物と間違えて、アーニャを撃ってしまった。(しかし、真っ赤な頭巾をかぶっているアーニャを、ベテラン猟師の彼が獲物と間違えるとは思えない)
あるいは、性的なイタズラ目的で祖母の家へと向かうアーニャに森の中で声をかけ……騒がれたため殺害した。もしくは、口封じのために殺害した。
だが、サム・グラディスが過去に入れ込んだ娼婦たちは、皆、当たり前だが大人の女である。急に性的な方向転換をして、子どもに襲いかかるであろうか?
そもそも、彼がアーニャ失踪時に、森以外の場所にいたという目撃情報が後々出るかもしれない。
しかし、村のはみだし者であり、嫌われ者である彼へと疑いの眼差しを向ける者は多数いるはずだ。
【9】 言葉通りの獣ではなく、”人間の皮をかぶった獣”もしくは”突然に獣へと豹変した者”に、アーニャ・キングストンは襲われたのでは?
この小さな村の中には、猟師サム・グラディスの他にも”はみ出し者”はいるのだ。
・2人目のはみ出し者……リチャード・レイ・ウェルズ
推定年齢20代後半、鋭い目つきで右頬に三日月の傷跡がある男。
数年前にこの村にやってきて、村の外れで1人で暮らしている。
まるで野生の獣のごとく警戒心が非常に強く、村の者に挨拶も碌にしない。新参者である彼にしつこくちょっかいをかけたある若い男などは、ほんの数秒で彼に完膚なきまでに素手で叩きのめされてしまった。
その武術(?)といい、長身の彼が鍛えられた肉体の持ち主であることは服の上からでも分かるため、過去に兵隊などの職についていたのか、もしくは元・殺し屋などといった噂が村の中で今も流れている。
・3人目のはみ出し者……ケリー・フレッシュウォーター
推定年齢30代後半の女。約10年ほど前までは、ごく普通の朗らかな女性であったことを私も知っている。
当時、彼女は夫を持つ身でもあり、初めての子を身籠ってもいた。しかし、流産してしまい、二度と自分の子を腕に抱くことができなくなったらしい彼女は、暴飲暴食を繰り返し、”生まれていたはずの自身の子と同じ年頃の子ども”を見るたび、『私の子よ!』と腕を引っ張って連れ去ろうとしたことは一度や二度じゃない。
心を病んだ彼女を”はみ出し者”とするのは気が引けるも、子どもを持つ親たちにとっては危険人物とみなされている。
・4人のはみ出し者……ショーン・パイ
推定年齢40代後半で、ねちっこい目つきの”いかにもな”小太り男。
”一応”妻帯者であるも、子どもはいない。
彼は、村長夫妻とも親しく、村にも溶け込んではいるため、客観的には”はみ出し者”とはされないかもしれない。
けれども、何かと理由をつけて女の子の頭や肩、手などを親し気に触ろうとするため、警戒されまくっている。ペドフィリアの傾向があるのは間違いない。
村の子どもたちの中で抜きん出て愛らしいアーニャは、きっと彼の好みであるはずだ。
ショーン・パイは、年下妻のキャサリンとは、もう何年も寝所をともにしていないらしい。なぜ、私がそんなことを知っているのかと言うと、キャサリンが私の母に嘆いていた愚痴が私の耳にまで入って来たからだ。(全く、年頃の娘になんてことを聞かせるのだ!)
――――――――――――――――――――
フーッと息を吐いたイモージェンは、ペンを置いた。
アーニャ・キングストン失踪事件について、村の者たちが立てるであろう推理を、ざらついた紙に一心不乱に書きつけている間に、蝋燭はすっかり短くなってしまった。
それはまるで、”アーニャ・キングストンのはかなき一生”を示しているかのようであった。
蝋燭を取り換えたイモージェンは、再びペンを手に取った。
ここで自分が、思考停止してしまうわけにはいかない。
時間は有限なのだ。
アーニャ失踪について予測されるであろう可能性を、今ここで、きちんと整理し、頭に入れておかなければならないのだから。
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『アーニャ・キングストン(通称:赤ずきんちゃん)失踪事件には、誰が関わっているか?』のまとめ
・ キングストン夫妻 …… △
(理由)常日頃から一人娘のアーニャを可愛がっているだけでなく、アーニャが自宅を出て店で買い物をしていた証言により、一番の最有力容疑者とはならないはずだ。だが、子どもの失踪事件で、まず最初に疑いの目を向けられるのは保護者であると相場が決まっている。
・ アビゲイル・アシュレイ …… ✖
(理由)老人であり、片足も不自由な彼女がアーニャ失踪に関わっていると思う者は少ないであろう。そのうえ村の者からの評判も非常にいい老婦人でもある。しかし、彼女の周辺で協力者と思われる者の影が”しっかりと”つかめたなら、話は別であるが。
・ レベッカ・エリン …… ✖
(理由)無愛想にもほどがある花屋のおばさんだが、子ども嫌いのうえ人嫌いな彼女が自分から”積極的に”危害を加えようとするとは思えない。誰しも嫌いなものには、極力関わりたくないであろう。アーニャは行儀のいい子だから、レベッカを逆上させたりといったことは考えられない。
・ ジェシー・テンプル …… △
(理由)パン屋経営の彼が、アーニャを可愛がっているのはまごうことなき事実だ。けれども、単にパン屋の店主としてのサービス精神かと思われる。アーニャの可愛さに良からぬ気を起こしたとしても、妻もいて自分自身の子どもまでいる店舗内にアーニャを監禁することには無理がある。しかし、ただ男性であるということで彼に疑いの目を向ける者は少数ながらいるはずだ。
・ サム・グラディス …… ◎
(理由)はみ出し者の猟師。子どもを性的にどうこうする気はないかもしれないが、常日頃から金には困っている。器量のいいアーニャを誘拐し、村を抜けて小児性愛者向けの裏娼館に売り飛ばしたのではなどいった、ぶっ飛んだ可能性を示唆する村の者もいるであろう。
一匹狼気質で、積極的に周りの者に溶け込もうとしなかったため、彼の否定の言葉耳を貸す者は少ない。ただ、彼にはアリバイがあるかもしれない。
・リチャード・レイ・ウェルズ …… ◎
(理由)彼も猟師サム・グラディスと同じはみ出し者。そのうえ、余所者でもある。村の者からの信頼度という点では、ある意味、この村の出身者であるサム・グラディスよりも低い人物。
さらに言うなら、元殺し屋という噂や、野生の狼を思わせる荒んだ風貌によって、村の者たちより、アーニャ失踪の容疑者として疑惑の目を向けられる可能性は高い。ただ、彼にもアリバイはあるかもしれない。
・ ケリー・フレッシュウォーター …… △
(理由)女性であるというだけでなく、彼女の肥満しきった体型からして、逃げようとするアーニャを捕まえるのは難しいというよりも、おそらく、アーニャの方が何倍も子どもながらに足が速いはずだ。アーニャも、自身の父母に『フレッシュウォーターさんには近づいちゃだめよ』と言い聞かせられていると思われるから、彼女の姿を遠目からでも見たなら、他の子どもたち同様、アーニャはすぐに逃げると推測される。
・ ショーン・パイ …… ◎
(理由)妻帯者ではあるも、”いかにも”な外見や常日頃の行動からして、ペドフィリアの傾向は容疑者たちの中では最も高いとされる。
しかし、彼にも後ほどアリバイが出てくるかもしれないし、猟師サム・グラディスやリチャード・レイ・ウェルズに比べると、村の者たちに溶け込んで、村の者たちとのつながりを保有している。
セックスレスの妻キャサリンも含め、親しくしている村長など彼をかばう者も多数いるのは、間違いない。
だが、普段の行いと風貌は彼自身が思っている以上に重要である。残酷なことだが、世の中そんなものなのだ。
そして――
・ 私の叔母シルヴィア・パグリッシ …… ✖
・ 叔母の娘であり私の従妹のメリンダ・パグリッシ …… ✖
・ 馬車の御者ウォルター・アーツ …… ✖
(理由)アーニャ失踪日、偶然に私と私の父母が暮らすこの家へと馬車を走らせてきた彼女たちは、単なる目撃者だ。目撃者でしかない。面識のないアーニャ・キングストンをどうこうする理由など全くない。
何より、美しき叔母シルヴィアの隣には、娘メリンダがいる。隣に娘がいながら、自分の娘と同じ年頃の子どもに危害を加えるなんて、普通は誰も考えない。
メリンダは10才の子どもであるから、容疑者からはもちろん除外される。
大人の男であるウォルター・アーツも、主人たちの前で何の罪もない少女相手に人ならざる凶行に走るとは考えられない。
そう、絶対に考えられないのだ……
――――――――――――――――――――
「……イモージェン」
突然に背後からかけられた声に、イモージェンはビクッと飛びあがらんばかりになった。
目の下に隈が刻まれた母がいつの間にやら、立っていた。
「”アーニャ・キングストンのこと”をいろいろと考えていたのね。そんなに心配しないで」
母の言葉に、イモージェンは頷く。
そして、文字がぎっちりと詰められた黄ばんだ紙を蝋燭へとかざした。
揺らめく炎に包まれた紙は、みるみるうちに灰と化していく。
”アーニャ・キングストン失踪事件について整理した紙”が……
「あなたも私ももう、”お父さんのことについては”今まで充分に頑張ってきたんだから……今日はもう、寝なさい。”明日”、ついにシルヴィアたちが町からやってくるのよ。手紙で何度もやり取りしていたし、そのやり取りした手紙だって今の紙みたいに全て焼いたでしょ」
そうだ。
”明日に”町から叔母のシルヴィア・パグリッシと従妹のメリンダ・パグリッシが、御者ウォルター・アーツが走らせる馬車に乗ってこの村へとやってくる。
”いつもの”お使いの途中、10才の美少女アーニャ・キングストンが失踪。
失踪してしまったのではなく、彼女は明日に失踪するのだ。
イモージェンの叔母、シルヴィア・パグリッシたちの手によって……
※※※
明日。
”いつもの決まった時間に”アーニャ・キングストンは、森の中の一本道を歩いている。
その一本道において、叔母シルヴィアの馬車と”自身のトレードマークである赤い頭巾をかぶったアーニャ”がゆっくりとすれ違う。
シルヴィアがアーニャに馬車の中より声をかける。
周りに誰の姿もないことを確認して。
アーニャに魔の手を伸ばす自分たちを見ているのは、森の木々と鳥たちだけか、はたまた気まぐれに森へと差し込んでくる太陽であることだけを、チロリと確認して。
いかにも上品そうで超美人ではあるも、知らないおばさんに声をかけられたら、いくら人懐っこいアーニャとはいえ、身構えてしまうであろう。
だが、そのおばさんの隣では、自分と同じ年頃のとっても綺麗な女の子がにっこりと微笑んでいる。
アーニャの警戒心は、メリンダ・パグリッシの存在によって薄れるはずだ。
が、その時、馬車の手綱を握っていたはずの御者ウォルター・アーツが、アーニャへと襲いかかる。
やはり、こう言った時には男手が必要だ。
口を聞くことはできないも、主人の命令は忠実に実行し、金さえもらえれば何でもするらしいウォルター・アーツはこの任務に適任である。
悲鳴をあげて逃げようとするアーニャであるも、大人の男の足と機敏さ、そして腕力に勝てるわけもなく、すぐに捕まり、鼻と口元に布を押し当てられ薬で眠らされる。
遠ざかりゆく彼女の意識の中では、叔母シルヴィアと従妹メリンダの笑い声が響き続けているであろう。
ガクリと頭を垂れたアーニャは、猿轡をされ、手足も何重にもきつく縛られ、馬車の座席の中――座席の足元でなく、座席そのものをパカッと開けたその中へと入れられる。
大人の女ではなく、子どもを隠すなんてわけないことだ。もちろん彼女の手のバスケットも一緒にそこへと隠すことができる。
その中でアーニャが、失禁、脱糞する可能性もあるも、これからの大きな目的に対しては些細なことである。後ほど、失踪当時の彼女の所持品もろとも馬車など焼き払って処分してしまえば、何も分からないのだから。
叔母シルヴィアたちは、アーニャを隠した馬車に乗って、そのまま私たちの村までやってくる。
わざと目立つように。
いや、目立とうとしなくても、町からやってきた垢抜けて飛びきりに華やかな美人母娘は、村の皆の注目の的であるだろう。
ちょっとしたニュースになるかもしれない。
「義兄のお見舞いにきましたの。すぐに町に帰らなければならないのですけど」となどと言い、シルヴィアは数時間もしないうちに傍らの愛らしい娘を伴い町へと戻っていく。
”もう1人の愛らしい娘”を座席の中に隠した馬車に乗って。
もちろん、アーニャ・キングストン失踪については、彼女の失踪当日に村に姿を見せた叔母シルヴィアたちのところまで捜査の手は伸びるであろう。
しかし、元・女優でもある叔母シルヴィアは、その演技力と美貌を持ってして「そう言えば、森の中で赤い頭巾をかぶった女の子とすれ違ったような”気がします”わ。行方不明なのですか? お可哀想に……ご親族の方々もさぞかしご心痛でしょうね。同じ年頃の娘を持つ母親として胸が痛みます」などと答える。
もちろん、子どもながらにしっかりと頭の回る娘メリンダも母譲りの美貌と演技力で、母の証言の信ぴょう性を高めようとする。
「自分にも同じ年頃の娘がいる女が、そのうえ傍らに娘を伴って村に姿を見せた女が、自分の娘の前で他人の子どもをどうこうするとは……」と考えた者たちは、彼女を容疑者リストから除外する。
そして、御者ウォルター・アーツは口がきけないから、何も答えることはできない。彼は余計なことは喋らない。喋ることができたとしても、大変に忠実なる彼は何も喋らない。
もちろん、叔母シルヴィアたちに捜査の手が伸びるであろうその頃には、アーニャは既にこの世の者ではなくなっている。
禍々しい儀式の生贄となった彼女の”はかなき一生”に、幕は下ろされた後であるのだ。
※※※
「お母さん……私たちが直接、アーニャに手を下さないまでも、私たちがこれからしようとしていることは……」
罪なきアーニャ・キングストンに待ち構えている残酷な運命を思い、イモージェンの目には涙が滲み始めた。
「しっ! 誰かに聞かれていたら、どうするんだい? それに、よく考えてごらん。お前が町の学校へ行って、読み書きを習うことができたのだって、全てシルヴィアが見事に玉の輿に乗ったおかげだろ? 私やお父さんの稼ぎでは無理だったよ」
母の言葉にイモージェンは、頷かざるを得なかった。
確かに伯母シルヴィアからの経済的援助の元、イモージェンは学校に通い読み書きを習うことができた。
先ほどまでのように、アーニャ・キングストン失踪について、考えられる限りの可能性を――村の者たちが考えるであろう様々な可能性を、”文字に起こし”恐怖と混乱でグチャグチャとなっている自分の頭の中をなんとか整理することまでができたのだから。
「それに、イモージェン……あんたは、お父さんをみすみす死なせてもいいのかい? 病に苦しむお父さんに、出来る限りのことをしてあげたいとは思わないのかい? お父さんの病を治すための薬を、シルヴィアが”処女の命”と引き換えに用意してくれるっていうんだよ」
イモージェンの父は、難病に冒されていた。
その難病を治すための薬は、目玉が飛び出て飛んで行ってしまうほど高価であり、イモージェンや母が、”昇り沈みゆく太陽など存在しないかのように”休むことなく働き続けても無理なほどだ。
しかし、それを伯母シルヴィアは用意してくれるというのだ。
”処女の命”と引き換えに。
叔母シルヴィアの嫁ぎ先の家(裏社会とのつながりもあるらしい)がとりおこなっている、更なる繁栄のための――つまりは更に”私腹を肥やすための”悪魔的儀式の贄として、穢れなき処女の命が必要なのだ。
処女と言うなら、イモージェン自身もまだ処女であり、叔母シルヴィアの愛娘メリンダも処女ではある。
けれども、誰が血のつながった身内や、はたまた父のためとはいえ自分自身の命を差し出せようか?
なら、他人の娘を贄として連れてくるしかない。
「イモージェン……あんたと私は、明日に起こるアーニャ・キングストン失踪事件の全てを知っているけど、何があっても『知らない』って答えるんだよ。これは仕方ない……”可哀想だけど”仕方ないことなんだよ」
そう言った母は、イモージェンの肩へとそっと手を置いた。
そう仕方ない。
仕方のないことなのだ。
罪なきアーニャ・キングストンが、犠牲となることも。
さらに言うなら、性別や普段の行い、”暗黙の了解ともいえる村の中でのポジション”からして、おそらく……サム・グラディス、リチャード・レイ・ウェルズ、ショーン・パイの3人に、疑惑の目は最も集中するであろうことも。
願わくは、その疑惑の目を向けられた彼ら3人のうちの誰か1人にでも、”完璧なアリバイがないこと”をイモージェンが願ってしまっているのも……
もう後戻りなどできない。
明日、赤ずきんちゃんは消えてしまう。
人の皮をかぶった獣たちにの手によって。
そうだ。
獣が……狼が皆、オスであるはずがない。メスの狼だって、しっかりいる。
それに、狼は単独ではなく、”群れで狩りをする獣”であるのだ。
胃を震わせたイモージェンは、息を吐き出した。
自身の息の生臭さに、顔をしかめてしまう。
この生臭さは、他者を蹂躙する獣へと”完全に化してしまう”前触れであるのか。
いや、息だけでなく自身の体までもが生臭く……獣臭くなりつつあるのをイモージェンは感じずには、いられなかった。
―――fin―――
ドス黒なずみ童話 ④ ~どこかで聞いたような設定の少女の失踪~【なずみのホラー便 第43弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko
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