クレン
いとうみこと
クレン
これは、今あなたがいる時代から約三十年後のお話です。
この時代になると、単純作業の多くは機械化され、街のあちらこちらでロボットが働いています。特に清掃作業は、早くからロボット掃除機が開発されていたこともあって、ロボットの普及が抜きん出ています。
ロボット掃除機にはふたつの系統があります。ひとつは、各エリアを専門に掃除するタイプです。例えば床磨き専門とか窓拭き専門とか。これらは比較的安価で手に入れることができます。その代わり、その扱いに人の手を要することも多く、例えば、ひとつの階の床掃除が終わったら、別の階に移動させるような手間がかかります。
もうひとつはオールマイティなタイプです。その多くは人型で、二十世紀生まれの皆さんには比較的馴染みのある形をしていると思われます。もちろん、製作者または依頼者の好みによって、メイド服の少女だったり、イケメン執事風だったりと見た目は様々です。ただ、一般的には、あまり写実的なタイプは好まれません。清潔感のある、見るからにロボットといった風情のものの方が好まれるようです。これらは多機能な分、お値段も相当なものになります。
さて、前置きはこれくらいにして、物語へと参りましょう。
ある日、とある大学に新しい人型清掃ロボットが導入されました。汚れを探しながら移動し、発見すると最も適切な方法で即座に綺麗にする最新鋭のハイテクロボットです。
清掃場所に合わせて、自在に変形しますし、移動は車輪による走行なので、それなりにスピードも出ます。バッテリー交換(これも自分でできます)以外は、二十四時間稼働します。お陰で大学は、広い構内を隅々まで清掃するためにかなりの支出を強いられていた清掃会社と縁が切れました。それくらい有能なロボットだったのです。
最初、学生たちはこの最新鋭のマシンに興味津々でした。ロボットの正式名はパーフェクトクレンリネス2型と言いますが、学生たちは親しみを込めてクレンと呼びました。彼らはクレンを幾重にも取り囲み、目の前にわざとゴミを落としては回収させ、その度にどっと沸きました。簡単には落とせそうもない汚れを試す者もいましたが、クレンはどんなものでも短時間で処理しました。その余りの出来の良さに、学生たちはすぐにそんな遊びには飽きてしまい、そのうち見向きもしなくなりました。一部の人間を除いては。
この清掃ロボットに興味を失わなかった者たちは、何とかしてクレンの鼻を明かそうとしました。
まずは、あらゆる塗料や薬品で壁や床を汚しましたが、クレンは最適な溶剤や洗剤をすぐに見つけ出し、必ずその汚れを取り除きました。
それならばと、クレンが見つけられそうもない場所に汚れを付けてみましたが、クレンにはキャンパス本来の姿が全てインプットされていて僅かな違いでも認識できたので、見逃されることはありませんでした。
そのため、このグループもひとり抜けふたり抜けして、半年後にはクレンを困らせようとする者は誰ひとりいなくなりました。お陰で、クレンは誰にも邪魔されずに仕事に没頭できるようになりました。しかし、それも束の間、別の種類の人間が寄って来るようになったのです。
ある雨の日のことでした。いつものように黙々と掃除をしていたクレンは、図書館の裏の人気のない庭で、前から来た男にいきなり蹴られました。それは、ちょっとした悪ふざけではなく、悪意に満ちた攻撃でした。男は腹立たしげに「目障りだ」と言って立ち去りました。クレンの、人間でいう腿の辺りには黒い泥がねっとり付いていましたが、自分でさっと拭き取ると、何事もなかったかのように落ち葉を集め続けました。
その数日後、今度は廊下で三人組の男に囲まれました。ひとりが廊下にわざとコーヒーをこぼしたので、クレンは前屈みになって掃除しようとしました。その時です、別の男が後ろから思い切り蹴りを入れました。バランスを崩したクレンは前のめりにコーヒーの上に倒れました。それを見た三人は大笑いしながら去っていきました。クレンは起き上がると、廊下と自分に付いたコーヒーを奇麗に拭き取りましたが、腰のあたりに細かいヒビが入ってしまいました。
この後も、こうしたことが度々起こりました。ある時は、草取りの最中に後ろから大きな石を投げつけられました。またある時は、ベランダから植木鉢がクレンめがけて落ちてきました。その度にクレンは自分の体を磨きましたが、付いた傷は消えることなく、徐々に増えていきました。
そして、とうとうその日がやってきたのです。
冬の寒い朝、クレンは講堂から正門に続く長い階段の上で掃除をしていました。ちょうど試験期間中で、たくさんの学生が行き来する中、数人の男がニヤニヤと目配せしたかと思うと、いきなりクレンを蹴り落としました。階段にいた学生たちが慌てて避ける中を、クレンはガツンガツンと鈍い音を立てて、いちばん下まで転がり落ちました。片腕と片脚がもげて、首が斜めになりました。クレンはゆっくりと半身を起こすと、近くに散らばった自分の欠片を拾い始めましたが、間もなくガクンとうなだれて、そのまま動かなくなってしまいました。
それから一週間ほど経ったある日、ひとりの学生の実家に大学から内容証明郵便が届きました。封筒は保護者宛で、親展の文字と「至急」の赤い印影がありました。大学から封書が届くなどということはこれまで一度もなかったので、胸騒ぎを覚えた母親は、父親が仕事から戻るなりすぐに封を開けてもらいました。中には記憶メディアと、「重要 必ず最後までご覧下さい」と書かれた一枚の紙が入っていました。
メディアを再生すると、最初に図書館の裏庭が映し出されました。ひとりの男がカメラに近付くと、いきなり蹴りを入れました。男の顔はモザイク処理されていましたが、何かの記号と番号が表示されていました。
次は廊下です。三人の男(彼らも番号付きのモザイクがかけられていました)が楽しそうにカメラを蹴倒していました。
「何だ、これは。」
学生の両親は全く理解できぬまま、指示通り画面を見続けました。画面にはカメラに暴行する様子が次々と映し出され、ふたりは徐々に気分が悪くなっていきました。
耐えかねて再生を止めようとしたその時、自分の息子がモザイク無しで登場しました。息を呑む両親の目の前で、息子は数人の仲間とカメラを足蹴にしました。その、冷たく不敵な笑みは、我が子ながらぞっとするものでした。段々と小さくなる息子と空と地面を交互に映し出した後、画面が暗転しました。
父親と母親は顔を見合わせました。今見たものが何だったのか量りかねていました。
すると、再び画面が明るくなり、青空の下、大学構内を清掃するピカピカのハイテクロボットが映し出されました。先程の講堂からの大階段も映っていました。それが終わると、今度は手脚がもげ、ボロボロになってブルーシートに横たえられたロボットが映りました。
ここに至って、両親は事の顛末と事態の深刻さを理解しました。息子の行為そのものもですが、ロボットの価値を考えると血の気が引きました。
ふたりが呆然と画面を見つめていると、大きな革張りの椅子に座った机越しの理事長の姿が浮かび上がりました。
「保護者の皆様、最後までご覧頂きありがとうございます。この映像は、本校で起こった忌まわしい事件の記録です。幸い、最新の顔認証システムによって、この一連の騒動に関わった学生を特定することができました。」
理事長は、身を乗り出し、机に肘をついて手を組みました。
「相手がヒトでなくて幸いでした。しかし、器物損壊の罪は免れません。この事態を打開するためには一度大学までご足労頂く必要があります。こちらの指示に従って頂ければ、この映像が外部に出ることはありません。このまま平穏な学生生活を送らせたいとお考えでしたら、できるだけ早くおいでください。アポイントメントをお忘れ無く。」
そして画面は大学の連絡先に切り替わりました。
「良いデータが集まったようですね、ご主人様。」
撮影を終えた理事長に、人工知能を持つ人型ロボット執事が話しかけました。
「いや、まだまだだ。清掃ロボットを使って人間を監視するこのシステムを政府に認めさせるには、もっと多くの実験と検証が必要だ。それにしても、君のアイディアは実に素晴らしい。」
「恐れ入ります。」
「しかし、クレン自体が標的になるとはな。いくら平和のためとはいえ、同胞が傷付けられるのを見るのは胸が痛むのではないかね?」
「私も彼らも感情プログラムは搭載しておりませんので、どうぞお気遣いなく。」
「なるほど。君はどこまでも有能だな。ところで、次の大学は決まっているのかね。」
「はい、既に手筈は整っております。」
数日後、とある大学に高性能の人型清掃ロボットが導入されました。正式名をパーフェクトクレンリネス3号と言い・・・
クレン いとうみこと @Ito-Mikoto
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