23話 再会と忠告と土だるま

「……を得てますから……です」


 客室のベッドに腰掛け、足を投げ出し壁にもたれた格好のまま少年は顔を上げた。何やら扉の外が騒がしい。また質問攻めにでもされるのかとぼんやり眺めていると、扉が軽くノックされ、話し声と共に男が入ってきた。


「何かあったら責任は全てシミュエル隊が取るということですから、貴方が気にする必要はないんです。え? 何を言っているんですか扉は閉めるものですから閉めますよ。はいでは後程」


 何やら言い募る相手を軽く受け流し、流れるような動作で扉を閉めた男は、自分を見詰める少年を見て笑った。


「よ。少年。優等生してたか?」


 ひらりと片手を上げたのは、体のあちこちを黒く汚した包帯だらけのレグサスだった。






 レグサスが国家特別救護隊に配属されたのは、騎士拝命と同時だった。と言うより、彼を救護隊で働かせるために上司が彼を騎士に任命したと言っても良い。


 レグサスは元々とある下町の六人家族の下から二番目の子供だった。

その日暮らしだった彼の家族は両親兄姉共々朝から晩まで働き続けたが、幼いレグサスには決まった働き口がなかったため、その日その日で荷物運び、靴修理、まだ使えそうなゴミ漁りまで何でもやった。

 中でも気に入っていたのは、町で唯一の医師の手伝いだった。


 とある奇縁から医師の下働きをすることになったレグサスは、薬の買付け、医療器具の準備、廃棄物の分別、金がなければ薬草採取からツケ徴集、挙げ句の果てには未知の症状の調査まで遠慮なくこき使われた。ハードではあったものの食事を出してもらえたので育ち盛りの少年にはありがたかった。

 元々字も読めず計算もできなかったレグサスだが、必要に迫られ覚えたそれらを、乾いた砂が水を吸い込むように自分のものにしていった。


 そして事件が町を襲う。黒の病感染者は国家特別救護隊と共に去ったが、事件による大量の怪我人は町に残った。

 その数は医師のちっぽけな診療所……という名の住みかに到底収まるものではなく、医師は朝から晩まで片っ端から家々を回ることになった。そして当然のようにレグサスも引っ張り回された。


 少年もまた事件で父親と上の姉を失っていた。にも関わらず猫の手も借りたい医師に散々こき使われ、何やらせてんだヤブ医者これフツーてめぇがやることだろってか親死んだばかりのガキをンな容赦なく働かせんじゃねえふざけんな×××野郎っ!! と怒鳴りながらも幼きレグサスは目まぐるしく働き続けた。

 お陰様と言うべきか、 診療所の片隅に寝落ちする日々は少年を悲しみに浸る暇すら与えず、医学薬学を実地で習得でき、おまけに国から派遣された医師にその腕を見込まれることになったのだから感謝をすべきなのだろう多分、恐らく。


「まーそんな訳で、たまたま騎士団にいるだけだから、別に畏まらなくていい。今まで通り今まで通り」

「特に気にしてないんで大丈夫です」

「あ。そう?」


 宣言通りベッドから降りもせずに話す少年の不遜な態度にレグサスは薄く笑った。視線に気付いた少年が溜息を吐く。


「貴方がどこかしらに所属しているだろうことはある程度予想ついてました。黒の病や黒援会に関連する情報の詳しさに加え、持っている薬品類は高額な正規品、何より銃という貴族の道楽と言われる高価な武器を使いこなしている。いくら俺が世間知らずな子供だからと言って、これがちょっとお金持ちの一般人なんて思うような御目出度い頭はしてません。レグサスさんだって特に隠す気もなかったでしょう?」

「おお。思った通り細かい所までちゃんと見てる。まあ確かに隠す意図はあんまりなかったかなー。ってか君、何かちょっと疲れてる?」


 首を傾げたレグサスは、あ、そだそだと呟くと懐を探り手にした物を放って寄越した。放物線を描いて飛んできたそれを思わず両手で受け止め、少年は目を見開く。


「拾得物は遺失者の元へ。迷子は親元へ。約束通りちゃんと戻したからな~」

「……まだ調べ足りないんじゃないですか?」


 レグサスのぴったりとした薄布に覆われた腕を見ながら聞くと、相手は笑った。


「あ。俺がずっと素肌晒さないの気にしてる? これは習慣。他意はない」

「でも俺やこいつに直接触れないようにしていましたよね?」

「あー。やっぱり土だるま君を顔に投げつけてきたのは故意か」

「単なる確認です。こいつに興味あると言いながら手に取るのを露骨に躊躇ってましたから」


 レグサスは気まずげに頭を掻いた。


「ん。まあ一応職業柄安全確認取れてないモンには触らんようにしてるし、君達が何らかの伝染源にならない確信はなかったから注意はしてた。でも土だるま君が珍しい存在だから調べたいってのも本当」


 少年がうっすら笑う。


「それだけですか?」

「あれ? この答えでも満足しない?」

「色々ありそうな立場でしょうに、単身で森までついてきた理由としては弱いですね」

「だって土だるま君だよ!? 君このレア感わかってる!? 絶妙なバランスを必要とする直立姿勢、何より凄いのは人と同程度の自立思考! それらをあの体のどこで司っているのかと思うと未知の領域への興奮と探究心でゾクゾクが止まらなくなるでしょ!」

「……」

「だからさ~、そーんな珍しい存在が目の前にいたら、黒の病を人工的に蔓延させるなんていう突拍子のないことも、君達ならできちゃうんじゃないかなーって考えちゃう訳よ」


 室内を沈黙が流れる。ややしてどこか疲れたような吐息が空気を揺らした。


「──その疑いは、騎士団全体の総意ですか」

「んや。俺個人の好奇心に基づいた思い付き」

「根拠がないということですね。それでレグサスさんの疑いも、もう晴れたんですか」

「さあ? しばらく引っ付いてたけど、君達そんな素振り見せないし。とりあえず現時点でわかる範囲では、君も土だるま君も病原体保持、罹患共に認められない。組織に所属している身としては、これ以上独断で勝手な追求はできないのです。とゆー訳でご返却ー。あ。生態調査その他まだまだ試したいこといっぱいだから、了承得られるならもっとお預かりするよー」


 大人しく二人の会話を聞いている風だった土だるまだが、ここにきて突然体を震わせ、全身で拒否を示しだした。それをじっと眺め少年が静かに口を開く。


「……レグサスさんの疑いが個人的なのであれば、俺がここに滞在することになった一番の原因は結局何ですか」


 レグサスがテーブルの脇にある椅子に座ると、土だるまが定位置である少年の肩の上に飛び乗った。それを見て軽く笑う。


「あーあ。やっぱご主人様の所が落ち着くのかなあ。俺めっちゃ土だるま君を可愛がるのに」

「……話せない、ということですか」

「いんや──」


 レグサスは少年を見遣り軽く息をつくと、肘をつき組んだ手の上に顎を乗せた。


「──この町で黒の病による死者が出た」


 少年が目を見張り身を起こすと、それを冷静に観察するレグサスの視線にぶつかる。


「ほら土だるま君が落ちちゃうよ。ちなみに今の所確認できているのは一人だけ。故人に関係の深い者から順に洗っているけど、他に感染が確認された者は現時点でいない。疑わしい者は隔離して精密検査中だ」


 少年の緊張の色は晴れない。


「どうせ宿に戻れば耳にするだろうから言うけど、故人の娘とその知人男性は現在行方不明。ところで君は俺と初めて会った時のことを覚えているかい?」


 唐突な話題転換に、少年がぱちくりと瞬く。その存外幼い表情と反応に、レグサスはやや苦いものを抱く。


「土だるま君を拾ったのが君との対面のきっかけだった。君のことは色んな意味で気になってね。あれこれ聞こうとしていたから君も煩わしかったんじゃないかな。でもそれを途中で遮った存在がいる。覚えているかい?」


 怪訝な表情のまま少年が首肯する。貼り付けた微かな笑みで頷き返し、レグサスは続けた。


「それが今行方不明になっている娘であり、俺にこんだけ怪我を負わせたヤツだよ」


 レグサスは唯一汚れのない真っ白な頭の包帯を、親指で指し示した。






 レグサス達は別件調査で訪れたネムリという町でとある情報を得、急遽西のザニザニへやってきた。部隊の一部は北のホーシュ山岳へ向かい、レグサスのような非戦闘員は一旦町で待機となった。


 レグサスの役目は情報収集及び本部への報告だったのだが、たまたま遭遇した例の女性に引っ掛かる物を感じたため、そのまま尾行し、とりあえず彼女がマールの泉の水を欲しているらしいことを突き止めた。


 そして身辺調査により浮上した、最近姿を見せないという病床の母親、マールの泉の水の特性、引きこもりがちになったという生活変化、そして肌を晒す一切の可能性をも許さない入念な装い。

 これらを総合的に見て、特別救護隊の権限下での捜査が必要とレグサスは判断した。

 都合良くマールの泉の水を欲する少年に便乗したのも、趣味という部分も否定できないが、部隊が戻るまでに時間があったこと、そして受取りに現れる女性を観察し、あわよくば接触しようと考えたのが一番の理由だ。

 余計な危機感を煽ってしまったために、攻撃的になった女、そして恐らく今なお同行しているであろう知人の男に返り討ちにあってしまったが。


「娘の居所は救護隊とザニザニ警備隊が鋭意捜索中だが、俺との接触を最後に足取りが掴めていない。唯一の手掛かりと言えるのが、どうやら十代半ばくらいの子供と最近会っていたらしいということ」

「十代半ばの子供……」


 思わず声を漏らした少年に、両手をあげてレグサスは笑い、簡潔に答えた。


「それがどうやら、君が会っていた黒髪の女の子らしい」


 少年の肩の上で、土だるまがゆらりと揺れた。






「さあ、自分の置かれている状況が理解できたか? 君はこの町で発生した黒の病関係者と、高確率で接触している。当然罹患、感染源としても疑わしいが、こういう横から掻っ攫うやり口は、大層なご高説を掲げる某黒い会の影がちらつくのも問題だね」

「黒援会……?」

「君がそうだと言っている訳じゃないさ。ただ君は年齢の割に落ち着き過ぎ、警備隊に連行されるという事態にあってなお、全てを曝け出さずにここにいる。そして何より黒髪の少女に出逢っても動じていない。聞いたよ。その子に会っても怖くなかったと言い切ったらしいね。黒の病の特徴とも言える黒い肌を持っている子と接触したのに、恐れを感じないのは何でだい?」

「……」

「君は彼女を知っている。それとも以前会ったことがあるのかな。どちらだい?」


 少年が疲れたように溜め息をついた。纏わりつくような重い空気が、少年の息で震える。


「レグサスさん、先程の騎士に何をどう聞いたか知りませんが、俺は本当にあの女の人とは初めて会いました。何も知りません」

「そうか。じゃあ仕方ない。何か手掛かりになりそうなことを思い出したら教えてくれ」


 あっさり頷き立ち上がるレグサスに、意外そうな目を向ける。


「それでいいんですか!? ── 拷問とかするのかと」

「はあっ!? するかよンなことっ!」


 思わず目を剥き大声をあげたレグサスが、がりがりと頭を掻いた。


「君は単なる参考人。いかなる供述も強要されることはありません。拷問なんてなんちゅーことを……」

「はあ。そういうものなんですか」

「どこからそんな考えになったんだよ子供ジャリが……ってそういや子供か。弌浪だって変な対応してないだろ?」

「あの騎士には色々聞かれただけですが、代わりに何も教えてくれなかった」

「あー。まあ普通一般人かつ未成人にいらん情報垂れ流さないだろ」


 少年が不思議そうに顔を上げた。


「じゃあ何でレグサスさんはここまで教えてくれるんですか? 俺から情報引き出すためじゃないんですか」

「そりゃ君にも色々事情あるだろうし、君言わないって決めたら絶対に言わないだろ。だったらこれ以上食い下がってもなあ」

「じゃあ何故?」


 本気で疑問を感じているような少年に、レグサスは苦笑して立ち上がった。ひらりと手を振り背を向ける。


「これだけ言っておけば、君ならどうするのが一番いいかわかるだろうと思ってさ。──いい子にしてろよ」


 包帯だらけの青年は、言うだけ言うと扉の向こうに姿を消した。少年はベッドの上で男の姿を飲み込んだ扉をしばらく眺めた後、深い深い溜め息をついた。

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