第2話 カルマのお話
今日はカルマのお話です。カルナではありません。
ちなみに著者は昨日ガネーシャを引いて非常にテンションが高いですホホウ。
インド占星術では、「特定の星の状態の時に生まれた」ことに意味をおきます。誕生日や生誕地が適当に決まったのではなく、「その人の魂がそこを選んだ」という感じの考えです。
どうですか? スピっぽいですねー(笑)
その時に重要視されるのが「カルマ」という考え方です。平たく言えば、「魂が今までやってきたこと」。
インドの占星術はシビアで「やったことは帳消しにできませんよ。いいことも悪いことも、必ず自分に返ってくるんですよ」というスタンスです。なので、「悪いことばっかり起こる」なら、「あんたの過去、ヤバかったぜ。だからこうなってるんだ」という感じです。
「因果応報」論はもちろん日本にもありますが、カルマ論がえげつないのは「自分がやってない過去のやらかし」も現世に上乗せしてくること。
つまり「お前の前世良かったから、運ボーナスつけるわ」「お前の魂がやらかしたんだからマイナス査定な。きっちりケツ拭けよ」と強制してくるわけです。こういう思想があるから日本で広まってないのかなーと私は考えます。
しかし個人的にはすごく納得できるんですよ。
だって何にも悪いことしてないのに、難病にかかって「あと2~3年の命です。体の機能は落ちていくし治療薬はありません」という状態になってしまったり、不慮の事故にあう人は山ほどいます。
日本なら震災もありますし、赤ちゃんだってほしがってる家に生まれればちゃんとかわいがってもらえるのに、虐待死の報が絶えません。
とにかく昨今の「努力さえすれば全てがカバーできるよ、全員平等だよ」みたいなポジティブ論が嫌いなんです。
絶対的な運というのは確かにあって、そこは人間の力ではどうしようもない。あくまで私たちは「たまたま生かされている」だけである。私はこういうスタンスをとっていますので、カルマ論にもさほど抵抗ありませんでした。
ただ、インド占星術は絶対的な努力否定ではありません。「人間の力で変えられるカルマ(クリヤマナ・カルマ)」というのもあるからです。
例えて言えば、「いつ南海大地震が起こるかわからない。僕たちは生き残れないかもしれない。でも、避難場所を決めたり非常食を用意することはできるよね。それが上手くいったら、運命が変わるかも」ということです。
ちっぽけですよ。でも、昔はワクチンも電気も自動車もなかった。「ないけれども俺がこの手で作ってやる。理不尽を理不尽のままで終わらせてたまるか」という人類の歩みの積み重ねがあって、今の便利な生活があるわけです。
恩恵で、今まで死んでいた人が生き残ってるわけです。そう思うと、「悪い運があったとしても、終わりじゃない」という考えがあるのは救いだなあと思います。
……しかしねえ。こういう看板つけると、人の不安につけこむ悪徳業者ってのが湧きましてね。「カルマが軽くなる宝石がある」「護符がある」とか言って売りつけようとしてくる奴がおるわけですよ。無理だっちゅうの。
私も自己啓発とか婚活でメンタルぐだぐだだった時期があるんですが、「これだけお金を払ったんだから私が変化しなくても、現実が動くよね」みたいな精神状態だったらダメなんですよ。
まずは自分。自分が他人に親切にできてなかったり、変に卑屈な状態から抜け出さないとなんにも変わらなかった。運命を変える一番の近道は、内省と徳であるなあと思います。
なんでインド占星術を学ぶのはいいですが、軽々しく周りの人を捕まえて「あなたの運命はこうなるよ~、怖いよ怖いよ~」とか言ってコントロールするようなことはしちゃならんのです。それやったら全部自分に返ってきますからね。ボコボコにされますよ。
運命は残酷だが、時に人の力で動く。最後の最後まで、占い師はそれを信じてクライアントのサポートに徹してほしいなあといちユーザーとして思います。
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