第4話 靴の街
形見分けでね、祖母の靴をもらったのよ。若い時に履いてた靴だっていうお話だったんだけど、それにしてはキレイなままで、試しに足を入れてみると、息を呑んじゃうくらい柔らかくて軽くてさ。自然と足が遠くに出ちゃうくらい歩きやすいの。ものすごく淡い水色の素材でできてるんだけど、その正体が分からなくってね。いいものだって聞いていたし、さすがの高級感もあったから、なんとかして手入れの方法を探さなきゃって、焦りみたいなものが湧いてきたの、ちょっと笑っちゃうよね。ほとんど心を奪われてた。その靴を死ぬほど履きたいんだけど、ちゃんとした取り扱いができなくてダメにしちゃうくらいなら、履かずに死んだ方がマシだってくらい夢中だった。それで、靴箱に名前のあったお店を探そうって思い立ったわけ。
でもその名前、お店とか工房の名前じゃなくて、街の名前だったの。街はすぐに見つかったんだけど、そこにあるどの工房に問い合わせればいいのかが分からなくて、まどろっこしいから押しかけちゃった。アルプスの山の中にある小さい街だったんだけど、その住人の軽く八割は靴職人だって言うんだから、吃驚だよね。観光局の人がそう言ってたんだけど、街を歩いてみた感じ、あながち冗談でもなさそうだった。
捜査は難航するかと思われたんだけど、意外なことになかなか大きなホテルにチェックインしたとき、その場であっさり工房が特定されちゃった。靴に関する業界人はわんさか来るけど、観光客はめったに来ない場所だからって、フロントさんが好奇心で話しかけてくれてね、祖母の靴を見せたらすぐに教えてもらえたの。一目瞭然なんだって。あの街の職人さん達には、それぞれに特別のレシピがあるとかで。
けっきょく、祖母の靴がなにでできてるのかは、教えてもらえないまま終わっちゃった。フロントさんが書き込みをしてくれた、無料配布の観光地図を見ながら件の工房を訪ねたらね、若い男の子がすごく真剣に靴底を打ってるところだった。その子、私の持ってきた靴を見るなり「爺さまの靴じゃないか」って叫んでね。すごく嬉しがってくれた。
手入れ方法を知りたいから日本から来ましたって言ったら、ちょっと呆れてたけどね。
「お嬢さん、この子は靴だよ。爺さんの靴は特に働きものなんだ。長いこと履いてやらなかっただろう、いけないなぁ。履いてやって、丁寧に歩いてやるのが、一番の手入れさ。人間だって歩かなきゃ萎えちまうだろ」
なぁんて言って、私の手から引ったくった靴をね、こう跪いて、片足ずつ丁寧に履かせてくれたの。なんかゾクッとしちゃった。変な話なんだけどね、靴を履くにもエクスタシーってあるのよ。
祖母の話をしたら、あの子ったら「爺さんが羨ましいや」って言って、すごく得意げに笑ってた。お師匠さんのこと、大好きだったんだろうね。
靴の水色なんだけどね、私どうも石の色みたいな気がするんだよね。あの街を取り囲んでた、草もまばらな冷たい空気の中を風と雲が吹き抜ける、もうすぐ雪になる鋭い岩山の薄青色。
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