属性に、魔法少女が追加されました。
第1話 魔法少女エリー、推参!
「原稿受け取りました!次回もよろしくお願いします」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。失礼します」
スマホの通話画面をタップすると、部屋には静寂が訪れる。
電話機の持ち主はオフィスチェアを後ろへ転がし、大きく伸びをした。
散らばった資料、空になったペットボトル。自然光のみの灯りが照らす部屋で、カーテンがささやかに揺れている。
重苦しいものはなにもない。修羅場の記憶は遥か彼方へ。なにしろ脱稿したのだから。
いくつもの仕事を抱え、締め切りに追われていたが、最後の一つに片がついた。
これでしばらくは休むことができる。
部屋にいるのはひとりきり。電波状況は良好。
フリーランスの文筆業の仕事場は、Wi-Fiが飛ぶカフェやコワーキングスペースがいいという人たちもいる。けれど、彼女は自宅派だった。
ペット不可のマンションに一人暮らし。これ以上ないほど集中できる。
特に隣室は長らく空き家になっていて、それも静かな住環境に一役買っていた。
反面、修羅場の時期は生活レベルが恐ろしく下がる。一人打ち上げとばかりに冷蔵庫を開けると、見事になにもないほどに。
「……うわあ」
そろそろ人間に戻らなければいけないサイクルだ。
ベランダの窓を全開にして、うっすらと積もった埃退治とばかりに掃除機をかける。いらない資料はゴミ箱へ。空容器の類もゴミ箱へ。
おっといけない、重要な書類はデスクの保存書類収納ファイルへ。
床が見えてきて懐かしくなるとともに、どんどんすっきりとした気持ちになる。
開け放した窓から聞こえる、どこか遠くで鳴っているサイレンがうるさかった。
首をひねる。この界隈では珍しい。
まあ、事件事故の類いでも、外に出ないわけには行かなかった。
買い出しにでも行かないと、飢え死にする。
非常用の買い置きドリンクやライトミールは軒並み消費済みだった。
テレビをつけても、物騒な話題はない。速報が流れているわけでもない。
よって問題なしと判断する。
片岡は家着から、ユニセックスなTシャツ、パンツ、カーディガンに着替え、スマホと買い物袋を持って出た。
久しぶりの外出に体がなまっている。
「ジムにでも行くかな……」
平日の住宅街に、独り言を聞く人間はいなかった。
ビルの屋上で、長髪をたなびかせた若者がたたずんでいる。
「まずったな……」
手のひらにあったはずの宝石は、粉々にくだけ散っていた。
「憑依失敗。……シオン、やっぱり、僕らじゃ限界が」
「わかってる。けど、やるしかないんだよ、サンゴ」
宝石だった残骸が、ぱらぱらと風に流れていく。
白いイヤホンが太陽に反射した。
「……魔法少女が、いれば」
「ないものねだりしてもしょうがないだろ?……俺たちは俺たちにできることを、やるだけだ」
宝石を握っていた空の手が、再び閉じられた。
「まさかこんなレシピがあったなんて……」
『先生ちゃんと食べてますか?大好きなトマトともずくを使ったレシピ、送りますね♡』
担当編集者から送られてきたレシピを見て、なるほどこんなものがあったのかと感心しつつ、ついつい買いすぎてしまった。
こんなに買う予定はなかったから、徒歩だ。
買い物袋がずっしりと肩にくる。
「これは早く帰りたい……」
角を曲がった時だった。
勢いよく現れた人影とぶつかる。
手を離れ、中身が散らばる買い物袋。
尻もちをつき、痛みが遅れてやってきた。
「った…………」
相手が人だったからいいけれど、これで自転車や車だったら今頃三途の川行きだ。
「シオン?どうした?」
「悪い、ぶつかった……」
視線がぶつかる。
ロングカーデガンにガウチョ、白のシャツ。そしてBluetooth対応のイヤホン。音楽を聞きながら歩いていて注意散漫だったのかもしれない。
声からして男性であることは間違いない。けれど、ゆったりとした服装は、女性が身につけるよりも様になっていた。
見上げると、薄紫色の長髪を一つに束ねている。
同じ色味の瞳が大きく見開かれる。
「もしかして、見えてる、のか?」
果たして目の前の存在は、この世のものなのだろうか。
身体が動かない。
「うそでしょ?この街にはもう対象者がいないって結論が」
「でも、確かにいる」
目の前にいない誰かとやりとりをしている。
逃げなきゃ。
注意がそれている今のうちに。
力を振り絞って立ち上がろうとしたとき。
がしゃん。
近くのマンションでガラスが割れ、一目散に破片が降ってくる。
ああ、あれがたくさん突き刺さって、死ぬんだ。
死ぬまでにやりたかったことだってあったのに。
けれど、太陽に反射して、きらきらして、なんて綺麗――。
「危ない!」
視界が暗くなる。
覆いかぶさられ、生き物らしいぬくもりを感じる。
「…………」
痛みはなかった。ただ、かばってくれた人の身体には、傷が無数にできていた。
「あ、大丈夫、ですか……」
「ちょっと厳しいかな」
ぽたりと赤いしずくをたらしつつも、青年はひらひらと長い服をはためかせて立ち上がる。
飄々と。口元はあげていたが、つらそうだった。
服は今にも破れそうだ。
「だから、手伝ってくれる?あれを封印するの」
目の前には、異形のなにかが存在していた。
頭がくらくらしてくる。
「たぶん見えてると思うけど、俺はあれを封印する仕事をしてるんだ。でも、今の状態で封印は、たぶんできない」
腕はぶらりと垂れ下がっていた。
ああそうだ。
ガラスだけではなく、きっとあの怪物にも襲われたんだ。
「君に力を渡すから、君が封印してほしい」
怖い。とても怖い。
それでもここで知らないふりして逃げるような。
そんな大人にはなれなかった。
こくりと、ゆっくりとうなずいた。
「片岡、枝里子です。……私で、よければ」
「……ありがとう。枝里子、いや、エリー。君を魔法少女にする」
ほっとしたような相手は、次の瞬間には精神を集中させていた。
言葉が流れ込んでくる。
口が勝手に呪文を紡ぐ。
「クレーシャ、アヌシャヤ、アースラヴァ。祓え煩悩、放て知慧!生きる楽しみはここに在り!魔法少女エリー、推参!」
余りのまぶしさに目をつぶる。
閃光が終息した時、髪色と服装が変化した枝里子が、光に包まれて立っていた。
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