第六十二話 船の上で思うこと(ラビエスの冒険記)
翌朝。
船旅を始めてから四日目、この大陸に来てから五日目となる、土曜日。
俺――ラビエス・ラ・ブド――が目を覚ました時には、もう女たち三人は起きていた。
「おはよう、ラビエス」
「ああ、マール。おはよう」
真っ先に声をかけてきたマールに、俺は挨拶を返した。
続いて、その会話を聞きつけて、パラやリッサも俺に「おはよう」と言ってくるので、同じように返す。
センは、まだ眠っているようだ。
一通りの朝の挨拶が終わったところで、
「ラビエス、何か気づかない?」
マールが、いたずらっぽい笑顔を見せる。
何だろう?
「寝起きの俺に、何のクイズのつもりだ……」
「大げさなこと言わないで。ほら、耳をすましてごらんなさい」
マールの発言に合わせて、俺が聞きやすいように、少しの間パラとリッサも喋るのを止めた。
すると……。
「いや、やっぱりわからない。変わった物音は、何も聞こえてこない気がするが……」
「そう、それよ。まさに『何も聞こえてこない』でしょう?」
そこまでマールに言われて、俺も、ようやく気が付いた。昨日の夜に眠った時には、外の雨音がずっと聞こえていたのに、それが今は収まっているのだ。
つまり、寝ている間に、昨日一日降り続いていた雨が上がったということになる。
すっかり空は晴れ上がり、澄み切った青色が広がっていたが、視線を下に向ければ、素人目に見てもわかるくらい、川は増水していた。
それでも、
「これくらいならば、大丈夫ですね。出発しましょう!」
「そうか、今日は進めるのだな……」
少しでも早く東の大陸に戻りたいヴィーが、安心したように呟いた。
口にしたのは彼女一人だが、他の者たちも、同じ思いだろう。
俺たちは、船旅を再開することになった。
昼までは何事もなく、むしろ退屈なくらいだったが、午後になって一度、モンスターと遭遇した。
また
「ヴェントス・イクト・フォルティシマム!」
「フルグル・フェリット・フォルティテル!」
「はっ!」
相変わらず、同じ戦法だ。俺とパラは魔法攻撃、そしてマールが、
ただし、今回は……。
「ふむ。こんな感じか……」
時々、宗教調査官のヴィーが加勢してくれた。
手にした『珊瑚の槍』に魔力を込めて、大きく前に突き出すことで、先端から電撃を飛ばしてみせたのだ。
「意外と難しいものだな」
まだまだ試し撃ちなのだろう。最初はモンスターに当たらなかったが、二回、三回と繰り返すうちに、だんだん命中するようになってきた。
ただし。
頑張って攻撃を続ける俺たち三人――俺とパラとマール――とは違って、ヴィーは、あくまでも「時々、戦闘に参加する」というスタンスだった。
「ヴィーさん、気が向いた時にしか戦わない、って感じだな」
「うむ。気まぐれに戦っているな」
後ろでセンとリッサが、そんな言葉を交わしているが、特にヴィーは、気を悪くした様子もなく、
「私は冒険者ではないからな。それに、貴様たちを護衛として雇っているくらいだ。貴様たちに守ってもらう立場であって、戦う義務はないのだぞ」
平然とした口調で、そう返していた。
まあ「気が向いた時だけ」とか「気まぐれに」といった言葉で表現すると、あまり良いニュアンスには聞こえないかもしれないが……。
例えば――これは元の世界での話だが――、レストランなどで『シェフの気まぐれ』という言葉が、メニューに使われることがある。だが、それは、けして悪い料理ではない。むしろ、シェフが「今ある具材を活かすならば……」と工夫している場合も多く、店の看板メニューになり得るかもしれないくらいだ。
今回のヴィーの『気まぐれ』も、それと同じことだろう。
彼女は、冷静に戦況を見極めた上で、俺たちに加勢している。
ともかく。
こうしてヴィーも戦闘に参加してくれたことで、前回や前々回と比べて、かなりラクに戦えた気がする。
それに。
戦いの状況判断に
ヴィーが、意外と戦闘に慣れているということは……。
宗教調査官とは、保険調査員や私立探偵のような「調べる人」ではなく、スパイ映画に出てくる諜報員のように「戦わなければ続けられない仕事」なのかもしれない。
それから、しばらくの間、モンスターは現れなかった。
穏やかな船の上でのんびりと過ごしていると、なんとなく、先ほどの戦いについて考えてしまう。特に、初めて戦闘に参加したヴィーのことだ。
チラッとだけ振り向いて、彼女に視線を向ける。
何を考えているのかわからないが、相変わらず少しきつい印象を与える目つきのまま、ヴィーは水面を眺めていた。
突然。
「どうしたのかしら。ラビエス、彼女のことが気になるの?」
俺は、耳元から聞こえてきた声に驚いて、顔の向きを戻す。
隣にいたマールが、いつにまにか、さらに俺との距離を詰めていたのだ。
別にヤキモチとか嫉妬とか、そういう感情ではないと思うが……。しかし「新しく旅の仲間となったヴィーに、俺が特別な関心を
「ああ、さっきの戦いを振り返っていたのさ。ヴィーさん、宗教調査官なんてやってる割には、意外と上手く戦えるんだなあ、って」
すると、マールの顔に笑みが浮かぶ。声も少し和やかになって、
「そうね。それは、私も思ったわ。きっと彼女、もしも宗教調査官じゃなくて冒険者になっていたとしても、優秀だったでしょうね」
そうだ。
先ほど俺が想像したように、宗教調査官が『スパイ映画に出てくる諜報員』のような存在なのだとしたら、ある意味、冒険者と同じと言えるだろう。
そういえば。
この船旅が始まった頃からだろうか。いつのまにか俺は、仲間の冒険者と接する時と同じように、ヴィーとも普通の口調で話すようになっていた。その意味では、とっくに俺は彼女を『冒険者』扱いしていたのかもしれない。
……いやいや。
考えてみれば、水先案内娘のレスピラとは、最初から普通に話せていたのだ。もしかすると初対面でヴィーに対して他人行儀になったのは、冒険者云々ではなく――それは自分に対する言い訳であって――、あの目つきや口調に俺が
「それにしても、どっちなんでしょうね? 彼女個人が、たまたま戦うのも得意な人なのか、それとも、宗教調査官という仕事自体が、彼女みたいに戦える人ばかり採用してるのか……」
マールが、面白いことを言い出した。完全に俺は後者だと決めつけていたから、こういう見方が出てくるのは興味深い。
「俺は後者だと思ったけど……。違うのかな?」
「あら。それなら……」
今度はマールの方が「それは面白い意見だ」という表情になった。
そして、少し声のボリュームを落として、
「……そんな『戦える』人たちを『調査官』として抱える教会って、私たちが思っている以上に、好戦的な組織なのかしら?」
ふむ。
言われてみれば。
本当に『スパイ映画に出てくる諜報員』を有するのであれば、教会というものは、表向きのイメージとは裏腹に、意外と腹黒い組織ということになるかもしれない。
マールは知らないが、そもそも教会が信奉している『神』の中身は、魔王なのだ。
風の魔王との対話で、それを知らされた時、俺は「この世界の人々は、全員、騙されている」と思ってしまった。当然のように『教会』も、騙されている側に含んで考えていた。
しかし……。
もしも教会が『意外と腹黒い組織』であるならば。
教会は『騙される』側ではなく『騙す』側なのではないだろうか?
実は教会は「『神』とは魔王である」と既に承知しているのではないだろうか?
例えば、日曜礼拝で歌わされる賛美歌。以前に推測したように、あの中には、魔王を示す単語――『ディアボリ』――が、はっきりと含まれている。民衆は知らずに歌っているわけだが、教会組織が真実を理解している場合、教会としては意図的に歌わせていることになってしまう。
これは、恐ろしい想像だ。
「マール。そういう話は、あまり大っぴらにするべきではないだろう」
ちゃんと彼女は声を潜めていたが、それでも、俺は敢えて注意した。
俺はマールにも真相は隠したままだから、彼女は、俺のような『恐ろしい想像』をしたわけではない。それでも、自分の発言が教会に否定的な方向性になることには、気づいたのだろう。
「そうね。この話は、これで終わりにしましょう」
そう言って、マールは口を閉ざした。
だから会話は、それっきりになったが……。
俺は、さらに考えてしまう。
もしも教会という組織が神の正体を知っている――あるいは加担さえしている――としても、さらに二つの可能性に別れるだろう。
教会組織に所属する全員が知っている可能性と、組織の上層部だけが知っているという可能性だ。
後者であるならば、教会組織というメンバーの大部分は、一般大衆と同じく『騙されている』ことになる。
少しかわいそうだが、俺は、後者であって欲しいと思う。宗教調査官のヴィーが、いつも『魔王』という言葉に対して、普通に嫌悪感を示しているからだ。
あれが演技とは思いたくない。だってヴィーは、共に旅をする仲間の一人だ。甘いかもしれないが、俺は彼女を信じたいと思うのだった。
結局。
この日の戦闘は、あの一度だけだった。
夕方。
そろそろ今日の船旅も終わりかな、と俺が思っていたタイミングで。
「あら、あれは何かしら?」
マールが不思議そうな声を上げた。
彼女の視線は、左の川岸に向いている。俺もそちらに目を向けると、視界に入ってきたのは、桟橋だった。
「ここも船着場……なのかな?」
そう言いながら俺は、自分でも「少し違うようだ」と思う。
俺たちが
いや『小屋』という言葉は大げさだろう。それほど立派な建造物でもない。
屋根のついたテーブルという程度だ。バーのカウンターのようにも見えるが、こんな青空の下で営業しているような、開放的な
そもそも「営業している」と言うのもおかしい。店主も従業員もいない、無人の店なのだから。
「誰もいませんが……。屋台のようですね」
パラの言葉を聞いて、心の中で「ああ、それだ!」と叫んでしまった。小屋というより『屋台』という表現の方が、しっくりくるのだ。
そういえば、イスト村の中心にある広場にも、こんな感じの屋台を使う露店商たちが、たくさんいたっけ……。
「なんだか、イスト村の中央広場を思い出すわね」
マールが、少し感傷的な声で呟く。どうやら、俺と全く同じことを思い浮かべたらしい。「思えば遠くへ来たものだ」と、ノスタルジックな気持ちになったのだろう。
そして、ノスタルジックといえば……。
マールとは違って、俺にはもう一つ、郷愁を誘うものがあった。
なんとも絵になる風景ではないか。
そんな『絵』を脳裏に思い描いたところで、俺は「昔こんな感じのプラモデルがあったなあ」と、元の世界での子供時代を思い出してしまったのだ。
たぶん『田舎の情景シリーズ』みたいな名前の、プラモデルシリーズだったと思う。建物が一つと、それを取り囲む程度のジオラマ
模型売場で見る度に気になっていたのだが、子供心に「箱絵は綺麗だけど、その通りに仕上げるのは大変なんだろうな」と思ってしまって、手が出なかった。いや、そもそも「気になる」という程度であって、積極的に「欲しい」というほどではなかった。
鉄道模型のレイアウトに組み込んだり、他のプラモデルと並べて遊んだり出来る
なんで俺の頭の中に、こんな思い出がこびりついているのだろうか? 自分でも、少し不思議だ。
おそらく異世界転生なんてせずとも、大人になった人間が子供時代を思い返して、ノスタルジーに浸ることはあるに違いない。だが、俺たちのような転生者にとっては「別の世界に来てしまった」という思いが加わる分――「元の世界には戻れない」という気持ちも入る分――、いっそう深いノスタルジーになるのかもしれない。
少なくとも俺は、そんな気持ちになることは滅多にないと思う。だが、今現在の気分を考えれば「ゼロとは言えない」ということなのだろう。
そんなことを考えていた俺は、
「そうですね。あの屋台の桟橋に、今日は停めさせてもらいましょうか」
レスピラの言葉で、現実に引き戻された。
心だけでなく、体も少し、ビクッとさせてしまったらしい。
「どうしたの、ラビエス?」
隣のマールが、不思議そうに尋ねてくる。
「いや、なんでもない。ちょっと船が揺れたから、それで……」
桟橋へ近づけようとレスピラが
「あら、大げさね。この程度の揺れで、そんな反応を見せるなんて」
マールは、それ以上は追求してこない。どうやら、うまく誤魔化せたようだ。
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