第六十一話 舟歌(ラビエスの冒険記)
水はすべての源で
水は命の源で
水がなければ生きられない
だから我らは感謝する
水の女神に感謝する
命を与えてくれた水の女神は
六神の中でも特別な存在
水の女神は
六神の中でも至高の存在
ああ水の女神よ
あなたが見守る水の大陸は
本当に素晴らしいところです
俺――ラビエス・ラ・ブド――たちの前で、レスピラが披露したのは、そんな舟歌だった。
歌い終わったレスピラは、
「これが私のオリジナル・カンティクーム……。水の女神様を賛美する歌です」
そう言って、満面の笑顔を俺たちに向けたのだが……。
正直、感想に困る歌だった。
なまじ、あらかじめ本物のカンティクームに関する話を聞かされたせいかもしれない。カンティクームには古代言語が使われている、という事前情報のせいかもしれない。
賛美歌とか宗教曲とか、そういったイメージが、先に頭の中に定着していたのだ。それの翻訳版みたいなものだろう、という先入観があったのだ。
それと比べると……。
言語云々ではなく、全体的な曲の印象や歌詞の内容が、単純で稚拙に思えてしまった。もちろん、俺には音楽的なセンスなんてないから、あくまでも素人意見なのだが。
良く言えば「昔懐かしい感じ」という言葉で表せるのかもしれない。
そう、幼い頃に慣れ親しんだ童謡だ。
いや、童謡というより、小学校低学年で習ったような歌だろうか。
俺が通っていた小学校では、音楽の教科書とは別に、色々な歌の収録された『おうたのほん』というものを持たされていた。いわゆる唱歌集というやつだろう。
その『おうたのほん』は、文庫本より少し大きいくらいのサイズで、文庫本と同じくらいの厚さだった。紙は文庫本よりも厚い材質だったと思うから、全体のページ数は一般的な文庫本より明らかに少なかったはず。それでも、かなりの曲数が記載されていたのは間違いない。
以上は元の世界の思い出であり、この世界の人間には共感できない経験だろう。それどころか、あくまでも「俺が通っていた小学校では」という話なのだから、もしも同じ転生者であるパラと語り合う機会があったとしても「何ですか、それ?」と言われてしまいそうだ。
そんなことを俺が考えていると、
「いい歌ですね、レスピラさん」
しみじみとした口調で、パラが賛辞を口にした。
これは……。お世辞なのだろうか? それとも、本当にパラは『いい歌』と思っているのだろうか?
彼女の表情を見ても、どちらなのか、俺には判断できなかった。
とりあえず、他の者たちは何も言わないので、俺と同様に、特に感動もしていないようだ。
ヴィーに至っては、顔をしかめている。教会の人間である彼女にしてみれば、六神――風・土・水・火・光・闇――の中で、水の女神だけを特別扱いするような歌詞が、気に障るのかもしれない。
しかしレスピラは、そんなヴィーの態度には気づいていないらしい。
「まあ! お気に召しましたか!」
「はい。そういう素朴な歌、私は好きです」
パラの『素朴』という表現は、俺の『単純で稚拙』という感想と似ている気もする。ただ、好意的に言い換えただけだ。
一瞬、俺はそう思ったのだが、
「思わず、私も一緒に歌いたくなるくらいで……」
そのパラの言葉で、ようやく理解した。
お世辞でも何でもなく、本当にパラは、レスピラの歌を気に
「では、今度は一緒に歌いましょう!」
レスピラは嬉しそうに応じると、
「みなさんも、ご一緒にどうですか?」
俺たちにまで、歌おうという誘いを向けてきた。
「いいや、結構」
ヴィーは、はっきりと口に出して断ったし、他の者たちも、首を横に振っている。
そもそも俺は、どんなに『単純で稚拙』な歌であっても、一回聞いただけでは、音程やリズムなど覚えられない。楽譜があれば話は別……と言いたいところだが、正直、楽譜を見ただけで『音』が思い浮かぶほどの音感もない。教会の日曜礼拝では、周りにたくさん同じ賛美歌を歌う人がいるおかげで、何とかなる――歌えている気分になれる――のだが。
その意味では、この状態で一緒に歌えるパラは凄いと思う。
そして。
レスピラとパラの二人は、声を揃えて歌い出した。
「水はすべての源で……」
パラは、すでにレスピラの『水の女神様を賛美する歌』を覚えてしまったらしい。ちゃんと彼女と同じ音で歌っている。
パラと知り合った頃、日曜の礼拝で初めてパラの歌声を耳にした時にも思ったが、パラは、よく響く美しい歌声の持ち主だ。今、二人が歌っているのを聴いても、作詞作曲者であるレスピラよりも、パラの方が上手に、綺麗な声で歌っているように思える。
「きれいな合唱ね」
俺の隣で、マールが呟く。
その言葉を聞いて、ふと思ったのだが、はたしてこれは『合唱』なのだろうか?
こちらの世界ではどう定義されているかわからないが、俺の元の世界では、音楽の授業で「パートが複数ある場合は『合唱』ですが、単独の場合は『斉唱』です」と教わった覚えがある。
なるほど、二部合唱とか四部合唱という言葉はあっても、一部合唱という言葉は、少なくとも俺は見たことがない。それに、式典などで国歌が歌われる時だって『国歌合唱』ではなく『国歌斉唱』という言葉が使われていた。
だから子供の頃は「みんなで歌っても、声部が単独ならば合唱ではない!」と理解していたのだが……。その後、学校の授業とは別のところで――日常生活の中で――『斉唱』を『合唱』と呼ぶ場面を、何度も見るようになった。おそらく、その場合は、大人数が声を合わせて歌うことを『合唱』と定義しているのだろうが……。
俺が、そこまで考えた時。
突然、パラの音程が、レスピラの歌声から外れた。
「……ん?」
リッサが、真っ先に違和感を覚えたようだが……。
別に、パラは間違えたわけではない。
彼女は即興で、『斉唱』を『合唱』に変えてみせたのだ。
あくまでも、ほんの一節だけだったが、部分的だからこそ際立つ良さもある。
音楽に詳しくない俺には、理論的なことはわからないが、和音とかそういうものを、きちんとパラは考慮に入れているのだろう。いわゆる『ハモリ』というやつなのだろう。音と音とがぶつかるような、耳障りな不快感は全くなかった。
こういうことが出来るのは、パラの音楽的センスの証に違いない。俺は、素直に感心してしまう。
考えてみれば。
パラは以前に、副次詠唱に音と
あの時パラは「歌うことが好きなので」ではなく「歌うことが好きだったので」と過去形で語っていた。今にして思えば、あの「歌うことが好き」というのは、彼女の転生前の話だったのだろう。
おそらく、元の世界にいた頃のパラは、趣味あるいは仕事で、音楽――特に歌うこと――に携わっていたのだ。
例えば俺は、ウイルス研究の中で得た知識や経験を、ささやかながら、冒険者や治療師としての生活に活かしているつもりだ。それと同じで、パラの副次歌唱も、転生前の個人の特性を利用するという実例だったのだろう。
レスピラと一緒に楽しそうに歌うパラを見て、俺は今さらながらに、そんなことを考えてしまった。
結局この日は、一度も戦闘がないまま、夕方になった。
「では、今日は、この辺で……」
昨日と同じく、
そして夕食の後、テントで宿泊して……。
翌朝。
船旅三日目――この大陸での四日目――となる、金曜日。
「大変です!」
テントに駆け込んできたレスピラの大声で、俺たちは叩き起こされることとなった。
「なんだ、なんだ?」
「一体どうしたというのだ……」
俺たちは、寝ぼけ
「見てください!」
空を指し示す彼女に従って、俺たちも見上げると……。
パラパラと、雨が降り始めていた。
「なんだよ、まだ小雨じゃねえか」
センの呟きには、俺も同意したい気持ちだ。
俺としては、降り出した雨そのものより、黒い雲に覆われた空の方が気になった。
これでは空が暗いから、まだ「夜が明けた」という気分がしない。朝になっても目が覚めなかったのは、当然だろう。つまり、体が「まだ寝ていて大丈夫」と認識していた状態から、無理矢理に起こされたようなものだ。
「昨日の夜は晴れていたから、油断していました。いつもは、空に雨雲が出た時点で、準備するのですが……」
そんなレスピラの説明に対して、
「川の上にいる時でなくて、良かったな」
「ちょうど私たち、テントの中でしたからね」
リッサとパラは、のんきな言葉を返している。
慌てているのは、レスピラ一人だった。
「何を悠長なこと言ってるんですか! このままでは……。早くしないと、旅が続けられなくなります!」
「……?」
まだ理解していない俺たちに対して、レスピラは、決定的な言葉を吐いた。
「船が水没します!」
夕方、レスピラが
「あれは、一時的な雨対策に過ぎません。まともに雨が降り続くような場合、あの程度では、雨水は防げませんし……。そもそも、いくら
レスピラは、俺たちと共に
だから雨の日は、
「おお、貴様たち。ようやく来たのか」
全員で作業を手伝うということで、小雨の中、ヴィーは先に
レスピラの指示に従い、みんなで力を合わせて、船を陸に引き上げる。その作業をしながら、俺は、ふと尋ねてみた。
「レスピラは力持ちだと思ったが……。さすがに、これを一人でやるのは無理なのか」
彼女は俺の方を見ようともせず、
「馬鹿なこと言わないでください」
呆れているような声だ。
しかし、俺以外にも、同じことを考えていた者はいたらしい。
「あら? 大きな船を一人で漕ぐくらいだから、少なくとも『力持ち』は否定できないでしょう?」
「おお、そうだ。武闘家の俺から見ても、あんた凄いぜ。冒険者にスカウトしたいくらいだ、って前々から思ってたんだ」
マールとセンが、そんな反応を示したのだ。
ところが。
「みなさんは、どうやら誤解しているようですね……」
作業を続けながら――手は動かしながら――、レスピラは苦笑する。
「私が使っている
レスピラの説明は、力仕事をしながら聞く話としては、なかなか興味深いものだった。
彼女の
「そうでもなければ、私一人で、この大きさの
レスピラは、そう言って笑顔を見せた。
「なるほど……」
もちろん彼女は魔法士ではないが、ある程度の魔力はあり、それを活かして働いているわけだ。
そう。
この世界の人間ならば、誰でも潜在的に『魔力』を持っているのだ。これは、東の大陸でも共通の現象だった。
例えばマールのように「少しくらいなら魔法を発動できるが、魔力コストの関係で実用レベルではないので、実質的には『使えない』という扱い」という者もいるが、この世界の大多数は「魔法なんて全く発動できないけれど、魔力だけは持っている」という者たちだろう。
全員が潜在的に魔力を保持するということは……。外見的には同一であっても、俺の元の世界とは、人間の肉体そのものが――遺伝子レベルで――違うのだと思う。以前に俺が、ラゴスバット城とネクス村の事件において『人間を透明にする遺伝子』なんて無茶な想定をして、それで成功したのも、ある意味「遺伝子レベルで違う」という証だったのかもしれない。
こうやって、元の世界とこの世界における人間の肉体そのものが違うと考えると、俺のような転生者たちの『転生』の仕組みも、上手く出来ていると言えよう。
転生者は、この世界の人間に『憑依』する形で『転生』しており、この世界の人間の体を使わせてもらっている状態だ。もしも憑依転生でなければ――元の世界の肉体のままで転生していたら――、魔力がなくて、一発で「異世界から来た!」と露見していたに違いない。
そもそも、この世界では魔力を持っていないと、日常生活を送る上でも困っていたはずだ。例えば照明器具もそうだが、たいていの道具は、魔力を込めることが前提の仕様になっているのだから。この世界では、電力の代わりが魔力のようなものなのだ……。
そんなことを俺が考えていると、
「魔力を込めると威力がアップするというなら、その
ヴィーが、レスピラの道具を武器だと断じていた。
「おお、そうだぜ! それこそ、ヴィーさんに教わったらどうだ? あんたも立派に戦えそうだぜ!」
そんな言葉をレスピラに向けたセンは、おそらく頭の中で、一昨日ヴィーが披露した『突き』の型を思い浮かべているのだろう。
「ふむ。船の上では無理だが、
ヴィーも、そう言っているが。
当のレスピラは、激しく首を横に振っていた。
「馬鹿なこと言わないでください! これは
水の女神を模した装飾が船首に施されているから、
ただし、『神』の中身が魔王であると察している俺などは、少し複雑な気分になってしまうのだが……。
ふとパラに視線を向けると、俺と目があった彼女は、少し苦笑しているように見えた。パラも、俺と似たようなことを考えていたのかもしれない。
船を陸に引き上げて、逆さにして、シートで覆った時点で。
雨が激しくなってきた。
「今日は一日……。いや、少なくとも、雨が
専門家であるはずのレスピラがそう言うので、俺たちは素直に従って、テントの中へ。
就寝する場合と同じく、五人と二人に別れて、二つのテントを使う。
冒険者用のテントに入り、俺が腰を下ろすと、マールが隣に座る。彼女は、誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。
「『水は命の源で』とか『だから我らは感謝する』とか、レスピラは歌っていたけど……」
マールの発言で、俺は、楽しそうに舟歌を披露していたレスピラの姿を思い出す。
おそらく、テントの中の全員が、似たような光景を思い浮かべたことだろう。
それを知ってか知らずか、マールは、言葉を続けていた。とても納得できる言葉を。
「その意味では、雨も、天からの恵みの水だろうけど……。多すぎるのも、ちょっと困りものね」
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