4.たたかい


 背後を振り返る。


 シエラから数メートル先に、複数の影があった。

 その姿は大柄で強面な犬……と解釈できなくもないが、黒い体毛の身体から黒いもやのようなものを立ち上らせている以上、明らかに敵性存在と判断するべきだろう。

 《エレビオニア・オンライン》で同じ姿の敵を見たことはないが、シエラの記憶で最も近い魔物で表現するのならば――仮称《ブラックハウンド》。

 基本的には初心者向けの低位の魔物で、能力は平凡だが群れで行動する点と、素早さが高い点が特徴として挙げられる。

 

「こんな距離まで気付けなかったとはな……!」


 よほど自分は動揺していたらしい、と思いつつ静かに振り返り、背の大剣を引き抜く。

 作業用手袋を兼ねる手袋を装備しているため滑ったりはしないが、じっとりと嫌な汗をかいているのを感じる。

 この世界の現実感があまりに高いのは先に述べたとおりだが、それは魔物にも適用されるのだ。

 刺々しく逆だった体毛に、鋭い牙。

 シエラの気のせいでなければ、その口から垂れる涎は地に落ちた瞬間「ジュッ」と音を立てて草を溶かしているように見える。

 

 数は4。広がって包囲しつつじりじりと距離を詰める様は、相当に腹をすかしているらしいと見える。

 

「……かかって、くるがいいっ!」


 シエラの気合を入れた声に、しびれを切らした一体が突っ込んでくる。

 ほぼ静止状態からの突進だったにもかかわらず、かなり速度が出ている。

 しかし、そこはシエラも伊達に10年間ファンタジー系RPGをプレイしていない。

 敵の突進経路から身体をずらしつつ、代わりに大剣をそのルートに置くように振りかぶる。

 

 その攻撃(というよりもカウンター)は、綺麗にブラックハウンドの牙と牙の間に入り込み――

 

「――せっ!」


 ほとんど手応えや引っ掛かりもなく、魚でも下ろすかのような断面を見せつつ、その黒い身体を両断した!

 

「ふン、そんなもの――かっ!」


 ぬるりとした斬り心地に一瞬心がぞくっとするものの、自分に気合を入れて即座に再起動。

 軌道を変え、今度は自分から踏み込み――振り抜く!

 下から振り上げられた大剣は飛びかかりつつあったブラックハウンドの前脚と胴を切断、吹き飛ばす!

 

「次――、っ!?」


 はじめての戦闘で、シエラは緊張と恐怖から視野狭窄を起こしていた。

 二匹目を切り伏せた時点で三匹目は意識にあったのだが、同時に反対側から飛びかかる四匹目から完全に意識がそれてしまっていた。

 それは一瞬のことだったが、戦いにおいてはその一瞬が命取り。

 三匹目は大剣の刃に阻まれて命を落としたが、四匹目に左腕を噛まれてしまう!

 

「ぁ、つ――っ!!」


 瞬間、全身に伝わる、熱。牙による物理的な痛みと涎の酸が合わさり、長らく痛みというものと無縁だったシエラに強烈なインパクトを与え、思考不能にする。

 

「だ、誰か――」


 パニックに陥り腕を振り回すも、がっちりと食い込んだ牙は抜けず、抵抗されたと思ったブラックハウンドは更に強い力で噛みつき直す。

 自分はこんなところで死んでしまうのか――そう思った瞬間、

 

「離れやがれ、……このクソ犬がッ!!」


 男性の裂帛の気合とともに振り下ろされる刃が、ブラックハウンドの首筋に突き刺さり、絶命させた!

 

 ブラックハウンドの牙が抜けるのを確認した後、シエラはへなへなとへたりこんでしまった。

 死ぬかと思った――それが偽りない本音であった。

 まだ熱を持つ左腕を無意識に抑えながら、自分を救った者を見上げる。

 

「間に合ってよかった。お嬢さん、大丈夫かい?」

 

 そう声をかけて手を差し伸べたのは、街の衛兵マーカスであった。

 

 

「ブラックドッグの毒は長引きはしないがダメージは馬鹿にしちゃいけない、これで治療しておくといい」


 マーカスは手を掴んだシエラを起こしつつ、腰から小瓶を取り出す。

 それは青色の液体と黄色の液体が複雑に絡み合う、不思議な雰囲気の液体であった。

 (あの魔物はブラックドッグというらしい。当たらずも遠からずといった雰囲気であった)

 

「その――、助かった。礼を言う」


 小瓶を受け取りつつ、シエラは頭を下げる。


「いや、大事にならなくてよかった。君みたいな若いお嬢さん一人でどうしてこんなところに……おや、あまり傷は深くないようだね……?」


 不思議そうな顔でマーカスが傷口を観察しながら言う。

 シエラも意識を向けてみるが、たしかに最初の印象よりは痛みはないし、あまり深手を負った感覚もない。

 ゲームのようにHPゲージとMPゲージが見えるわけではないが、この程度の傷ではほとんどダメージを負ったという感じはしないのである。

 それでももらった厚意は無駄にすまい、と小瓶の蓋を開け、怪しい色の液体を一気に飲み干す。

 

「ぅえっ、に、にが……」

「はっはっは、味がキツい代わりによく効くと評判のアーラム錬金術工房のポーションだ、傷もきっとすぐによくなるさ」


 見た目からおいしくはないだろうと内心覚悟していたにもかかわらず、あまりの苦味に盛大に顔をしかめるシエラと、その顔を見て笑うマーカス。

 だが、その効果は本当に確かなようで、左腕が淡い緑色の光に包まれたかと思うと、十秒前後で傷はふさがり、残ったのは袖に開いた小さな穴のみとなった。

 

「うむ、本当に礼を言う。たしかに良い薬だ」

「はは、そうだろう。そういえばこれ以外の三体の死体……あれは君が?」


 シエラの周りに転がっている綺麗な断面を見せたままのブラックハウンド改めブラックドッグの死体に対して、マーカスが驚きを隠せずに問う。

 

「ん、ああ。……なにぶん戦うのが”久しぶり”でな、ドジってしまった」


 シエラは落ちていた大剣を持ち上げつつ答える。

 マーカスが見る限り、その大剣のこしらえはかなり豪華なもので、間違っても駆け出しの冒険者が持っているようなものではない。

 そもそも、この少女が見た目通りの肉体であったなら、身長と同じ刀身の大剣を持ち上げることはできないはずである。


 戦闘は久しぶりという返答や見事な装備と、綺麗な断面の死体。そして先ほどのブラックドッグにかみつかれているときの反応があまりにちぐはぐで、マーカスは首をひねる。だが、彼は持ち前の人の良さを発揮してとりあえず疑問を胸にしまうと、シエラに笑顔を向けた。

 

「まあこのへんはちらほら魔物の目撃情報もあるところだ、送っていくから一旦街へ戻らないかい、お嬢さん」

「わかった、すまんな。……それと、わしはシエラ。シエラ・ナハト・ツェーラじゃ。……お嬢さんと呼ばれるのは、すこしはずかしい」

「了解、よろしくね、シエラちゃん」


 シエラちゃん……とシエラは少し考えてしまったが、相手は恩人であるし、特に何も言わずに受け入れることにした。

 

 

 こうして、シエラの初戦闘は引き分けあるいは判定負けという雰囲気で終了したのであった。

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