第39話 優しい偽り

「勝っちまったなぁ……」

「勝っちゃったわね……」


 ローザリッタとライスフェルトの話し合いが終わるまで、屋敷の外で待つことになったヴィオラとリリアムは、何とも陰鬱な息を吐いた。


 そんな二人の腰には大小の太刀が差してある。

 屋敷には刃物の類は持ち込めなかったので、ここまで馬車を引いてきた御者の男に預けていたのだが、彼はこの村の出身らしく、マウナの計らいで話が終わるまでの間、家族の顔を見に持ち場を離れていた。


 屋敷が建っている場所も村の中には違いないが、家屋が集まる中心からはかなり離れている。賊の侵入は往々にして外縁部から。つい先日、この周辺を野盗たちがうろついていたことを鑑みれば、残党がいないとも限らない。二人の再武装は、マウナの警護を兼ねてのことだ。


「あの子の何でも手を抜かない性分は嫌いじゃないけど、だいたいそれで事態を悪化させるわよね」

「まったくだな。それにしたって、何の話かね?」

「そりゃ、婚儀の段取りとかじゃないの?」


 二人の話し合いの内容は定かではないが、のことについてであることは想像に難くない。負けていれば断ることも楽だったが、一度、希望を与えてから摘み取ってしまうのはどうにも後味が悪かった。たとえ、それが当人でなくとも。


 しかし、だとすれば――


 ちらり、とヴィオラは馬車馬を撫でているマウナを見やる。

 その手つきは心ここにあらずといった様子で、覇気がなかった。ヴィオラは首を傾げる。


「おーい、当主代理」

「えっ、あ、はいっ」

 呼びかけにマウナが肩を揺らした。ますますもって不審。


「さっきから、えらくぼうっとしているが、何かあったのか?」

「ああ、いえ……その、本当に勝ってしまったと思いまして」


 そう言って、マウナは苦笑を浮かべる。


「あんたがそれを言うのか。望んでいたことだろう?」

「ローザリッタ殿の力量を疑っていたわけではありません。ただ、それでもあくまで可能性があるというだけでしたので」

「……まあ、な」


 ヴィオラの主観では、ライスフェルトは正真正銘の化け物だった。

 一合たりと打ち合うことはなかったが、その水面下で静かに繰り広げられた苛烈な攻防、手の内の読み合いはローザリッタの完全敗北だ。その力量は、彼女が知り得る限りの最強の遣い手――『王国最強』にさえ届き得るかもしれない。婿探しに難儀するのも道理である。


 本来ならば、ローザリッタでも勝てない相手だったのだ。最後の悪あがきがたまたま功を奏しただけ。一本取れたのは奇跡にも等しい偶然だ。


「ですが、ようやくライスフェルトとの約束を守れそうです。これで、心の病が快復してくれればいいのですが……」


 祈るように目を伏せるマウナ。

 血を分けた弟が苦しみから解き放たれること。彼女の望みは本当にそれだけなのだろう。そのためには女同士の婚姻であろうと厭わない。弟に対する確かな愛情がそこにはあった。

 しかし――


「……水を差すようで悪いがな、当主代理。あたしは、上手くいかないと思う」

「え?」


 マウナは目を見開いて、ヴィオラを見やった。

 痛ましげな表情で腰の鞘に指を這わせる。


「あんたの言う通り、このままお嬢と結婚すれば当主は安心するだろう。当面の間はな。人の口に戸が立てられない以上、いつまでも騙し通せるはずがない」


 仮に漏洩しなくとも、結婚すれば跡継ぎの問題も出てくる。女同士では子が成せない以上、養子を取るしかない。だが、そんなことになれば、ますます隠し通すことが困難になる。マウナのやろうとしていることは、現状に対する対処であって解決ではないのだ。


 少し考えれば、わかること。

 そんなことに気づけないほど、彼女もまた切羽詰まっていたのだろう。


「当主が自分よりも強い男を婿にと言ったのは、あんたのことを第一に考えたからだろう。あんたを傷つけたくない。悲しませたくない。幸せになってほしい。その一心で、当主は自分を幽閉させたんだ。なのに、あんたが弟のために自分の幸福を捨てるのなら……そのことを知った当主は悲しむんじゃないか?」

「それは……」

「あんたは昨日、弟が苦しんでいることに気づいてあげられなかったと自分を責めていたが、さっきの遣り取りを見ている限り、あんたと弟の仲は極めて良好だ。変化に気づけないはずがない。だとしたら、弟の方が気づかれないようにと考える方が無難だろう。……そこが、あたしには腑に落ちないんだ。慈愛を保ちながらも、首を斬るというのがキルハルスの教義。その板挟みが忘我の病の原因だって話だが、悩みとしてはだ。あたしは別に隠す必要性を感じない」

「では……」

「当主は、まだあんたに打ち明けていないことがあると思う。今だってそうだ。どうして、あんたが話し合いに呼ばれない。二人だけで話す必要がどこにある。あんたはきっと、真相ってやつに辿り着いていないんだ。でもな、それを恨むのはお門違いだ。だって、


 そう、マウナもまたライスフェルトに打ち明けていないことがある。

 せっかく見つけた婿が、婿にはなり得ないこと。女であること。それを隠匿することは、世間一般では――『騙す』という。


「姉弟揃って騙し合い。それがいい結果を生むとは、あたしには思えないな」

「では……では、どうすればよかったというのですかっ? ローザリッタ殿を超える遣い手が現れるまで、更に待てと言うのですか!?」


 マウナの語気が強まる。三年もの月日をかけて現れた、千載一遇の機会。それをみすみす――そんな思いが抑揚に如実に表れていた。


「わからん」

 ヴィオラの返事に、マウナは信じられないものを見るような目つきになる。

 散々説教をしておいて、代案もなく、ただ一方的に否定しただけ。気分を害しても仕方がない。


「でもな、そんなあんたたちを見たおかげで、あたしも思ったんだよ。向き合わなきゃならないってな。お嬢も何かを抱えているんだ。あたしはそのことに気づいていながら、言い出してくれるのを待っていた。あれこれ詮索するのは傷つけるからって自分に言い訳して、腫物のように扱うことを心のどこかで容認していた。でも、もしお嬢も同じようにこのまま言い出せなかったら……あんたの弟と同じになるんじゃないかってな」


 姉代わりを自負している自分や、友と認め合ったリリアムにも言えない何か。

 無理やりで聞き出すことが最適とは限らない。多くの場合は、彼女の想像通り無遠慮な詮索によって傷つけてしまうものだ。けれども、そういった思いやりのすれ違いがかえって事態を悪化させることもある。


 その果てにあるものが、今回のような顛末であれば――ヴィオラは姉代わりとして考えを改めざるを得なかった。


「……それでも、私は――」

 マウナが何かを言いかけた、その時だ。


「「――!?」」

 ヴィオラとリリアムは驚愕の表情を浮かべ、屋敷の方を振り返った。


「……どうされたのですか?」

 二人の態度の急変にマウナが首を傾げる。

 彼女だけが異変に気づいていない。いや、熟達の剣士の鋭敏な感覚でしか感じ取れないほどの、ささやかな違和感。


 ――ぎちり。

 それは果たして、何の音だったのか。


 その瞬間、異変は起きた。

 柱が折れ曲がる嫌な音。自重に耐えかねた壁に大きな亀裂が入り、ゆっくりと傾きながら砕けていく。屋根瓦が雪崩のように滑り落ち、雷鳴のようなけたたましさがあたりに響き渡った。


 地震が起こったわけでもない。空から何かが降ってきたわけでもない。崩落する要素など何もなかったのに、屋敷は土煙を巻き上げながら瓦礫の山と化していく。


 その光景に、三人は思わず絶句する。

 欠陥住宅だったのか。いや、キルハルスの財力で建築した屋敷が粗末な造りであるはずがない。ましてや、幽閉するための牢屋。頑丈さで言えば、一般的な家屋よりも強固であるはず。そんなものが、一体どうして――


「まずい、お嬢が下敷きに――!?」


 真っ先に正気を取り戻したのがヴィオラだった。

 崩落した理由などはどうでもいい。重要なのは、あの中に二人が取り残されたという現実。あれだけの瓦礫に押し潰されれば命が危ない。いや、もしかしすれば、既に――


 ヴィオラがもくもくと立ち昇る土煙の中に飛び込もうとしたその時、煙の向こうから人影が飛び出してきた。それは地面に強かに打ち付けられ、毬玉のように跳ね転がる。


「お嬢!?」

 慣性を使い切って倒れ伏した影の正体に気づいたヴィオラの顔から、一気に血の気が引いた。脱兎の勢いで駆け寄り、何度も繰り返し名前を叫ぶ。


「う……」

 返ってきたのは、小さな呻き声。

 桃色の唇からは細い息。心臓も動いているし、目立った怪我もしていない。最悪の事態が避けられたことに、ヴィオラは心の底から安堵した。


「よかった……よかった……」

 泣きそうに顔を歪め、ヴィオラは気絶している主人を抱きしめた。


「ライスフェルト!? ライスフェルトは――」

「待って!」

 慌てたマウナが駆けだそうとするのを、リリアムが制止する。


「完全に鎮静化したわけじゃないわ! 闇雲に飛び込んだら、かえって危険よ!」

「ですが……っ!?」

 言い募ろうとしたマウナが息を呑む。

 怜悧な風貌がどんどん険しくなり、信じられないと言わんばかりに青ざめた。


 土煙が晴れる。無残に崩れ去った屋敷の全容が露わとなる。

 その中心。瓦礫の山の上に君臨していたのは――禍々しい闇色の光輝を双眸に宿した、ライスフェルトだった。


「……只事じゃないわね」

 リリアムが反射的に腰の太刀に手を添える。理屈ではなく、理解ではなく、戦士としての本能が彼女に臨戦態勢を促していた。


「ライスフェルト……」

 マウナが膝から崩れ落ちる。

 きっとこれが、ライスフェルトが恐れていた展開。

 無意識に首を断つ、忘我の凶刃の顕現。


 ――間に合わなかった。

 絶望がマウナの胸裏を埋め尽くしていた。

 今のライスフェルトにはあの優し気な眼差しも、軽口を言い合った時の無邪気さもない。まるで別の人間のように豹変している。


 ライスフェルトは無言で瓦礫の絨毯を悠然と歩き始めた。

 その視線はヴィオラの腕の中で気を失っている親友を捉えて離さない。

 リリアムは直感した。彼は、ローザリッタを殺そうとしているのだと。


 逃げるか。いや、無理だ。

 自分一人ならばいざ知らず、気を失ったローザリッタ、荒事に向いていないマウナを連れて逃げるのは分が悪い。下手をすれば、村の人間を巻き込む可能性がある。業腹だが、応戦するしかない。


「ヴィオラさん!」

「……ああ」


 ヴィオラはローザリッタをそっと地面に横たえると、リリアムに並んだ。そして、ライスフェルトの歩みを阻むように立ち塞がる。


「……やっぱり、屋敷の倒壊はライスフェルトさんが?」

「だろうな。状況からして、それしか考えられない」

「非常識ね」


 リリアムは笑わなかった。

 正しく建造された家は簡単に壊れない。人間程度の質量が生み出す暴力で壊れるようであれば、長雨や暴風、降り積もる豪雪などの自然の猛威には到底耐えることはできない。

 それを壊した。徒手空拳で。

 普段なら、そんな荒唐無稽な発言など、信じろと言われても信じない。だが、似たようなことを成し遂げた者がすぐそばにいる。


「一個、心当たりがある。お嬢のだ。もし、あれと同質の現象だとしたら、相手が徒手空拳だろうと手加減は無用。なんせ、お嬢はで灯篭を斬りやがったからな……リリアムは灯篭を斬れる相手に勝てるか?」

「やってみなければわからないわね。けど、友達が命を狙われているのに、四の五の言っていられないわよ」

「だな。ここでお嬢を放って逃げたら、お館様に殺されちまう」


 忘我状態のライスフェルトがどれほどの脅威か測ることはできない。

 文字通り、蓄積した技術や経験の全てを失念しているのなら、戦いようはある。しかし、マウナの話を聞く限りそれを期待するのは間違いだろう。今の彼は一切の不純物を含まない首狩りの魔刃そのもの。慈悲もなく、憎悪もなく、ただ首を斬るためだけに全ての能力を行使する機械。


「ヴィオラさんが上、私が下。どう?」

「乗った。元天才の実力、見せてやるよ」


 ――それでも、二人には退けない理由があった。 


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