第34話 首斬り一族の内情

「む、婿って……わたしが!?」

 マウナの言葉に、ローザリッタは激しく狼狽した。

 彼女はベルイマン男爵家の嫡子。今は剣術修行を一番に考えているが、いずれ迫られるであろう結婚や出産は、貴人として生まれた自分の責務であると捉えているし、それから逃げようとも思っていない。……が、婿を取ることは想定していても、自分が婿入りする可能性については一切考慮していなかった。まさに青天の霹靂だ。


 ……当たり前である。

 未来においては定かではないが、当世では女と女は法的に結婚できないのだから、女が婿に入るという状況を想定する方が難しいだろう。そもそも、言葉として破綻している。


「むむむ無理です!? わたしは故あって旅をしていますが、将来的には家を継がねばならない身です! 他家に行くわけには!?」

「……真に受けるなよ、お嬢」


 目をぐるぐるさせているローザリッタに、こめかみを押さえるヴィオラ。

 女と女は結婚できない。そんな子供でも知っているようなことを知らないほど、目の前の女性は白痴ではないだろう。言葉の裏に並々ならぬ事情があることが窺える。


「女であっても構わないってことは、言い換えれば結婚そのものは偽装でも構わないってことよね。重要なのは、あくまでってこと?」

 混乱が続くローザリッタに代わって、リリアムが話を進めた。部外者である分、幾許か冷静だ。


「仰る通りです。もちろん、殿方であれば最高の形でしたが――」

「時間がないから妥協する、と。何にせよ、突拍子過ぎるわね。理由くらい説明してくれてもいいんじゃないの? いきなり婿になれって言われて、はい、なりますってなるわけないでしょ、普通」


 もっともな主張に、マウナは静かに頷いた。


「……返す言葉もございません。シャーロウに勝る遣い手など現れないと諦めかけていたので、喜びのほうが勝ってしまいました。ですが、立ち話で済ますには、いささか長く時を要します。馬車を手配しますので、お連れの方ともども、我が家へお越しください」

「……断るって選択肢はあるのかしら?」

 リリアムの問いかけも当然だ。はっきり言って、厄介事の匂いしかしない。


「シャーロウから聞きました。マルクス殿。あなたは剣の腕を磨くために、より強い相手を探しているそうですね。当家はストラ地方最強のキルハルス。きっと、あなたを満足させる遣い手をご紹介できると思いますが」


 そう来るわよね――と言わんばかりにリリアムは肩をすくめ、視線をローザリッタに向けた。さすがのローザリッタも神妙な顔つきだ。こんな胡散臭い話を聞かされた後では、さすがに警戒する。


「どのみち後日訪ねる予定だったのです。……お話だけでも伺いましょう」



 †††



「大きな屋敷ね……」

 リリアムは落ち着きがなさそうにきょろきょろと周囲を見渡す。

 迎えに来た馬車に乗り、街外れの豪邸に案内された三人は、中庭に面した一室に通された。その一部屋だけでも、三人が宿泊している旅籠の部屋の数倍は広い。


「そうか? 子爵家の譜代家臣なら、こんなもんだろ」

 ヴィオラが茶をすすりながら答える。

 鼻孔をくすぐる濃厚な香りと、舌先に広がる渋みと旨み。庶民たちが代用品として嗜む花草茶ではなく、れっきとした茶葉だ。一部の豪商でなければ飲むことも匂いを嗅ぐこともできない高級品。それだけでキルハルス家の地位が窺える。


「そっか。忘れてたけど、あなたたちってやんごとない身の上だったわね」

「まあ、一応は」

「やんごとないのはお嬢だけだ。あたしは庶民だよ」


 茶菓子を口に放り込むヴィオラに、リリアムは小首を傾げた。


「貴族の屋敷の人間は使用人に至るまで、親族や家臣の身内がほとんどだって聞くけど、ヴィオラさんは違うの?」

「あたしはもともと孤児だからな。お館様の気まぐれで拾われたんだよ」

「……ごめんなさい」

 リリアムが気まずそうに表情を曇らせる。他人の過去に軽々しく踏み込んだことを恥じるように。


「気にしてないさ。事実だしな。どうしようもない悪童だったあたしが、よくもまあ更生できたもんだ。もし、お館様に出会えなかったら――きっと、あたしもあの墓石の下だったろうさ」


 苦笑を浮かべながら、ヴィオラは視線を中庭へ向けた。縁側の向こうに広がる庭園には無数の石が立ち並んでいる。


 ……墓石だ。

 その数は十や二十ではきかない。屋敷の庭に墓地があるのではなく、墓地の中に屋敷が建っているのではないかと思えるほどに。


 その墓石は、キルハルスの一族が代々斬首してきた者たちの墓だという。

 死罪を言い渡された者たちには家族の縁を切られることも多い。そういった行き場のない骸を弔っているのだ。


 自身を悪童と称する通り、ヴィオラの過去も決して清いものではない。

 生きるためとはいえ他人を傷つけてきた彼女からすれば、そういう未来も有り得たと痛感させられる風景。


「ま、斬首なんて良心的な方法じゃなかったかもしれないけどな」

 死刑にもさまざまな形態がある。磔、火炙り、絞首。罪状によっては、あえて苦痛を与えて死に至らしめることもある。確かな腕前を持つ介錯人に首を断たれるのは、むしろ幸福なことだろう。


「言い方を変えれば、この墓石の数だけ、安らかに死を迎えられた罪人がいるということですね」

「――左様」

 その時、部屋の扉が静かに開かれた。


「死罪を言い渡された者たちを、いたずら傷つけず、苦しめず、ただ一刀を以って命と共に罪を両断する慈悲の剣。それこそが、キルハルスの意義です」


 扉の向こうから現れたのはマウナである。

 公務のための礼装を脱いで、いくらか気軽な恰好をしていた。とはいえ、さすがに譜代家臣筆頭。飾らない衣装であっても、どこか余人とは異なる上品さが滲み出ている。


「殺風景な部屋でお待ちいただいて、申し訳ないとは思います。ですが、我々の事情を理解していただくには、この部屋が相応しいと思いまして」


 言い置いて、マウナはたおやかに三人の対面に座った。

 動作の一つひとつに育ちの良さが見て取れる。介錯人――どう取り繕っても、血なまぐさい一族――の当主とは思えない挙措。思わず姿勢を正してしまう。


「お気になさらず。それで、女であるわたしを婿にしたいというのは、どういった了見なのでしょうか。何やら、尋常でない事情がおありの様子ですが……?」

「……全ては、我が弟のためです」

 一拍を置いて、艶やかな朱唇が言葉を紡いだ。


「弟さん……?」

「先程、お伝えした通り、私は当主代理。本来の当主はライスフェルト――私の弟が務めております」

「……それは、ずいぶんとお若い」

 ローザリッタは驚きに目を開く。

 マウナはどう見積もっても二十代前半だ。その弟となればもっと若いはず。下手をすれば十代。ローザリッタの父が三十を超えて家督を継いだことを鑑みれば、その世襲がいかに早いかがわかるだろう。


「キルハルスは通常の家督と違い、血筋の他に、介錯人が務まる技量を備えるかどうかが基準となります。体の衰えを覚えた時点で引退するため、継承も早いのです」


 キルハルスは介錯人という職能によって成り立つ一族であるため、万が一の失敗も許されない。人の首を断つには、それだけ繊細な技術と豪胆な体力が求められるのだ。わずかな衰えさえも許さぬほどに。


「ライスフェルトは十八で跡目を継ぎました。その剣技は門人の誰もが及ぶところではなく、いざ斬首の場になれば誰よりも巧く首を断つ。それだけの天賦に恵まれながらも、罪人に対して決して傲慢にならず、その死を憐れむ心の清らかさも兼ね備えていました。その立ち居振る舞いは歴代の当主の中でも最高傑作と言われており、そんな弟を私は誇りに思っておりました」


 マウナは輝かしい日々を懐かしむように口元を緩ませる。

 ですが、と顔を曇らせる。


「三年前のある日のことです。弟が、私に頼みごとをしたのです。自分の役目に立ち会ってほしいと」


 不可解な申し出にマウナは首を傾げながらも役目――斬首の場に同行した。

 ライスフェルトはいつも通り、罪人の首を一刀のもとに斬り落とした。抱きかかえるように静かに膝元に落ちたそっ首は苦悶の表情さえ浮かべておらず、斬られたことにも気づいていないようだった。


「役目を終えたライスフェルトは私に、自分はきちんと役目を果たせているかと尋ねました。もちろんです、と私は答えましたが、ライスフェルトは何かを決心したようにその場を去り――隠居を宣言したのです」

「隠居を?」

「私はライスフェルトを問い質しました。すると、こう答えたのです。『姉上は自分が首を斬ったところを見たと仰いましたが、僕はそれを覚えていない』と」

「は……?」

 思わず、ローザリッタ呆けた声を出した。


「あの、それはどういう……?」

「斬首の役目の時だけ、意識がなくなるのだそうです。そして、意識を取り戻した時には既に首を斬り落とした後。その過程をまったく覚えていないのだそうです」

「……気絶ですか?」

「いえ、私の目にはそうは見えませんでした。そもそも、気を失った状態で正確に首を刎ねるなど不可能でしょう」


 斬首には第三頸椎と第四頸椎の狭間――ごく僅かな間隙に刃を通す技術が必要だ。そのような絶技、意識を手放した状態でできるはずがない。


「一過性の記憶障害ね」

 ぽつりとリリアムが口を挟んだ。


「強すぎる精神的負担が原因で部分的に記憶が欠落することがあるって、聞いたことがあるわ。首を斬る前と後の記憶はあるんだから、一般的な記憶喪失とは別物と考えるべきでしょう。当主にとって、斬首はあまり心地いいものではなかったって考えるのが自然ね」

「……ええ」

 辛そうに、マウナは目を伏せた。

 死者を悼む優しい心根の持ち主が、罪人とはいえ、人を殺すことに何も思わないはずがない。確かな技術がなければ務まらないが、さりとて首を斬るだけの道具に徹することもまた許されない。人を殺して何も思わないのであれば介錯人の意義を見失う。介錯人とは、言い換えれば優しい人間に殺人を強いる家業なのだ。


「前後不覚になる病を抱えていると噂されれば役目を下ろされかねない。自分が下りれば、斬首を自分より腕が劣る者に任せねばなりません。最も罪人たちを安楽に逝かせることができる弟だからこそ、限界まで言い出せなかったのでしょう。弟は私に当主代行を命じると、近くの村に専用の牢を建て、そこで隠居……いえ、幽閉を選んだのです」

「幽閉?」

「はい。事実だけ捉えれば、弟は意識がなくとも剣を振るえる状態にあります。翻ればそれは、知らず知らずのうちに誰かを傷つけるかもしれないということ。そんなものは封じねばならないと、弟が……」


 ローザリッタは息を呑んだ。

 無意識に振るわれる首狩りの魔刃。

 眠っているうちに、誰かを斬りつけないとも限らない。ライスフェルトは己がそういった怪物になってしまうことを何よりも恐れているのだ。己の意思で幽閉を選んだのも頷ける。そうでもしなければ気が休まらないのだろう。


「ですが、それと婿探しとどういう関係が……」

「牢に幽閉されているからと言って、万が一のことが起こらないとも限らない。それほど自分の無意識を信じられないのでしょう。弟は私に言いました。自分よりも強い者を婿に取ってほしい。そうすれば、いざという時は自分を殺してでも止めることができるから、と」

「……その役目はシャーロウさんでは力不足なのですか?」

「はい」


 きっぱりとマウナは告げた。

 ローザリッタがこれまで剣を交えてきた相手の中で、単純な技量で言えば、シャーロウはおおよそ最強の剣士だった。その彼が相手にならないとは、ライスフェルトはどれほどの怪物なのだろうか。


 とはいえ、それが考え過ぎだとも思えなかった。

 無意識に繰り出される首狩りの絶技。それは、かつて郷里でローザリッタが挑んだ灯篭切りの試しにおいて、偶発的に発現した〈無念無想の境地〉と同質のものだとすれば、どうか。

 太刀では到底断ち切れないはずの石灯篭をローザリッタは斬って見せた。しかも、ライスフェルトと同じく無意識のうちに。だとすれば――牢にどれほどの信頼性があるだろう。


「弟が申していることは、いささか神経質すぎだと思います。けれども、それで安心してくれるのであれば、私はそれに従いたいと思います。それが、たった一人の弟の苦悩に気づいてやれなかった私の罪滅ぼしなのです。貴女が女子であることは承知しています。だから、形だけでも構いません。どうか私の婿を演じてくださらないでしょうか」


 何卒お願いします、とマウナは深々と頭を下げた。

 ローザリッタは苦渋の面持ちを浮かべた。事情は理解した。力になってあげたいとも思う。けれど、その頼みを引き受けるには、今の彼女には捨てなくてはならないものが多すぎた。


 心の病を癒すには時間がかかるという。一ヵ月、二ヶ月で完治するというものでもないだろう。そうなれば武者修行の旅を諦めなければならないし、もともと目的を異にするリリアムとも別れることになる。


 だが、もしライスフェルトの遣う魔刃がローザリッタの想像通りならば。それが無秩序に振るわれれば――おそらく尋常でない被害が出る。ライスフェルトの恐れたとおりに。


「……申し訳ありませんが、今すぐには決められません」

 喉から絞り出すようにローザリッタは言った。


「僅差とはいえ、確かにわたしはシャーロウさんに勝ち得ました。とはいえ、弟さんよりも強いとは限りません。この人なら大丈夫、と口で言ったところで伝わらないでしょう。弟さんが本当に安心するためには、実際にわたしと剣を交える必要があると思います」

「……それは、確かに」

「ですから、まずは弟さんに会わせてはいただけませんか。わたしが勝てないようならば、どのみち、この話はご破算です。わたしが弟さんに勝つことができたら、その時にもう一度、考えさせてください」


 率直な気持ちだったが、それを声に出すのはかなりの気力を要した。

 マウナからしてみれば、三年待ってようやく表れた人材だ。本当は今すぐにでも行動に移したいところだろう。けれど、ローザリッタにも相応の事情がある。決断するにはまだ時間と覚悟が足らなかった。圧倒的に。


「……わかりました。ですが、もうじき日が暮れます。今日はこのままお泊まりください。明日、ライスフェルトが幽閉されている牢へご案内しましょう」


 気がつけば、傾斜した太陽が墓石を赤く染めはじめている。

 長い一日だった、とローザリッタは思った。

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