第20話 乱入

「ヴィオラちゃん、とってもお料理上手ね!」

 ファムが感嘆の声をあげた。


「おうおう。もっと褒めてくれ! 普段、誰も褒めてくれないからな!」

 華麗な鍋捌きを披露しつつ、上機嫌にヴィオラが答える。

 秘伝たる〈空渡り〉さえ習得した剣の達人であるが、おおよそ家政全般を修めた男爵家きっての侍女が彼女の本来の姿だ。飲食店の厨房の手伝いくらい朝飯前なのである。


「うちの店長よりも上手かもしれないわね!」

「おいおい。ファムちゃんよ、それはないんじゃないのか……?」

 ヴィオラの横で仕上げと盛り付けを行っていた〈青い野熊亭〉の亭主が、がっくりと項垂うなだれた。その店名に違わず、野熊のように大柄な髭面の男である。


「……なんだ、あんたたち親子じゃないのか?」

 二人の遣り取りに違和感を覚えたヴィオラは首を傾げた。

 亭主は苦笑を浮かべる。


「俺とファムちゃんが? はは、まさか。女房ならともかく、まだファムちゃんくらいの娘がいる歳じゃねえよ」

「え? 店長、いまいくつ?」

「三十四」

「意外と若ぇ!」

「よく言われる。さすがに十の小僧じゃ、出るもんも出ねぇだろ」

「あら、何が出るのかしら? おねえさん、わからいなぁ。というか、さらっと私の歳が判るようなこと言わないでくださる?」

 にこやかに微笑んでいるが、ファムの目は笑っていなかった。亭主はまずいものを見たかのように視線を反らす。いつの時代も、女性に対して年齢と性的な話を振るのは禁物なのだろう。


「店への溶け込み方が板についているから、実の娘かと思ったよ」

「ファムちゃんは流れ者でね。一年くらい前にふらりとアコースにやってきたんだ。働き口に困っていたから、うちで拾ってやったのさ。ま、こういうところはいつでも人手が足りないんでね。最初は失敗ばっかりだったが、持ち前の明るさと調子の良さで、今ではこの通りってわけだ」

「まだ一年くらいなんだな。とても、そうは思えないが」

「もう、店長! さっきから乙女の秘密をべらべらしゃべらないで!」

 ファムはぷりぷりと頬を膨らませ抗議するが、亭主は気にした風もない。


「この街の人間なら誰でも知っていることだろうがよ」

「それはそうですけどぉ」

「ま、実際、助かっているよ。俺は飯作ることしか能がないからな。経営戦略だのなんだのはファムちゃんに任せている」

「じゃあ、いかがわしい制服はお前の趣味か?」

 ヴィオラは半眼で、実際にいかがわしい衣装を身に纏っているファムを見やる。


「そうよ。夜なべして作ったのに、誰も着てくれなくて困っていたの。それどころか辞めちゃうなんて……残念だわ」

「……作ったのもお前か。とんだ芸術家だな」

「あらやだ。芸術家だなんて。褒めてもお給金は上がらないわよ?」

「褒めてねぇ」

「実は次の制服の構想もあるのよ。試作品もできているから、あとで見せてあげるわね――って、あら?」

 言いかけて、ファムが首を傾げた。

 厨房まで聞こえていた食堂の喧騒が、すっかり鳴りを潜めている。


「なんでぇ。急に静かになったな」

「本当だ。何かあったか?」

「……ちょっと見てくるわね」

 何か不測の事態でも起こったのか。

 ファムは洗いかけの皿を放り出すと、急いで食堂に戻っていった。

 


†††



「シニスはいるか!?」

 闖入者は店に足を踏み入れるなり大声で叫んだ。

 ダヴァン流の道着を纏った壮年の男だった。筋骨隆々とした逞しい体躯で、腕は丸太を思わせるほどに太い。いかにも剛の者といった風情。それが憤怒に彩られた形相をしていれば、幼子なら泣いて逃げ帰ってしまうところだろう。


「……デストラ。帰っていたのか」

 闖入者に心当たりがあるのか、どこか気まずそうにシニスが呟いた。

 デストラと呼ばれた男はシニスの姿を確認すると、眉を吊り上げ、ずかずかと一団の食卓の前までやってくる。


「シニス、貴様、指南役を拝命したらしいな」

「いかにも」

 煮えたぎるようなデストラとは対照的に、シニスは涼しげな顔で応える。


「どういう料簡だ。後任は試合にて決する約束だったではないか。師範とてそれを認めていた。なのになぜ試しも行わず決まったのだ。それも、俺がアコースから離れている間に!」

「事情が変わったのだ。お前が発った後、すぐにお体の調子を崩されてな。すぐにでも後任を決める必要があったのだ」

「だとしても、貴様は何も言わなかったのか。俺がモリスト詣でから戻るまで待ってほしいと、一言たりと言ってくれなかったのか!?」

「言ったとも。しかし、師は他流の恩恵にすがる姿勢を良しとされなかった」

「師からも同じことを言われたよ。目の前で土産を投げ捨てられた。だが、モリスト詣では貴様からの提案ではないか!」

 その言葉に、シニスはばつが悪そうな顔をした。


「それは……私もすまないと思っている。お前が試合に向けて、やれることはやっておきたいと言ったのでな。願掛けもよかろうと、親切心で……」

「……本当にそれだけかな?」

 ぎろり、とデストラはシニスを睨みつけた。


「どういう意味だ」

まいないだよ。試合じゃ勝てんと踏んで、俺を道場から遠ざけている間に、金を積んじゃないのか?」

「人聞きの悪いことを言うな!」

 先ほどまでの冷静な顔つきを失い、激昂を露わにシニスが立ち上がった。


「エトロディ商会に出入りしているところを見た者がいる。貴様の姉は確か、あの豪商に嫁いでいたはずだ。エトロディ商会は領主様御用達。姉を通じて、領主様に口利きをしてもらったのではないのか?」

「言いがかりだ! 姉の様子を見に嫁ぎ先を訪ねて何が悪い! それに、領主様が誰を推そうと、最終的に決めるのは師範だろう!?」

「ああ、そうだろうよ。しかし、俺は勝手にモリスト詣でに行ったことで師の心証を損ねているからな。推薦を受け入れる気になるのではないか?」

「違う、私は……!」

 シニスは狼狽したように首を振った。


「これ以上、言い訳など聞きたくもない。いや、例えそれが真実だとしても、戦わずして指南役の座を手にいれたお前を認めるわけにはいかん。いまここで決着をつけてくれる!」


 言いおいて、デストラは腰の鞘から太刀を抜いた。

 蝋燭の明かりに照らされて鋼の刀身が妖しく光る。真剣だ。いきなりの刃傷沙汰に周囲がどよめく。


「さあ、貴様も抜け!」

「よせ、デストラ!」

「――お待ちなさい」

 シニス、デストラ両名が息を呑んだ。

 真剣な面持ちのローザリッタが音もなく二人の間に割って入ったのだ。


「ここは皆さんが笑ってご飯を食べるところです。諍いは持ち込まないよう、お願いします」

 寸鉄一つ帯びない半裸同然の少女が、かざされた白刃に怯えもせずに立ち塞がるのを見てデストラは瞠目した。


 だが、それも一瞬のこと。その程度の驚きでは彼の激情は晴れなかった。


「どけ、小娘!」

 一喝するが、ローザリッタは動じない。


「お引き取りを」

「どかんかっ!」

 デストラが力任せに肩を掴もうと手を伸ばした――その時。

 ローザリッタは音もなく一歩、間合いを詰めた。伸ばされた腕を掴んで懐に潜り込み、反転。まるで妖術でも使ったかのように、デストラを軽々と投げ飛ばす。

 空中でくるりと一回転した後、デストラは背中から床に強かに叩きつけられ――泡を吹いて失神した。


 しん、とあたりが静まり返った。


「――あ」

 技を決めた後で、ローザリッタが間の抜けた声を出す。完全に無意識だった。


 剣術とは剣のみで完結しない。武芸が戦場で生き残ることを目的として発生したものであるならば、得物を失った状況も想定して然るべきである。そのため、剣術遣いは徒手空拳での格闘技術も修めていることが多く、ローザリッタもまたその例に漏れなかった。

 もちろん、それは相手も同じだろうが――受け身さえ取れなかったのは、ローザリッタの技前以上に、内心で小娘と油断していたからだろう。


「……すいません。やりすぎました」

 申し訳なさそうな表情で一言。

 すると、周囲から熱狂的な喝采が沸き起こった。

 うさぎ耳の女給が大の男を投げ飛ばすなど、誰が想像し得たであろう。大番狂わせに店中が興奮の渦に包まれる。


「……何やってるのよ、ローザ」

 慌てふためくローザリッタを見るに見かねたのか、リリアムが駆け寄ってくる。


「リ、リリアム……」

「あーあー、見事に白目剥いているわねぇ」

 リリアムはその場に膝をついてデストラの息があるかを確認する。落ち着いた表情からして、どうやら生きているようだった。


「け、警吏を呼んだほうが良いですかね……?」

「呼ぶには呼ぶけど、そんなに怯えなくてもいいわよ。どっちかって言うと、この人の方が騒乱罪でしょっぴかれるでしょうし。――ほら、あんたたちはさっさと撤退しなさい」

 台詞の後半は、茫然と立ちすくむシニスに向けてのものだった。


「い、いいのか?」

「別に、あんたを心配してのことじゃないわよ。他の客を巻き込むなってこと。乱闘騒ぎは外でやって頂戴」

「か、かたじけない」

 じろり、とリリアムから睨まれ、シニスたち一団は逃げるように店を去っていく。

 その後ろ姿を、ローザリッタは複雑そうな表情で見送った。


「さ。ぼさっとしてないで、この人を介抱するわよ」

「は、はい!」

 促され、ローザリッタが膝をついたその瞬間。

 ぞくり、と背中に悪寒が走った。


 反射的に背後を振り返ると――少し離れた場所から、ファムがローザリッタをじっと見つめていた。

 どこか熱っぽい、潤んだ視線で。

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