少女剣聖伝 -辺境秘剣録-
白武士道
序章
伝説
とある街の郊外で、二つの集団が
かたや、都市の治安を守る武装
こなた、戦場から落ち延びた敗残兵。
互いに弓の有効射程ぎりぎりの距離に布陣し、相手の出方を
事件の発端は、〈大戦〉の敗残兵が大挙して街に押し寄せてきたことにある。
敗戦によって帰る場所を失った彼らではあったが、
しかし、街で暮らす人々にとって、武装した敗残兵など野盗と大差ない。
事実、この街は幾度となく野盗と化した落人たちの襲撃に遭っている。警戒するなというのは無理な話であり、伝令を受けた警吏らが迅速に防衛線を構築したのは至極当然の対応だ。
寄らば射ると言わんばかりの排他的な構えを見せる警吏らを前に、敗残兵は対話の機を失した。神経質になっている相手に下手な交渉は逆効果。最悪の場合、開戦の火蓋を切りかねない。
しかし、敗残兵らには相手が冷静になるのを待つだけの余裕はなかった。食糧は残りわずかで、疲労は困憊。このまま野垂れ死ぬくらいなら掠奪もやむなしとの声もちらほら生じつつある。遠からず戦闘になることは明白だった。緊張は刻一刻と高まっていく。
――その時である。
どこからともなく一人の女が現れ、殺意渦巻く両陣営の狭間に割って入ったのは。
妙齢の女だった。多く見積もっても三十には届かない。宵闇にも負けぬ輝かしい金髪と鮮やかな空色の
女は何をするわけでもなく、二つの集団の中間でじっと立ち尽くしている。意思表示の類は一切なく、唇は固く結ばれた横一文字。
おおよそ普通の旅人ならば厄介事には関わりたくないだろうし、仮に厄介事に首を突っ込むような物好きだったとしても、首を突っ込んだだけで何もしないということはあるまい。
何者なのか。何が目的なのか。両陣営が問いを投げかけても、返ってくるのは沈黙だけ。
張り詰めていた空気が少しだけ弛緩する。殺意は削がれ、
「「あ」」
しかし、四日目の早朝。打ち込みが甘かった
両陣営は血相を変えて等しく女に駆け寄った。互いに矢を放つことなどすっかり忘れている。三日三晩、眺め続けてるうちに、誰も彼もが、我が身よりも女の安否のほうが気がかりになっていた。
女を囲むように人垣ができる。そこには警吏も敗残兵も関係ない。倒れた人間を当たり前のように心配する、当たり前の人々がいるだけだった。
「……お、おい。あんた、大丈夫か?」
警吏の長は倒れた女を覗き込んで言った。衣服を押し上げる豊かな胸は規則的に上下している。どうやら息はあるようだ。
「……よくぞ」
かさかさの唇が、
「よくぞ勇気を振り絞って歩み寄られました。これで、お話ができますね」
にこり、と女は弱々しく微笑んだ。
はっと息を呑んで、それぞれが顔を見合わせた。どよめきが走る。
「まさか貴公は……我らを話し合わせる、それだけのためにこんな無茶を……?」
「ええ。一人でも殺してしまえば、歯止めが利きませんから……」
全員が黙り込んだ。女の言う通りである。
敗残兵側が警吏を一人でも殺してしまえば、街への移住は絶望的になるだろう。
反対に、警吏側が敗残兵を一人でも殺してしまえば、後がない彼らは徹底抗戦を選択せざるを得ない。誰か一人でも人死にが出た時点で、血で血を洗う報復戦が幕を開けるのだ。
その最悪の事態を、この女は止めようとしていた。寸鉄の一つも帯びず、我が身の危険も顧みずに。三日三晩、この場に立ち尽くして対話の機会を作ったのだ。
そして、それは成功した。一滴の血も流すことなく。誰一人失うことなく。
「さあ、話し合いましょう。腹を割って、きちんと話し合えば、大体の問題はどうにかなるものです。……まあ、若い頃、聞かん坊だったわたしが言っても説得力がないかもしれませんが」
女は衰弱した面貌に苦笑の色を浮かべた。
「……話し合いには賛成だ。だが、その前にやることがある」
「……ああ、こちらもだ」
警吏の長と敗残兵の将は互いに顔を見合わせ、
「「この方に水を。話し合いはそれからだ」」
異口同音の提案。周囲から賛同する笑いが起こった。
†††
――以上が、無血剣と呼ばれる地方伝承である。
とある女剣士の逸話を土台としているものの、その一生を綴った〔辺境秘剣録〕に該当する記述がなく、また類似した説話も数多く見受けられることから、歴史家からは地元民の創作だとする見解が強い。
されど、彼女は人生の大半を武者修行の旅に費やしており、また各地にその足跡を残していることから、完全に否定する根拠がないのも事実であった。
これは、その女剣士の在りし日の記録。
一人の少女が剣聖に至るまでの物語である。
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