エレウシスの秘儀 〜the novel〜
ライチ
第1話 opening phase1 〜side 神縫 荒夜〜
世界では人々がオーヴァード化・ジャーム化するレネゲイド災害が頻発していた。
その原因としてまことしやかに噂された“遺産”があった。
周囲にレネゲイドをばら撒き、汚染すると言われる“遺産”。
それこそが――“エレウシスの秘儀”。
遺産を所持するのは、FHのマスターエージェント“マスターレギオン”。
彼が乗車する東京へ向かう豪華寝台列車“マリンスノー”で起きるレネゲイド災害。
暴走を始める列車の中で、傷だらけの少女と出会う時、全ては始まった。
ダブルクロス The 3rd Edition
~エレウシスの秘儀~
――ただ、綺麗な物として在れたなら、どれだけ良かっただろう。
豪華寝台列車“マリンスノー”。広々とした優美な空間に、和を感じる家具や調度品。部屋付きのアテンダントによる最高のおもてなし。最高峰の列車の旅を提供してくれる、まさに陸を走る豪華客船。
その日本一周のフィナーレを飾る東京駅へと向かうマリンスノーの中で、既に物語は始まっていた。
『次の停車駅は、横浜です。根岸線、京浜東北線、横浜線、東海道線、横須賀線、湘南新宿ラインはお乗換えです。今日も、寝台列車マリンスノーをご利用くださいまして、ありがとうございました。横浜駅を出ますと……』
しかし、そのアナウンスを聞く乗客は、誰一人としていなかった。
「ひぃ……!痛い、助けてくれ……! 助けてくれぇ!!」
「誰か手を貸してくれ! 子どもが、子どもが怪我をしたんだ!!」
「こんな時に乗務員は何をやっているんだ! 早くドアを開けてくれ! うわ、来るな……来るなーーー!!」
乗客たちに無差別に襲い掛かる、血で錬成された亡者たち。阿鼻叫喚の悲鳴を上げながら、生者たちは赤い化け物たちに殺されていく。
豪華列車マリンスノーの中に広がる血の海。その中心には、ある男が立っていた。
――FH“マスターレギオン”ヴァシリオス・ガウラス。
「誰か! 誰か助けてくれ!!」
「何で、何で私達がこんな目に……いやぁーー!!」
倒れた乗客たちが血の海に沈むと、中から次々と死者たちが湧いて出てくる。
さっきまで隣で笑い合っていた友が、恋人が、親が、無惨にも殺されていき、血で出来た化け物の糧となっていく。
そんな、さながら地獄絵図の光景にレギオンは眉一つ動かさなかった。
「……終わったか。さて、アレはどこへ行ったか」
最早その場に立つ生者はレギオンだけになると、横たわる無数の死体に一瞥もくれず、レギオンは血溜まりの中をゆっくりと歩き出した。
MM地区支部の要請を受け、UGNと協力関係にある米軍“テンペスト”兵が一人、神縫荒夜はヘリの中で待機していた。
MM地区支部長・高島湊からインカムで連絡が入り、荒夜は耳元に指を当てながら片手で持った双眼鏡には、さながらスプラッター映画のような地獄絵図が映っていた。
『荒夜! 聞こえるか!』
「あぁ! バッチリ聞こえてるし見えてるよ! 阿鼻叫喚の騒ぎじゃねぇか! 何だよアレ‼」
『何⁉ 列車の中で何か事件が起きたのか⁉ こちらからではまだ観測できない!』
「じゃあ後で報告しといてやるよ! 資料の写真見てゲロるなよ⁉」
双眼鏡をスマートフォンに持ち替え、ヘリに揺られながら荒夜は一部の列車を撮影する。
『分かった。じゃあ現場の方は任せたぞ、荒夜』
湊の指示に、荒夜は一瞬口ごもる。
「俺、ウォーキングデッドとかのゾンビモノ……大っ嫌いなんだけどなぁ」
『お前なら大丈夫だ、荒夜』
太鼓判を押された荒夜は、うんざりするように肩を竦めた。
「給料倍にしてくれよ、湊」
それを聞くと、湊からは気風の良い答えが返ってくる。
『3倍にして返してやる』
「うっしゃ! やってやらぁ!」
しめた、と言わんばかりに荒夜は嬉しそうに指を鳴らした。
「“ジェヴォーダン”!」
通信を終えた荒夜にパイロットが声をかける。
「マリンスノーは、当初こちらが予定したよりも遥かに強大なワーディングに包まれている! これ以上、ヘリを列車に近づける事は出来ない!」
それを聞くと、荒夜は躊躇なくヘリのハッチを開けた。外の空気が一気に雪崩れ込み、ヘリが大きく揺れる。
「あぁ分かった! じゃあちょっと揺れるかもしれねェから気をつけろよ!」
「あぁ! 了解した! マリンスノーを……いや、横浜の街を頼む!」
「今守る範囲をかなりデカくしたな⁉」
荒夜が軽く屈伸運動をしながらツッコミを入れると、操縦席から深刻な声が返ってくる。
「いや! これはもう、それほどの事態だ! だからこそキミが呼ばれたんだ! “ジェヴォーダン”!」
荒夜の眼下で暴走を止めない列車マリンスノー。それを今、一番近い場所で止められるのは荒夜しかいない事を、彼女自身が一番良く分かっていた。
「……あぁそうだ。パイロットさん、俺の事は“ジェヴォーダン”って呼ぶな」
荒夜は低く身構え、ヘリのドアに手をかける。
「――荒夜って呼べ」
瞬間、漆黒の獣がヘリから飛び出した。
満月に映る、人ではない異形の獣。耳まで大きく裂けた口に尖った耳。血色の眼を光らせた巨大な黒い狼がヘリから飛び出すと、マリンスノーの窓ガラスを貫通し、車内に突入していった。
荒夜が飛び出した弾みで機体が大きく揺れたが、荒夜の突入を見届けたヘリはハッチを閉じ、その場を後にした。
「……頼んだぞ、神縫荒夜」
荒夜が窓ガラスを割って中に飛び込むと、車内には血の海が広がっていた。
食堂車なのだろう。車内にはテーブルや椅子が散乱し、座席が並ぶ車両よりも広く感じた。
その中心には、何故か一人の幼い少女が身体を震わせていた。
――子供だと⁉
満月のような銀の髪と、青を基調としたワンピースに、首元にはレースで編まれたチョーカー。そして、深海のような深い青色の瞳を持つ少女は、茫然とした表情で闖入者を見つめていた。
「え……?」
互いが互いの存在に驚き合っていると、部屋の外から無数の人影が入って来た。
剣を抜いた血色の従者。銃を構えた従者。FH“マスターレギオン”の率いる亡者たちだった。
荒夜はすぐさま狼から人に姿を変えると、襲い掛かって来た緋色の兵士の剣を薙ぎ払い、容赦なく腹に蹴りを入れる。
従者の一人が壁に激突し、壁一面に真っ赤な血が飛び散った。
しかし、次から次へと侵入してくる亡者たちは予想以上に素早く、あっという間に荒夜を取り囲む。
従者たちは血で錬成された兵士たちであり、これほどの血液を使うという事は車内で夥しい程の血が流れたのは確実だった。
恐らく彼らの燃料は、列車に乗っていた乗客たち。
その事に気づいた荒夜は軽く舌打ちするが、従者たちは荒夜の上に覆い被さり、彼女を押し潰そうとする。
だが従者たちの懐で、荒夜は口の端を吊り上げるように笑った。
荒夜が両手を突いて倒立すると回し蹴りを炸裂し、覆い被さっている従者たちを一掃した。
「……あ~ぁ。こんなにdeadが出やがってよォ」
不敵な笑みを浮かべたまま、荒夜はゆっくりと態勢を元に戻す。
「どう落とし前つけるんだ? “マスターレギオン”さんよォ」
180㎝強の長身から繰り出す足技は強烈であり、力を失った従者たちは只の血溜まりに戻っていた。
少女は茫然とした表情で、飛び散った血だまりの中に佇む迷彩服の青年を見つめる。
月明かりに照らされた高い背丈。短く切った黒髪から覗く、血のように赤く鋭い眼光が印象的だった。肩には、翼の付いた杖に2匹の蛇が絡み合う腕章が光っていた。
荒夜は振り返り、少女に優しく声をかける。
「Hey,Honey」
荒夜は親しげに声をかけたつもりだったが、少女はびくりと身を震わせる。
「あなたも……私に、痛い事をするの……?」
よく見ると、少女の顔には殴られたような打撲痕があった。
――虐待の痕……?
荒夜は少女を怯えさせないよう、少女の前で膝を突く。
「Honey、俺はキミを傷つけたりはしないよ? パパやママはどこにいるんだい?」
「パパ……? ママ……?」
しかし、少女は小首を傾げたまま、荒夜の言葉を繰り返しただけだった。まるで親という概念が分からないと言った風だった。
「痛くは、しないの……?」
「大丈夫大丈夫~。お兄さんはキミを傷つけたりしないよ~」
神縫荒夜はれっきとした女ではあるが、男らしい出で立ちのせいでよく男と間違われる事もあり、最近では初対面の人間には彼女自身が男を名乗る事がよくあった。
荒夜は少女の緊張を解そうと、指の間から手品のように一個の飴玉を取り出す。
目の前に飴玉を差し出された少女は目を瞬かせ、それを受け取ろうとするが、荒夜はさっと手の中に収めてしまった。
え、と少女が声を漏らすと、荒夜は悪戯っぽい笑みを浮かべながら指を振る。
「お嬢ちゃん。今の時期は“trick or treat”って言うんだぜ?」
季節は10月下旬。街はハロウィンの装飾で彩られており、この年齢の子供ならハロウィンの文化は知っている筈だった。
しかし、少女はきょとんとした表情で荒夜に尋ねる。
「なぁに……? それ」
直後、視線を僅かに逸らした少女は目を見開く。
「早くここから逃げて! ここにいたら……!」
彼女が叫んだ瞬間、荒夜の背後で血溜まりになっていた筈の従者たちが、再び人の姿を取り戻した。
「――ッ⁉」
その驚異的な再生の速さに、荒夜も一瞬反応が出遅れた。
少女を抱き庇った直後、荒夜の背中に衝撃が走り、少女と一緒に倒れ込む。斬りつけられた、と理解したのは直ぐ後だった。
傷は予想以上に深く、さらに傷口から力が抜けていくような酷い倦怠感に襲われる。
ただ斬りつけられただけでは“こう”はならない。毒でも塗られたかのように、荒夜の身体は思うように動けなくなってしまった。
「いって……!」
荒夜が呻き声を上げると、隣の車両からこつりこつりと靴音が聞えてきた。
「……成程、UGNか。思ったよりも動きが早い。せいぜい東京の前で止められると思ったが……」
荒夜たちの前に、戦闘服を身に纏った男が悠然と姿を現す。40代前半のギリシャ系。こげ茶の髪に痩けた頬。その特徴は、荒夜が所属する組織“テンペスト”から事前に得ていたある男の特徴と合致した。
“マスターレギオン”ヴァシリオス・ガウラス。百人もの血の従者を生み出し操る、驚異的な力を持つFHのマスターエージェントだった。
「よォ……会いたかったぜ、“豚野郎”」
倒れ伏しているにも関わらず、荒夜はふてぶてしく笑ってみせる。
「フッ。減らず口を叩く元気だけはあるらしい」
荒夜は血溜まりに浸されている部分から力を吸われていくような、奇妙な感覚を覚える。
只の血ではない――荒夜がそう確信した時には、既に遅かった。
「だがそれも終わりだ」
レギオンは荒夜の腕の中にいる少女を引っ張り出すと、目の前で少女の首を締め上げた。
少女の耳元で何かを囁くと、レギオンは頬をいきなり殴りつける。
倒れ伏した少女の瞳からは涙が滴り落ち、血溜まりの中に落ちた涙が広がっていく。
荒夜は歯を喰いしばりながら必死に立ち上がろうとするが、突いた手からも力が抜け、べしゃりと再び血に倒れ伏してしまう。
するとレギオンの周りに、一般人ならばその場にいるだけで気絶してしまう空気の膜が広がる――ワーディングが発生したのだ。
血で赤く穢れた部屋に、清涼感漂う水色の色彩を帯びたワーディングが瞬く間に広がっていく。血の匂いに混じって、微かに潮の匂いがした。
「フフ……素晴らしい! 力が溢れてくる……!」
レギオンが狂喜のあまり叫んだ直後、何かに衝突したような激震が列車を襲った。
レギオンが踏鞴を踏むように体勢を崩し、倒れた少女が荒夜の方に転がってくる。
「新手か……なら先ずは、こちらから片づけねばな」
レギオンが荒夜に近づいてくるが、その時、荒夜の指がぴくりと動いた。
――動ける……⁉
気づくと、脇に転がっている傷だらけの少女が荒野の腕に手を当てていた。
少女が触れた部分だけが淡く青色に輝いており、彼女が触れた部分から力が漲って来ていた。
「もう……大丈夫。あなたは、動ける……早く、逃げて……!」
少女はレギオンに気付かれないよう小さく呟く。
直後、再び列車を激震が襲う。レギオンが荒夜たちから目を離した一瞬の隙を突き、荒夜は少女を抱き上げ、一足飛びでレギオンから距離を取った。
「な、何で……⁉ 私は……!」
少女が驚くのを他所に、荒夜はレギオンの横を潜り抜け、後方車両のドアに飛び込んだ。
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