【Magic×Cyber 短編】

獅柴

Episode:【邪視】が【神眼】に成るまで


 雨の音だ。

ぱらぱら、さぁさぁ。そんな音が耳に流れ込む。雨が、降っているのだろうか。鼻には薬品のような匂いが微かに届いている。手には、少しひんやりとしたシーツカバーの感覚。腕に感じる何かが接続されているかのようなこれは、点滴?

確かめようとして、瞼を開ける。しかし、いつも慣れたサングラス越しの景色はいつまで経っても見えてこない。それどころか、明るさそのものが訪れることが無かった。暗闇が、視界を覆い尽くしている。

起き上がろうとして、腹に鋭い痛みが走った。その痛みで一気に思考を覆っていた霧が晴れる。

 ああ、そうだ。俺は確か―――。

「……はっ…ザマぁ無ぇな」

 見えもしない視線の先で、片腕を持ち上げて腕で目を覆う。生きている。

―――……生きて、生き延びて、しまった。

死ぬ気だったと言うのに。この身体が奴の【異能】で崩壊したとしても、俺自身の目で奴を呪い、自分自身がその代償で滅んだとしても。それでいいと、思っていたのに。

助けられた。 助けてほしく、なかった。

 殺したい奴を殺せず、呪う事も出来ず。瀕死になって、助けられて生き延びてしまうなんて。何とも格好のつかない体たらくだ。皮肉か、自嘲か笑いしか込み上げてこない自分に腹が立つ。

ぱさりと音を立てて、腕をベッドへと戻した。その時くらいか、控えめなノックの音が部屋の右手から聞こえた。返事をする間もなく、ドアの開く音と一人分の足音が聞こえてくる。

「起きてたんすか。なら丁度良かったっす」

「…あ? 誰だ」

「あーそっかそっか、アンタと直接の面識はなかったっすね」

 生憎腹の傷のせいで起き上がることは叶わない為、声が聞こえてくる右側に顔だけ向ける。声の主は椅子に腰かけたのだろう、小さくパイプが軋むかのような音の後、少しの衣擦れの音が続いた。

あくた灰祢はいねっす。どーぞ宜しくお願いしゃす」

「…芥? 特務課とくむか研究部の最高責任者が直々に来るとはな」

 流石俺も有名っすね、と芥が呑気そうに呟く。…【特務課】の人間。しかも、異能についての研究に特化した部隊の最高責任者。直接話をするのは初めてだが、彼はまだ三十歳にも満たない若者だと聞いたことがある。それでも【特務課】の最高責任者の一人だというのは、彼が相当な才能の持ち主であることの証明なのだろう。

 しかし、その男が一体何の用か。

俺が腹積もりを探っていると気付いたのか、芥はぎしりと椅子を鳴らすと話し始めた。

「【特務課】局長――篠木しのぎつかさからの伝達っす」

「……!」

栗花落つゆり 慎二しんじ。今後のアンタの処遇についてと、アンタの【異能】…」


邪視じゃし】…否、【神眼しんがん】についての、ね。










「……あいつは、どうするつもりなんだ」


 同時刻、【特務課:局長室】。

雨の降る窓の外を眺めていた男、篠木司はその言葉に振り向いた。視線の先に、ソファに腰かけつつも怪訝そうな表情をしたままの男――天野あまの由太ゆうたを映す。

「栗花落慎二の事ですか?……ずっとそんな顔をしているのは、そのせいですか」

「他に何があるってんだよ」

「いいえ。貴方はやはり他人の心配ばかりして表情を曇らせるのだと思ったまでです」

 はぁ、と天野はため息を吐き出した。目の前に置かれたコーヒーには手を付けず、ぼんやりとその水面を見つめている。 うっすらと水面に映った顔は確かに仏頂面だと分かると、さらにまたため息をついた。

そんな様子を見てか、篠木は天野の向かいにあるソファへと腰かける。コーヒーを一口啜ってソーサーへカップを戻せば、雨音だけの静かな空間に陶器の擦れる音が響いた。

「正直な話、彼をこの特務課へ招くにしてもです。素直に歓迎、というのは難しいでしょう。彼は確かに【君臨する者】へ叛逆した。ですがそれ以前に、【異神教】として行ってきた数々の事件が消えることは無い」

「……んな事は分かってる」

「ただ、その点についてはまだあまり問題はありません。彼を二重スパイとして利用していたのは事実ですから」

 では、何が最も問題視、危険視されるか?

その話題について、篠木が口にする前に天野が口を開いた。

「…あいつの【邪視】の異能か」

「その通りです。あの異能は制御が難しく、その上リスクも高い。それは、他でもない栗花落さん本人が最も理解している事でしたが」

 篠木はもう一度コーヒーを口に含む。とどのつまり、栗花落の持つ【邪視】の異能が危険極まりないものだと知りつつ手元に置いておくにはリスキーであると、彼は言いたいのであろう。 篠木の持つ【異能を回収する】異能があれば、彼から【邪視】を取り除くことはできる。しかし、

「一度異能を得た者は、【技学者ぎがくしゃ】としての才を持つことは無い。【異術者リバース】でない限りはね」

 異能を回収してしまえば、栗花落は【特異者とくいしゃ】ではなく一般市民へと成り下がる。しかし、異神教を裏切りその頂点である存在に叛逆したとなれば、彼は間違いなく他の異神教の者達に狙われる。

「……あいつの事は、俺が保証する。何かあれば俺が責任を取る」

「…………。」

「なぁ、司ちゃん。俺は―――」

 天野の言葉を遮るかのように、篠木は立ち上がった。

そして再び窓の前まで足を運び、雨空を見つめる。天野から、彼の表情は見えない、しかし、ガラス窓に反射した篠木の表情は酷く――……

 …―――酷く、穏やかで。

「天野さん、随分と彼を買っているんですね」

「……おう、なんだよ妬いてんのか」

「冗談は今回の勝手な行動までにしてくださいね。始末書と報告書の枚数を倍に増やします」

「倍て」

 そういえば、と篠木が再び天野の方へ向き直る。彼はいつものように淡々と、どこか機械的な表情と声色で話を続けた。

「私、彼…栗花落さんに頼まれていたんですよ」

「あ?何を」

「"異能を回収してほしい"…とね」

「…!」



「栗花落さんを病院に運び込み、貴方が倒れた後の事です」



 私は、件の事案について事の詳細を知るべく栗花落さんの病室を訪れました。

彼は【君臨する者】――水仙すいせんとの戦闘で【邪視】の異能を酷使した。それによる身体への負担で、視力を失っていました。

視力を失っている状態であれば、異能が発動することは無い。彼はそう言うと、自身を責めるかのように笑いました。

「この目を持ってから、ろくなもんを見てねぇんだがな。どれだけ綺麗な花でも、その色彩を楽しもうとすりゃ枯れ果てて塵に変わっていく」

 異能が使えない状態になって、やっとと思ったら視力ごと失った。笑えねぇよな。

そう言う彼は、悲しそうではありましたが。それでも確かに、現状は自分自身の異能で万象を呪い殺すことは無いのだと安心しているように見えました。そして、彼は私に全ての顛末を話した後――こう持ち掛けたのです。


"…俺は、この目が疎ましい。嫌いで、憎くて、何よりも呪い殺したいのはこの目だ。この目のせいで俺は、俺の人生も全部狂った"

"だからこそ、今のこの何も見えない暗闇は落ち着く。何も呪い殺すことは無いのだと、心の底から安心できる"

"俺の異能は、他人の役に立てるもんじゃない。ただ他者を殺して、俺自身の首を絞める枷にしかならない"

"もう二度と、俺の…俺の大切な人と、その周りを傷つけたくねぇんでな"




「……――だから、俺の異能を回収してほしい」







「…彼は、私にそう願いました」

「………それで、どうしたんだよ」

 いつになく真剣に語る篠木に、天野は問う。

その問いに少しの間をあけて、篠木は笑った。いつもの、どこか飄々としていて中身の知れない笑みを。

「お断りしました」

「……は?」

「お断りしました。異能は、回収しませんでした」

 あの異能は、ただ人を…万象を呪い殺す目ではない。それ自身に、栗花落が気付いていないから。


「天野さん。私は思うのですよ、彼はきっと、贖罪の為に生きている部分もあるのではないかと。ですが、その贖罪は異能を手放すことで安易に果たされるものなのでしょうか?」

「………司ちゃんの考えてる事は本当にわかんねぇなぁ。わかんねぇが…まぁ、今回ばかりはその選択を信じるしかねぇか」

「そう言ってくださって何よりです。…彼の贖罪は、あの異能があってこそ果たされるもの。私はそう思うのですよ」


 篠木はそう言うと、一枚の書類を自身のデスクの引き出しから取り出す。

天野も見覚えのあるものだった。【特務課】への、所属手続きに必要な申請書類。その名前を書き記す欄内には、見覚えのある名前が記されていた。


「さて、あとは彼があの異能と向き合えるかどうかでしょう。私が…私たちが出来るのはこのくらいですよ」


 さて、天野さんは報告書と始末書の提出…お願いしますね。

いつもの笑みを浮かべた篠木の視線の先には、青ざめた天野の表情が写っていたのだとか。







後編 Coming Soon...


 

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