第6話 終章

「――うーん。いつ食べても絶品だわァ~。このパンケーキは」


 リンは一切れのそれを口の中に入れると、それをほおばったまま歓喜の声を上げる。


「――でしょでしょ。アタシが苦労して製造法を再現したパンケーキが不味いわけないもの」


 リンと対席している窪津院亜紀アキは、それを聞いて身を乗り出すと、嬉しそうな表情でしきりにうなずく。

 二人は喫茶店カフェ『ハーフムーン』の一席で、盛りつけの異なるパンケーキを美味しそうに口に運んでいた。

 先日、怪盗比呂ヒロ窃盗事件の際に知り合った二人は、その後、パンケーキの話題に触れたことをきっかけに意気投合し、本日、この店で落ち合って堪能しているのである。


「――良樹ヨシキが勝手にパンケーキの製造法とその権利をオークションにかけて売却したのは腹立たしいけど、それでも美味しいことに変わりはないわ」


 そう言うと、亜紀アキは満足げな表情でふたたび一切れのパンケーキをパクリと食べる。


「――他にもこういったスイーツはあるですか」


 リンがたずねると、亜紀アキの笑顔は花が咲いたようなそれになる。


「――もちろん、あるわ。それも数えきれないくらい。いまもそれらの再現の研究中よ。だけど、みんなには内緒にしてね。特に良樹ヨシキには。また勝手に売り飛ばされたらかなわないから」


 途中で声をひそめて言った亜紀アキに、リンは「うん、うん」と二度うなずいて同意した。亜紀アキは話を続ける。


「――その点、怪盗比呂ヒロの標的にされなくてよかったわ」

「――ホントですね。けど、そいつはもう警察に捕まりましたわ。イサオやあの管制員のケガも大したことはなかったですし」

「――これまでの盗難品も、良樹ヨシキが修復の終えた物体探知装置のおかげですべて見つかって持ち主に戻ったし、ホントよかったわ」


 亜紀アキが安堵したような表情と口調で言うが、不意にそれらに翳りが生じる。


「……でも、その怪盗比呂ヒロ空間転移能力者テレポーターなんでしょ。逮捕しても空間転移テレポートで簡単に逃げられちゃうんじゃない?」

「――それは大丈夫です。アタシが即席で開発した神経衰弱装置を装着させて、空間転移テレポートできなくしましたから」

「――あら、さすがはリンね。超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘の名は伊達じゃないわね。もしよかったらうちの研究所で働かない。アナタとならいい仕事ができると思うけど。どう?」

「――そうね。どうしようかしら」


 リンがアゴにひとさし指を当てて思案していると、


「……リンちゃん……」


 自分を呼ぶ声が聴こえた。


「――アイちゃん、遅かったわね。いっしょにパンケーキを食べようと誘ったのに」

「……………………」

「――突っ立ってないで、はやく座りなさいよ」

「……………………」

「――どうしたのよ、アイちゃん」


 リンもいまになってようやくアイの異変に気づく。明らかに思い詰めた表情をしている。


「――とにかく、座って」

 亜紀アキにうながされて、アイリンのとなりに座る。


「――なんだかまた悩んでいるみたいだけど、アレはもう解決したんじゃないの?」


 リンは確認のために問いただすが、愛はかぶりを振る。


「……アレはもう解決したわ。夜はうなされなくなったし、心はすっきりしている……」

「――それってトラウマは克服したってことでしょ。よかったじゃない。それなのに、いったいなんで悩んでいるの? アタシたちの裸体映像流出の心配ならいらないわよ。記憶操作で久川比呂アイツからその視覚記憶を削除したし、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークにその流出の気配はないわ」

「……そうじゃ、ないの……」

「――それじゃ、なんなのよ?」

「……好きになってしまったみたいなの……」

「……誰をよ? 好きになってしまった人って……」


 イヤな予感に眉をしかめたリンの問いに、アイは時間とためらいをたっぷりとかけてからおもむろに答えた。


「…………ヤマトタケルを…………」

「…………………………………………」


 今度はリンが沈黙する番となった。


「――あら。ヤマトタケルって先月の事件に続いて、今回も事件解決にみちびいた立役者じゃない。リンの話じゃ、両事件とも、ヤマトタケルに助けられたって聞いたし、そういうシチュエーションじゃ、惚れるのもむりもないわね」


 亜紀アキが嬉しそうに言う。


「――でも、なんでそれで悩むの、べつに禁断の恋というほどの大げさなものじゃないと思うけど」

「……大げさじゃないですけど、深刻なんです……」


 リン亜紀アキの疑問に答える。それを聞いて、亜紀アキは疑念を深める。


「どうして深刻なの?」

「……他にもいるからです。タケル以外にも……」


 真実を知っているリンとしては、そのように答えるしかなかった。アイは今にも泣きだしそうな表情になる。


「……そう、そうなのよ。なのに、アタシは……」


 そして、自分自身を責めるような口調で言うと、となりにすわっているリンにすがりつき、


「……アタシ、どうしたらいいの……」


 そのように問いかける。その表情は真剣きわまりなかった。


(……どうしよう。マジで……)


 問いかけられたリンは途方に暮れる。トラウマを克服した今のアイなら、勇吾ユウゴが正体を隠す理由のひとつが減ったことになる。だが、もうひとつの理由までは解消されたわけではない。勇吾ユウゴが専業主夫になるために、『実戦では使えない優等生』を演じる上で、ヤマトタケルの正体が発覚する事態は、絶対に避けなければならないからである。ヤマトタケルのように、勇吾ユウゴを『実戦でも使える優等生』に育てたいアイとしては、その事実は大歓迎である。大喜びで周囲に知らしめすに違いなかった。だが、勇吾ユウゴにとっては不都合きわまりない事態である。ゆえに、勇吾ユウゴが自ら正体を明かすことは絶対にあり得なかった。限界まで向いてない専業主夫の志望をあきらめないかぎり。そしてアイは、好きになった両者が、実は同一人物である事実を知らずに、勇吾ユウゴを強者に育てようと、これからも尽力するであろう。


(……アイちゃんって、ホント、ムダな努力や無意味な悩みを抱えるのが好きねェ……)


 すべてを知っているリンとしては、内心で嘆息するしかなかった。


「――ねェ、観静、なんとかならないの。ヤマトタケルとは近しいんでしょ」


 事情の知らない亜紀アキはせっつく。


「……そ、そうは言っても……」


 せっつかれた方は困惑するしかなかった。だが、そのあと、さらに困惑する事態が発生した。


「――やはりここにいたわねっ!」


 下村明美アケミの登場である。

 しかもその背後には、糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴが、困惑した表情を浮かべてオロオロとしている。

 明美アケミはそんな勇吾ユウゴを無視して、叩きつけるようにテーブルに両手を置く。

 その衝撃で、テーブルの上にある皿やコップが短く鳴る。

 リンはあからさまに迷惑そうな表情で明美アケミを見やる。


「――なによ、いったい。こっちは取り込み中なんだから、取材ならあとに――」

「――とぼけてもムダよ。アンタ知ってるんでしょ。ヤマトタケルの正体を――」

「えっ!?」


 思いもかけぬセリフに、リンは動揺する。


「――ちょ、アン――」

「――アタシはわかったわ。ヤマトタケルの正体が。これまでの取材で、ついに」

『――ええェ~ッ! ウソォ~ッ!』


 リンアイは同時にさけぶ。


「――まったく、リンアイも知っててアタシに教えないなんて、ホント、いけずね」

「……………………」

「――あら、わかったんだ。ヤマトタケルの正体が。だれなの、いったい」


 なにも知らない亜紀アキがたずねると、明美アケミリンアイよりもない胸をそらして自信満々に答えた。


「――小野寺家を影から代々守る裏小野という一族の末裔よ」

『……………………』

「――よくよく考えたら不思議だったのよね。小野寺たちが危険になると、いつもタイミングよく現れるんだもの。でも、これなら合点がいくわ」

『……………………』

「――アタシ聞いちゃったんだからね。遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の屋上でヤマトタケルの正体をアイが口にしたことを。そして、それをリンが耳にしたことも。まァ、流石に須佐すさ十二うんたらかんたらはなんの事かさっぱりだけど」

(……ホッ……助かった……)


 リンは胸をなでおろした。


(……下村がバカで……)


 と、内心で付け加えて。やはり下村明美アケミはジャーナリストには向いてない。それも、小野寺勇吾ユウゴなみの徹底さで。こんなガセネタを信じるようでは。そういえば、先月の連続記憶操作事件の主犯格の一人も、それを真に受けていたが、そいつも明美アケミと同様、情報リテラシー能力にとぼしいようである。とはいえ、そのことを明美アケミに伝えるわけにはいなかった。その根拠を反問されるからである。それには答えられない以上、沈黙を守るしかなかった。内心では、これからも、その調子で、真実からほど遠い報道を勝手に続け、勝手に自己満足にひたりなさいと思い捨てて。


(――できればアタシたちとは無関係なところでね――)


 リンのささやかな願いをよそに、明美アケミはまだ騒ぎ続けている。


「――それで、小野寺。ヤマトタケルに会わせなさい。アンタの影の従者なんでしょ。主命にはしたがうはずよ」

「――えっ!? あ、合ってどうするの?」

「もちろん独占取材に決まってるでしょ。訊きたいことは山ほどあるんだから」

「……で、でも……」


 言いよどむ勇吾ユウゴに、明美アケミはさらにせまる。


「……ああ、どうしたらいいの、アタシ……」


 アイは想いを寄せている小野寺勇吾ユウゴとヤマトタケルの両者に対してどちらかを選ぶことができずに頭を抱えている。


「……なんだかなかなかのカオスになってきたわね」


 亜紀はこの状況の感想を述べると、フォークに刺したパンケーキの一切れを自分の口に運ぶ。


「……そうですね。しかもそれがさらに深まる要素が、ここに入店して来ます」


 その現実から目をそらすように窓外の景色を眺めていたリンは、それ越しに龍堂寺イサオと蓬莱院良樹ヨシキの姿を見つけて応じる。

 ――二人が入店した喫茶店カフェ『ハーフムーン』のあるショッピングモールに、初夏の強い日差しが垂直に降りそそいでいる。

 暑い一日になりそうであった。


                                 ――完――

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