第3話 黒巾党

 陸上防衛高等学校の在学生が、警察の職務を遂行しているのは、いささか浅からぬ事情がある。

 超異変により、人類が弥生やよい時代からやり直すハメになった二周目時代の世界には、一周目時代には存在しなかったものが存在するが、それは超心理工学メタ・サイコロジニクスだけではなかった。

 人間の脳機能や知能指数IQが向上する不可思議な地域スポツトの存在もそのひとつである。

 そこに人間を月単位で住まわせると、それだけで、それらが歴史上の偉人レベルにまで上昇する事実が、近年になって明らかになったのだ。

 現に二周目時代の歴史に名を残している偉人の過半は、その地域の出身者で占められており、しかも偉人だけでなく、様々な特殊能力者も輩出している。

 超能力や超脳力の使い手もそのひとつである。

 超心理工学メタ・サイコロジニクスの最先端技術をこの浮遊諸島に集中させたのも、そうした事情も働いていた。

 ただ、脳機能やIQの向上に、個人差や有無が激しいため、科学的な証明にはいたっていない。

 いずれにせよ、それらの事実が判明し、国内に公表して以来、その浮遊諸島には、全国からそれ目当てで移住する者たちが殺到した。

 その結果、その地域の人口は過剰なまでに過密となり、それに起因する様々な社会問題が噴出した。

 対応をせまられた第二日本国の中央政府は、そこへの居住資格を、それらの向上が顕著な成長期の少年少女に限定することで、問題を解決させたのである。

 そのような経緯で誕生したのが、『超常特区』という地方自治体なのである。

 つまり、現在の超常特区は、十代の少年少女たちによって運営されているのである。

 内政自治はもとより、経済活動や治安維持も。

 しかし、教育関係の分野は例外である。

 そのような性質なので、超常特区のインフラ施設は、超心理工学メタ・サイコロジニクス系列のそれのように、おのずと学校などの教育機関に比重が置かれ、超常特区の運営も各学校の在学生によって執りおこなわれている。

 よって、陸上防衛高等学校の在学生である龍堂寺イサオが、学業と警察の職務を兼行しているのは、超常特区においては、別に珍しくないのである。

 その龍堂寺イサオは、現在、警察署の取調室で、一人の重要参考人を取り調べている。

 取り調べられているのは、陸上防衛高等学校の歩兵科の一年生、鈴村アイである。


「――だぁかァらァ、アタシは黒巾党ブラツク・パースなんて知らないって言ってるでしょうがっ! いい加減にしてよっ!」


 アイは立ち上がると同時に、アルミ製の机に両の掌を叩きつけてさけぶ。机越しに対面しているイサオはひるむことなく冷然と応じる。


「――そないなわけあらへんやろ。おのれが提出した見聞記録ログには、黒巾党ブラック・パースに襲われとる場面の視覚映像がバッチリ撮られてあったんやで。なんも知らへんとは考えられへんわ」

「……そ、それは、逃走する黒巾党ブラック・パースを捕まえようとして返り討ちにあった時のものよ。アイツら、アタシとの想い出が詰まったユウちゃんの記憶をメチャクチャにしたから」

「――で、とどめをさされそうになった所を、目つきの悪い少年ガキに助けらたっちゅうわけか」

「目つきの悪い少年ガキじゃないわ。日本武尊やまとたけるのみこと様よ。神話上の偉人にして須佐すさ十二闘将最強の戦士の――」

「そないな中二名称ネームなんざだれも訊いとらんわっ、ボケっ!」


 立ち上がったイサオも、これまでの冷静さをかなぐり捨てて叫び返す。元々そんなタイプのキャラではないので、それを演じる限界は平均値よりもはるかに低かった。


「――ワイが訊きたいのはそいつが何者やっちゅうことやっ! おのれの見聞記録ログだど、陸上防衛高等学校の制服を着とっておったが、ワイが調べたところ、そこには在籍しとらん事実が判明しおおったわ。身元だって不明やし、黒巾党ブラック・パース以上にごっつう怪しいわ。そないなヤツが、警察の真似事なんざしくさって、ホンマ、いけすかんやっちゃ」

「それはアンタら警察が不甲斐ないからでしょっ! ろくに事件のひとつも解決できないくせに、いばらないでっ!」

「なんやとっ!? 警察をなめくさると、この場で逮捕するでっ!」


 イサオは脅すが、アイはまったくひるまずに応酬する。


「――逮捕するなら、ユウちゃんの記憶をメチャクチャにした犯人を――黒巾党ブラック・パースを逮捕しなさいよっ! どうせ手がかりすら掴めてないんでしょ。それどころか、ユウちゃんを始めとする被害者の救済すら滞ってるし。ホント、いばるしか能がない無能な連中ね」

「――逮捕ならしたわっ! 記憶銀行メモリーバンク強盗に及んだその三人をっ! いま別室で取り調べとる最中やっ! これで文句あらへんやろっ!」

「それができたのも日本武尊やまとたけるのみこと様がその三人を倒しておいてくれたからでしょっ! なのになに自分が倒したかのように言ってるのよっ! 他人の手柄を横取りしないでっ!」

「~~~~~~~~っ!!」


 イサオは心の底からこみ上げてくる怒気で顔中を真っ赤にさせるが、歯ぎしりするだけでなにも言い返せなかった。これだけに関して言えば、アイの言う通りだからである。


「――ま、日本武尊やまとたけるのみこと様に感謝しておくのね。彼のおかげでようやく捜査が進展するんだから。これもどうぜ行き詰まってたんでしょ」


 ほとんど決めつけに等しいアイの指摘にも、イサオ反駁はんばくできなかった。実際、これもその通りであるのだから。

 現在、二カ月前から超常特区内で発生している、一連の連続記憶操作事件に対する警察の捜査は、非常に難航しているのが実状であった。小野寺勇吾ユウゴに限らず、記憶操作された被害者たちの記憶には、犯人の手ががりに繋がるものはなく、『黒巾党ブラック・パース』という少年犯罪カラーギヤング組織の仕業以外、何一つ判明していない。更に言うと、被害者の中には、現実と矛盾した偽物の記憶を植えつけられている者までいるので、それが頼りの捜査では、進展どころか混乱する有様なのだ。

 連続して記憶操作された被害者が現れる事件――連続記憶操作事件と言われる所以ゆえんである。

 被害者はすでに一〇〇人を越えており、実態はその一〇倍以上ではないかと推測されている。

 ぶっちやけた話、被害者が犯人に襲われる場面を目撃した目撃者の見聞記録ログが、警察に届けられなかったら、事件にさえ発展しなかった可能性すらあった。

 それまでは単なる都市伝説のひとつとしてまともに相手にしていなかったので。

 それでも、最近になってようやくつかめた手がかりが、いくつかあった。

 ひとつは、被害者が、超心理工学メタ・サイコロジニクスの科学者や技術者と、犯行現場の目撃者の二種類だけだという事。

 もうひとつは、被害者が消去された記憶が、超心理工学メタ・サイコロジニクスに関する技術的知識・情報ノウハウと、犯人に関する情報だけだという事。

 このふたつだけである。

 だが、それ以上のことは完全に闇の中であり、これだけでは犯人像の特定はほぼ不可能だった。

 犯人の正体や目的もむろんわかっていない。

 ゆえに、単なる愉快犯の可能性も捨て切れないのだ。

 物証にいたっては言わずもがなである。

 だが、今回の記憶銀行メモリーバンク強盗事件で、これまで一人として確保できなかった黒巾党ブラック・パース党員メンバーを、三人も確保できたので、詳しく取り調べれば、これまでとは比較にならないほどの捜査の進展が期待できる。うまく行けば、一気に解決できるかもしれない。


「――ふん。やっぱり日本武尊やまとたけるのみこと様のおかげじゃない。そこまでうまく行ったのは。だから警察は当てにならないのよ」


 視線をそむけたままのイサオの横顔を見て、アイは言い捨てる。龍堂寺イサオが、現在の警察の連続記憶操作事件の捜査状況を話したのだ。アイの厳しい視線に耐えかねて。


「――これなら、日本武尊やまとたけるのみこと様の方がよっぽど頼りになるわ。すでにわかり切っていた事だけど。さすが中二の世界じゃ、軍隊と並んで存在感が空気なだけはあるわね、警察は」


 今度は吐き捨てるような口調で罵倒する。もし超常特区の警察が有能なら、鈴村アイも、非科学的で中二病的な方法で、独自に幼馴染の記憶を元に戻そうとはしなかったかもしれない。


「せやなら何でおのれはその軍隊の教育機関である陸上防衛高等学校に入学したんやっ!?」


 イサオが声を荒げてたずねる。記憶銀行メモリーバンク強盗事件とはなんの関係もない質問だが、あまりにも不条理な非難にたまりかねて、ツッコまずにはいられなくなったのである。


「――それはもちろん、『大神十二巫女衆』の筆頭巫女であるアタシの実力を、愚昧な民衆どもに知らしめすためよ。陸上防衛高等学校なら、その差が際立つつからね。見てなさい。この件が終わったら、在学生や教師たちに思い知らせてあげるんだから」


 アイは自信満々な態度で答える。リンが聞いたら、『現実と中二世界ワールドの区別が完全についてない』と、あきれまじりに酷評したであろう。


「――もしそうなれば、警察や軍隊の存在に疑問を抱くようになって、最終的には現実世界から両者の存在を認知されなくなるわ。そして、アタシたち『大神十二巫女衆』や『須佐すさ十二闘将』を始めとする霊能力者や戦士たちが、警察や軍隊に代わって、悪者や魑魅魍魎から世界の平和を守る担い手となるのよ。一周目時代の中二世界ワールドのように。それがアタシの将来の夢よ」


 握り拳を作って力説する鈴村アイの瞳には、陶酔に似たお星さまのような光で輝いていた。


「――け、警察や軍隊をバカにするんやないっ! ワイらは市民のために日々一生懸命働いておるんやでっ! そないな得体の知れんもんに、警察や軍隊が劣るわけあらへんやろがっ!」


 負けじと反論するイサオを、アイは鼻で笑う。


「――はんっ! なにをエラそうに。そういう科白は、この連続記憶操作事件を解決してから言いなさい。これはきっと邪悪な陰陽師の仕業にちがいないわ。式神を使役してユウちゃんや被害者たちを襲い、記憶をメチャクチャにする呪術を施されたのよ。そんな頼りない手がかりよりよっぽど信憑性があるわ。だからそいつの討伐をアタシに依頼しなさい」

「だれがそないな依頼をするか、ボケェッ!! そんな訳あるはずないやろうがっ! 中二病な妄想も大概にせいっ!」

「なら早く帰してよっ! アタシは一刻も早く記憶銀行メモリーバンクにあるユウちゃんの記憶の無事を確認しなきゃならないんだからっ!」


 アイの要求に対して、イサオは首を横に振る。


「――そうは行かへん。おのれは記憶銀行メモリーバンク強盗事件の重要参考人なんや。帰すわけには――」

「――もういいじゃない、龍堂寺くん。それくらいにしても」


 龍堂寺イサオの背後から、弾むような声が投げかけられて来た。イサオが身体ごと振り向くと、一人の女子が、取調室の出入口の境界線上に立っていた。

 両耳の上に束ねたツインテールの長い髪をなびかせた、鈴村アイよりも一つ年上の女子のようだが、その容姿と仕草は芸能界のアイドルのような瑞々みずみずしさと愛くるしさに満ちている。陸上防衛高等学校とは異なるデザインの茶色の学生服ブレザーに、『無縫院むほういん真理香マリカ』というゴシック体の文字が記されたタスキをかけているそれが、ツインテールの少女の名前のようである。


「――大巫女長さまっ!」


 表情を輝かせたアイが、目の前に佇む年上のツインテールの少女を、そのように呼ばわる。


「――まっ、真理香マリカはんっ?!」


 イサオの声と表情も、鈴村アイのそれらに準じている。


「――龍堂寺くん。この件に鈴村は関係ないわ。だから解放しなさい。かわいそうじゃない」


 無縫院真理香マリカはたしなめるように命令するが、その口調は表情にふさわしく柔かかった。


「……い、いや、せやけど、そういうわけには……」


 イサオはあからさまに難色を示すが、


「――お願い。イサオちゃん」

「うん、わかった。解放する」


 語尾にハートマークをつけた懇願の言葉と満面な笑顔に、あっさりと折れた。リンと違って。

 こうして、鈴村アイは無事取調室から出られた。


「――ありがとうございます。大巫女長さま。アタシを無能で分からず屋な警察の取り調べから解放してくださって」


 廊下に出たアイは、ツインテールの美少女に深くおじきをする。


「お安い御用よ、これくらい。それに、鈴村が無実なのは、このあたしがよく知ってるから」


 真理香マリカは笑顔を浮かべて闊達かったつに応える。


「――おっ、鈴村も解放されたのか」


 無縫院真理香マリカの背後から、声と片手を上げながら歩いて来るショートカットの少女の姿が、鈴村アイの視界に映った。

 観静リンである。


「――お務め、ご苦労さま。いやァ~、さぞ厳しかったでしょう。龍堂寺の取り調べは」

「だれのせいでこんな事になってしまったと思ってるのよっ! 他人ひと事みたいに言わないでちょうだいっ! アタシを巻き込んだ張本人がっ!」


 アイが激怒の言葉を投げつける。だが、リンの隣にならぶ糸目の少年の姿を認めると、途端に喜色満面になる。


「――ユウちゃんっ! ユウちゃんも解放されたのねっ! よかったァ……」

「……う、うん……」


 小さくうなずく勇吾ユウゴに、アイは大きくうなずく。


「――どう、小野寺くん。記憶の戻り具合は」


 真理香マリカがいささか無遠慮にたずねる。


「……う、ううん……」


 勇吾ユウゴは首を横に振って答える。


「――そう、残念ね……」

「――大丈夫ですっ! 大巫女長さま。記憶銀行メモリーバンクに行けば、ユウちゃんの記憶が――」

「――残念やけど、そこへ行っても小野寺の記憶はあらへんで」


 アイの背後にたたずんでいたイサオが、水を差すように伝える。


「――えエェっ?! どうしてなのっ!?」


 アイは身体ごと振り返ってその理由をうながす。


「――たったいま上がった部下からの報告やと、小野寺に関する記憶は最初ハナから記憶銀行メモリーバンクの記憶媒体装置には保存されてへんかったんやって。それどころか、その記録すらない。たぶん、一度も利用したことあらへんとちゃうんか、小野寺」


「……う、うん……」


 勇吾ユウゴは再びちいさくうなずく。


「……そ、そんなァ……」


 それを聞いて、アイは落胆の声を漏らすと、糸目の少年にキッとした目つきで視線を転じる。


「――ユウちゃんっ! それならそうとどうして言ってくれなかったのよっ!? とんだ無駄骨だったじゃないっ!」


「……だ、だって、言っても聞いてくれなさそうだったんだもん。記憶操作の影響で覚えてないだけだと言って……」


「……………………」


 幼馴染の述べた理由に対して、アイはなにも言い返せなくなる。


「――たしかに、そんなこと言いそう。――ていうか、それ以外言わないわね」


 同意を示したのは観静リンであった。これに対しても鈴村アイは反論できない。そして、アイの目尻に涙が溜まり出し、


「……うう、ユウちゃんの記憶を元に戻す最後の機会チャンスだったのに、どうして……ううっ……」


 とうとう顔を両手で覆って泣き出す。


「――泣かないで、鈴村」


 そんなアイをなぐさめたのは無縫院真理香マリカであった。

 リンアイの不幸をあざ笑うよりも早く。


「――小野寺くんの記憶はきっと戻るわ。だから、それまで諦めちゃダメ。あたしも応援するから。これまで通り」

「――はいっ! 大巫女長さまっ!」


 一つ年上の女子に励まされて、アイは瞬く間に明るさを取り戻す。

 わかりやすい事この上ない切り替えの早さであった。


「――ところで鈴村。大巫女長ってなに? アンタとはなんだか親しいみたいだけど」


 リンが怪訝そうに質問する。


「――天照大神あまてらすおおみかみに仕える側近中の側近にして、大神十二巫女衆を束ねる――」

「――アンタの脳内中二設定なんか訊いてないわっ! アタシが訊いてるのはアンタと無縫院との関係についてよっ!」

「――なんや、知らへんのか、観静。真理香マリカはんについて」


 イサオが無遠慮に口をはさむ。


「……世間が知ってる以上のことは知らないわよ……」


 口をはさまれたリンは不機嫌そうに答える。


「――やっぱ知らへんのかい。モグリやのう。せやなら、ワイが詳しく教えたるさかい、耳かっぽじってよく聞けや」


 イサオは感想と前置きを述べると、まずは初歩的な質問をする。


「――『無縫院むほういん美佐江みさえ』は知っとるよな」

「……知ってるわよ。それくらい……」

「なら言うてみい」

「……二周目時代における現代史の偉人でしょ。数年前まで生きていた――」

「……うむ、そうや。それで……」

「――要するに、無縫院真理香マリカは、無縫院むほういん美佐江みさえの娘なんでしょ」

「その通りや」


 イサオが自分自身のことのように自慢げにうなずくと、本格的な説明を始めた。

 無縫院むほういん美佐江みさえとは、超心理工学メタ・サイコロジニクスという科学技術テクノロジーを、この二周目時代に産み落とした、稀代の天才女性科学者である。

 後に超常特区と呼称されるこの浮遊諸島の出身者の例に漏れず、そのIQはとても高く、卓越した頭脳をもって、超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論の確立を始め、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの構築、エスパーダの開発など、数え上げれば際限きりがないほどの業績を残した、歴史に名を残してもおかしくない程の偉人なのだ。一周目時代ならノーベル物理学賞連続受賞ものの快挙である。

 ゆえに、その声望は現在の天皇に次ぐと言っても過言ではない。

 その一人娘である無縫院真理香マリカは、その血筋を受け継いでいるだけあって、成績は優秀。品行も方正。容姿にいたっては申し分のない才女で、男子はおろか、女子にも人気が高い。『学園都市国家』の一面も持つ超常特区の住人からは、アイドルとして崇められているのだ。

 母親の功績の恩恵を受けたことで、無縫院真理香マリカは、母親と同様、士族よりも上である華族の称号、『院』を授かり、無縫院家の名声は不動のものとなっていた。

 現在は学業のかたわら、正真正銘のアイドルとして、芸能界で活躍している。


「――今日、真理香マリカはんが警察署におるのは、一日警察署長として署内巡察と署員への訓示を述べるために来訪したんや。むろん、芸能活動の一環としてな」

「……それでそのタスキをかけているんだ……」


 勇吾ユウゴが洩らした素朴な感想を聞いて、イサオは自慢げな表情でうなずく。


「――せや。これでわかったやろ。真理香マリカはんとそのお袋はんがどないに凄いのか」

「――ええ。確かに凄いわ。さすが偉人の娘ね」


 イサオからの説明を聞き終えたリンは、それを締めくくる形で感想を述べたが、どこか皮肉の成分が含まれていた。

 それを敏感に察した無縫院真理香マリカの美顔が、一瞬だが険しくなる。それも、過剰なまでに。


「――なによ。その皮肉っぽい言い方は。なんか文句でもあるの」


 アイが両目を釣り上げる。ただならぬ反応を示した真理香マリカの様子には気づかぬまま。


「……べっつにィ。単にひがんでいるだけよ。あまりにの凄さに、嫉妬しているの。とてもそんな立派な人間に、アタシはなれそうにないから。ああ、うらやましい」

「当たり前よっ! アンタみたいな悪邪鬼女アクジャキジョが、大神十二巫女衆を束ねる大巫女長のような人物になれるわけないでしょっ! 身のほどをわきまえなさいっ!」

「せやせや。真理香マリカはんはあの無縫院美佐江の血を受け継いでいる立派な女性なんやで。天皇陛下に次ぐほどの。おまけに偉いべっぴんさんと来た。おまえと違うてな」


 イサオも、アイに続いて無縫院美佐江の娘を一通りたたえる。


「――あの時、ワイが陸上防衛士官学校の入学試験の合格を直接祝ってくれたことを、ワイは今でも覚えておるで。ホンマ、嬉しかったわ。ワイはそれで真理香マリカはんの熱烈なファンになったんや。おのれはそないな彼女を敬う気はあらへんのか?」

「ないわね」


 リンはあっさりと答える。


「――しょせんは親の七光りでしょ。それを利用して振りかざすだけのヤツを、どうしてアタシが敬わなけりゃならないのよ。ましてや、その母親は――」

「観静っ!」


 イサオがうなり声を上げる。


真理香マリカはんの誹謗中傷わるぐちは許さへんでっ! 例えそれが中学からの腐れ縁でもなァッ!!」


 激烈な口調で宣言すると、左腰に差してある光線剣レイ・ソードに手をかける。今にも抜刀しそうな気配である。リンを睨む眼光も、口調と同様の光を放っている。その迫力に、勇吾ユウゴはビビるが、


「――おやおや、勇ましいことで」


 リンは微塵も動じなかった。むしろ、不遜な態度と言動がさらに際立つ。


「――そういう科白はせめて連続記憶操作事件を解決してからにしなさい。一ミリも捜査が進展してないこんな時に、自称超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘を、一日警察署長に任命して遊んでる場合じゃないでしょ。アンタってホント女には弱いんだから。特にアイドルは」

「なんやとぉっ!? もういっぺんうてみいィッ!!」


 イサオが怒号を放つと、抜刀の構えのまま一歩を踏み出す。一触触発の空気が張り詰め、まさに破裂する寸前――


「――いいのよ。龍堂寺くん」


 無縫院真理香マリカが発した美声によって回避される。


「――あたしは平気だから」


 その表情は天使の笑顔なそれであった。それにより、張り詰めた空気も急速にやわらぐ。


「……いや、せやけど……」


 イサオは語を継ごうとするが、


「――芸能界にかぎらず、アンチはどこにでもいるわ。多かれ少なかれ。そんな人の言動やカキコミをいちいち気にしてたら、身も心も持たないわ。だから心配しないで。ね」

「うん。わかった。真理香マリカはん」


 色気満載の蠱惑こわくな語尾に、あっさりと引き下がる。鼻の下が限界まで伸びているのを、リンが苦々しく見つめるが、口に出してはなにも言わなかった。


「――で、これからどうするの? 小野寺くんの記憶の手がかり、うしなったんでしょ」


 真理香マリカが話題を変えるようにアイに尋ねる。


「……そのことなのですが。アタシ、どうしたら……」


 途方に暮れる愛に、真理香マリカは、


「――そうね、今度はここへ訪ねてみたらどう?」


 そう言ってエスパーダに触れると、自分の脳内に保存してある記憶情報を、テレメールでアイたちに送信する。

 それは、とある施設の所在地と、その施設の名称が記された地図の記憶であった。


「……『遺失技術ロストテクノロジー再現研究所』……」

「――そこならなにか小野寺くんの記憶を元に戻す方法があるかもしれないわ」

「――わかりました。ではさっそく訪ねてみます」


 鈴村アイは迷うことなく無縫院真理香マリカ助言アドバイスにしたがう。


「――いつもいつも、本当にありがとうございます。大巫女長さま」

「いいのよ。あたしは当然のことをしてるだけなんだから」

「そんなことはありませんわ。大巫女長さまのおかげで、どれだけ助かっているか……」


 真理香マリカを見つめるアイの瞳には、憧憬に似た輝きがあった。そんなアイに、真理香マリカはさらに告げる。


「――もしそこでも小野寺くんの記憶を元に戻す方法が見つからなかったら、あたしのマンションへ来て。今日の一日警察署長の仕事も、もうすぐ終わるから、その頃には在宅してるわ」

「いいのですかっ!? ……でも、一般人は芸能人のマンションには入れないそうですけど」

「――管理人にはあたしが話を通しておくわ。だから安心して」


 それを聞いて、怪訝そうだったアイの表情が笑顔のそれに変わる。


「ええなァ。真理香はんの部屋にお邪魔できるやなんて。ワイがお邪魔したいくらいやのに」


龍堂寺イサオがうらやましそうに指をくわえるが、不意に首をかしげる。


「――せやけど、真理香はんのマンションに鈴村たちを招いてどないするの?」


 不思議そうに問われた真理香マリカは、会心の笑みを浮かべて答える。


「――あたしのマンションには、母が遺してくれた超心理工学メタ・サイコロジニクスの研究資料があるの。それを調べたら、そこにもなにか手ががりがあるかもしれないわ。記憶操作は超心理工学メタ・サイコロジニクスの技術を用いないと作れない代物だし。ひょっとしたら記憶を元に戻す方法があるかもしれないわ」

「本当ですかっ!?」


 アイが驚きの声を上げる。


「――ウソを言ってどうするのよ。でも、それはあくまで『遺失技術ロストテクノロジー再現研究所』でも手ががりが見つからなかった場合よ。見つかったらその必要はないわ。母が遺した超心理工学メタ・サイコロジニクスの研究資料は、だれにでも気軽に閲覧できるものじゃないからね」


 真理香マリカは誇らしげな表情でつけ加える。


「……母さんの? なに言ってるのよ……」


 それを聞きとがめたリンが、一瞬だが嫌悪の表情を閃かせてつぶやき捨てる。


「……………………」


 勇吾ユウゴはそんなリンを心配そうに見やっている。


「――わかりました。ではさっそく行ってきます。ホラ、行くわよ、ユウちゃん」


 アイは幼馴染の手を取ると、踵を返して歩き出す。勇吾ユウゴは逆らわずについて行く。


「――ちょっとォ、待ちなさいよォ」


 リンが慌てて二人の後を追いかける。その際、無縫院真理香マリカを肩越しに見やるが、すぐに視線を前に戻し、廊下の角を曲がって階段を下りる。


「――待ちなさいって言ってるでしょうが」


 警察署の中央玄関から外に出たところで、リンがふたたびアイを呼び止める。アイはその場で立ち止まると、怒ったような表情を観静リンに向ける。


「――なによ、いったい。アタシは今とっても忙しいのよ。ユウちゃんの記憶を元に戻すのに。他人ひとの不幸探しに必死なアンタなんかにかまっている時間ヒマなんてないんだから」


 それを聞いて、リンは半ばあきれた表情になる。


「……アンタねェ、よく無縫院の言うことを鵜呑みにするわねェ。少しは疑わないのォ?」


 その質問に、アイはあらためてリンと向きなおってから答える。


「――あの人はね、アタシがユウちゃんの記憶を元に戻すのに色々と力を貸してくれているのよ。ユウちゃんの記憶が失ってから、ずっと。あの人の協力がなければ、アタシはその方法を試すことさえできなかったわ。あざ笑うだけのアンタと違ってね」

「あはははははははは……」


 リンは乾いた笑い声を漏らす。


「――そんな人の言うことを疑問に思うなんて、失礼以外の何物でもないわ。ほんの少しでもいいから、アンタもあの人の事を見習いなさい。ひがんでないで」

「へいへい」


 リンはいい加減な口調で応じる。


「――ま、アタシとしては、『吉事』のネタを提供してくれるのなら、文句はないけどね。期待してるわよ、鈴村」

「捨てろっ! そんな期待っ!」


 アイはツッコミを入れるような勢いで大声を上げるが、これ以上なにを言っても無駄だと悟ったのか、リンを無視してふたたび歩き出す。無論、幼馴染の手をひっぱって。


「……やれやれ……」


 その後ろ姿を見て、リンはひとつ肩をすくめると、二人の後を追った。


「――行ったわね」


 そんな三人を、無縫院真理香マリカが、階段に面した警察署の二階から、窓越しに見下ろして言う。


「――せやな」


 それに応じた龍堂寺イサオも、真理香マリカのそばで、彼女と同じ対象を見つめている。


「――これで小野寺の記憶が戻ればええんやけど……」


 イサオが心配そうな口調で独語すると、


「――戻るわ、きっと」


 真理香マリカが闊達な口調で軽く断言する。


「――そのために警察やあたしも尽力してるんだから。だから龍堂寺くん、元気を出しなさいっ! それも、限界を越えるほどのねっ!」

「……せやな。こんな時にワイがしょげててどないするんや。ようやく黒巾党ブラック・パースの太い尻尾を掴んだっちゅうのに。タナボタなのがシャクやけど……。――よしっ、がんばるでっ!」


 イサオは自分に言い聞かせるように気合いの入った声を張り上げる。


「――しかし、真理香マリカはんはホンマえらいのう。さっきの観静との対応はもちろん、小野寺や鈴村はんを始め、連続記憶操作事件の被害者やその関係者の介護ケアを、芸能活動の一環として組み込み、その救済キャンペーンまで開くやなんて。ワイら警察はそこまで手がまわらへんから、とても助かるで。ホンマ、立派ですわァ」

「――なに言ってるのよ。そんなの、人として当然でしょ。あたしを誰だと思ってるの。無縫院真理香マリカよ」


 真理香マリカは真昼の陽月ようげつのように表情を輝かせて断言する。そのまぶしさに、龍堂寺イサオは思わず目を細める。


「――さすが、超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親、無縫院美佐江の娘やな。偉人の子となると、言うことがまるでちゃうわ。冗談シャレ抜きの話、ホレてまうで。ファンとしてではなく、一人の男として」


 イサオは絶賛するが、その途端、真理香マリカの表情が急速に曇る。それも分厚く。ついさっきまでの、真昼の陽月のような明るさが消え失せ、まるで別人のようになる。


「……あれ? どないしたん?、真理香マリカはん」


 イサオは不思議とも怪訝ともとれる表情で真理香マリカの顔をのぞきこむ。


「……なんでもないわ……」


 真理香マリカは答えるが、その表情は曇ったままで、むしろ時が経つに連れてその厚さが増しつつあるように、イサオには見えた。


「――無縫院さん。そろそろお時間ですが」


 無縫院真理香マリカの背後から、控えめで事務的なひびきの声が伝わって来た。

 イサオはおどろいた表情で声が聴こえた方角にも視野を広げると、藍色のスーツを着た一人の少年が、無縫院真理香マリカの背後から五、六歩ほど離れた壁際に立っている姿を捉える。

 そのスーツの胸の部分には『久島くじま健三ケンゾウ』という名前の書かれた名 札ネームプレートがついてあった。

 無縫院真理香マリカと同年齢と思われる、無表情だがなかなかの美少年イケメンである。


(――なんや。真理香マリカはんのマネージャーやないか。驚かせおおってからに――)


 イサオは内心でつぶやく。


「――あら、もう時間なの。それじゃ、さっそくテレタクを手配して」


 真理香マリカが指示すると、彼女のマネージャーである久島健三ケンゾウはそれにしたがう。エスパーダに手を置き、テレポート交通管制センターに精神感応テレパシー通話する。手早く、効率的にテレタクの手配を終えると、久島健三ケンゾウの双瞳はある方向にむけられる。

 二人の少女とともに警察署を離れつつある糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴに。

 その後ろ姿を、窓越しに捉えた瞬間、無表情であった健三ケンゾウの表情が激しくゆがみ、歯ぎしりの音を立てる。


「……どうして、ヤツだけが……」 


 そのつぶやきも、表情にふさわしく怨嗟に満ちていた。


「――どうしたの? 久島」


 真理香マリカの声に、久島健三ケンゾウは我に返ると、表情を消して事務的な口調で伝える。


「――テレタクの手配が終えました。いつでも帰宅できます」

「――わかったわ。それじゃ、すぐにあたしたちを空間転移テレポートさせて」


 再び自分のマネージャーに指示を出す真理香マリカに、龍堂寺イサオがためらいがちに声をかける。


「……あの、真理香マリカはん……」

「――それでは、龍堂寺さん、さようなら」


 だが、真理香マリカはそっけない口調で別れの挨拶を告げて、その場から姿を消した。

 マネージャーの久島健三ケンゾウとともに。

 むろん、文字通りの意味である。


「……帰ってもうた……」


 一人取り残された龍堂寺イサオは、その場で茫然と立ちつくしたままつぶやく。


「……どないしたんやろか。急によそよそしゅうなって……」


 イサオの太い眉が困惑にひそまる。


「……なんかマズいことでも言うてもうたんかな? それとも、男には絶対にわからんと言う、例のアレの日か?」


 正解にはほど遠い推測を口にして。




 無縫院真理香マリカは、自分のマンションの玄関前に立っている。

 警察署からここまで来るのに、まだ一歩も足を動かしていない。

 テレポート交通管制センターの空間転移テレポートによって、瞬時に帰り着いたからである。


「……結局、龍堂寺も他の人たちと同じね。最初からわかり切っていたことだけど……」


 悄然と冷然を混合した口調でつぶやきながら、真理香マリカは自動ドアをくぐる。そして三歩ほど歩いたところで立ち止まると、玄関前に立っている同年輩の少年を肩越しに見やる。


「――明日の予定スケジュールはどうなっているの。久島」

「――はい。いくつかの依頼オファーがありましたが、すべて断りました」


 抑揚のない口調で答えた健三ケンゾウのそれを聞くと、真理香マリカは満足げな表情でうなずく。


「それでいいわ。明日はあたしにとってとても大切な日になるのだから。貴方にとっても」

「――はい」

「――それじゃ、頼むわよ」


 そう言い残して、真理香マリカは一階のマンションの奥へ歩いて行った。

 その後姿に一礼した健三ケンゾウが顔を上げると、エスパーダに手を置き、精神感応テレパシー通話する。


(――予定に変更はない。ただちに実行に移せ――)


と、誰かに告げて。

 無縫院真理香マリカの部屋は、最上階である一八階にある。高級マンションなので、外装も内装も調度品も高級である。その分、家賃はとても高く、在学生のアルバイト程度の収入では、到底払えない金額設定になっている。そのため、このマンションに住めるのは、裕福な実家から高額の仕送りが受けられる華族の子弟や子女くらいだが、真理香マリカの場合、芸能活動で得られる収入だけでも充分おつりが来るほどの超人気アイドルなので、一人でも自活できるのだ。

 それでも、このマンションの住人は少なく、特に上階の部分は、ほぼ無人なので、自分の部屋の前に到着するまで、真理香マリカは誰ひとり出会うことなかった。

 部屋の前の頭上から、昼過ぎの日差しが、頭上の窓ガラスを透過して廊下を照らしている。

 それは部屋のドア把手ノブも例外ではなかった。

 陽月の日差しに反射して鈍い光沢を放っている。

 そして、真理香マリカ把手ノブの鍵穴に鍵を差し込んだ時、突如その光沢が消える。

 日が陰ったからである。

 だが、それは雲によってではなかった。

 人であった。

 無縫院真理香マリカ以外の。

 真理香マリカは自分のものではない人の影が差した上方に視線と顔を上げる。

 そこには――




 『遺失技術ロストテクノロジー再現研究所』とは、その名称の通り、『超異変』によって遺失した一周目時代の科学技術テクノロジーを、現在の技術での再現を研究する施設である。

 四十年前に一周目時代のデータベースを発見したのが、発足の契機であった。

 その中には、科学技術テクノロジーだけではなく、一周目時代に関する様々な情報が記録されていた。

 それにより、それまでは神話や伝説の域を出ていなかった『超異変』以前の時代の存在が、事実として認識されたのだった。

 世紀の大発見といっても過言ではなかった。

 『超異変』以前の時代を『一周目時代』、『超異変』以降の時代を『二周目時代』と区分するようになったのも、この頃からである。

 『第二日本国』という名称に国名を変更したのも。

 発見当時の人類が受けた影響は甚大で、『第二次幕末』という動乱が勃発したほどであった。

 一周目時代の第一次幕末の日本にあった黒船来航に匹敵する衝撃だったのだ。

 超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親である無縫院美佐江も、一周目時代に存在していた『電子工学エレクトロニクス』の技術情報を参考に、現在の超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論を構築したという説がある。

 無論、その影響は四十年経った現在でも色濃く続いている。

 鈴村アイが期待に胸を膨らませるのも無理はなかった。

 だが、


「……どうして、どうして無いのよォ……」


 結局、小野寺勇吾ユウゴの記憶を元に戻す方法は、そこでも見つからなかった。

 その結果に、アイは悄然とした口調と足取りで、昼過ぎの一車線道路の歩道を歩いている。

 遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の建物に背を向けて。

 勇吾ユウゴリンのホバーボートとホバーバイクは、どのような経緯でそうなったのか、警察に押収されてしまったので、返却されるまで三人は徒歩で移動するハメになっている。


「……一周目時代の科学技術テクノロジーは、現在いまの二周目時代よりも進んでいるはずだと、学校の授業で聞いていたわ。なら、あって当然じゃないっ! それなのに……」


 どうしても腑に落ちないアイは、腹立ちまぎれに言い放つ。


「……し、仕方、ないですよ。鈴村、さん……」


 右隣を歩く勇吾ユウゴが、どもりながらもなだめる。


「……一周目時代の科学技術テクノロジーでさえ、失った記憶を元に戻す技術が確立されていなかったみたいですから。だからそんなに悲しまないでください」

「……うううっ、ユウちゃんが他人ひと事のようになぐさめるぅ。自分のことなのにィ……」


 ますます落ち込むアイに、勇吾ユウゴは困惑の表情を浮かべる。


「……そ、そう言われても、実感がないですから。僕が記憶操作されたっていう……あっ!」


 勇吾ユウゴは尻込みしながらも弁解するが、それが終わった途端、声を上げて立ち止まる。


「――どうしたの? 小野寺」


 アイの左隣を歩いている観静リンも、その足を止めて尋ねる。


「――カキコミです。僕の記憶掲示板メモリーサイトに、僕の家事に対する新たな評価レビューが、たったいま記載されたのです」

「……家事?」


 リンは一瞬、「なに言ってんだ、コイツ?」と言う奇異な表情を浮かべるが、


「……ああ。そう言えば、アンタ専業主夫を志望しているんだっけ。軍人じゃなくて……」


 その事を思い出して、納得する。その事を知った時の気分も。


「うん。そうだよ」


 勇吾ユウゴは嬉しそうにうなずく。


「専業主夫になるには必須の技能スキルだからね、家事は。だからその腕を磨くために、超常特区中の家や寮でそれを続けているんだ」

「――でもA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークの求人広告記憶掲示板メモリーサイトに、そんな職種はなかったような……」

「うん。だから慈善活動ボランテァアでさせてもらってるんだ。場合によっては金銭おかねを払って」

金銭おかね払ってるのっ!?」

「うん。アルバイトで稼いだ金銭おかねでね。エネルギー会社の精神エネルギー貯蔵タンクに、自分の精神エネルギーをチャージするっていう仕事だけど」


 勇吾ユウゴはうなずいて答える。精神エネルギーの精製には、人間を含めた有機生物からの自然発生以外になく、超心理工学メタ・サイコロジニクス技術系列に属する様々な機器やインフラ施設の稼働維持には、常時それからの精神エネルギーの供給が不可欠なのだ。エスパーダは元より、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局やテレポート交通管制センター、そして記憶銀行メモリーバンクも、それでまかなわれている。


「……そこまでしてでもしたいの。家事を……」

「うんっ! だって楽しいんだもん」


 ふたたびうなずいた勇吾ユウゴの表情は心底しあわせそうだった。


「……ちなみに、どんな評価レビューが来たの。アタシにも読ませて。今までのも含めて」

「いいけど、あまり参考にならないよ。今回のもふくめて、どれも不当な評価レビューだから」

「不当な評価レビュー?」

「そう。僕、ちゃんとやってるのに、みんなほめてくれないんだ。まったく、公正に評価レビューできない人ばっかりで、落胆がっかりするよ」


 はき捨てるような勇吾ユウゴの口調に、リンは珍しさと戸惑いを覚える。それも、どちらも極めて。父親譲りの温厚な性格の糸目の少年には似つかわしくない口調である。


「……ふうん……。そうなの……。まァ、いいわ。とにかく、アタシにも見せてちょうだい」


 その要求に応じた勇吾ユウゴは、エスパーダの精神感応テレパシー通信機能を使って、リンのそれとリンクする。そして、勇吾ユウゴの脳裏に浮かべている自分の記憶掲示板メモリーサイトを、相手の脳裏にも投影させる。リンはそこに映った小野寺勇吾ユウゴ記憶掲示板メモリーサイトを読み始める。

 この一連のやり取りは、すべて想像イメージする要領で行われている。

 これがエスパーダの情報処理と操作方法なのである。

 ボタンやタッチパネルでそれらをするガラゲーやスマートフォンとは、インターフェースが決定的に違うのである。


「……………………」


 一通り自分の脳裏でそれを読み終えたリンは、専業主夫志望の糸目の少年をあらためて見やる。

 リンの脳裏に、勇吾ユウゴ記憶掲示板メモリーサイトに載ってあった文面が、走馬灯のように駆けめぐる。

 当人が家事をしている場面を撮った見聞記録ログの静止画像つきで。

 その文面と画像は、


「ギャァーッ! 皿を全部割られたァーッ!」

「あアァーッ! 洗濯物がズタボロにィーッ!」

「うわァーッ! 掃除したはずの部屋がゴミまみれにィーッ!」

「ヒいィーッ! 料理が死ぬほどマズいィーッ!」


 というものであった……。

 ……画像も文面の評価レビュー――というより悲鳴にふさわしい絵面である。


「――ね。不当な評価レビューでしょ。僕ちゃんとやってるのに」


 勇吾ユウゴは不機嫌そうな表情でリンに同意を求めるが、


「どこが不当な評価レビューよっ! 何がちゃんとやってるのよっ! 当然の評価レビューの上に全然じゃないっ! 何この家事オンチッ!? ドジッ子やポンコツのレベルをはるかに超越してるわっ!」


 返って来たのは、激怒に等しい叫びであった。勇吾ユウゴは心底失望したような表情になる。


「ええェーッ?! 観静さんまでそんなこと言うのォーッ?! これでも上達したんだよっ! ケガで入院しなくなったんだからっ!」

「してたんかいっ?! 入院するほどのケガをっ?! 今までっ!」


 度重なる衝撃の事実と告白に、リンの目が酔っ払いのようにくらむ。今にも意識が失いそうなほどに。その様子に、勇吾ユウゴはまったく気づかずに嬉々として応じる。


「――そうだよ。この調子で行けば、父さんのような一人前の専業主夫になれるのも夢じゃない。幼い頃からの夢の実現に、また一歩近づけたんだ。ああ、はやく一人前の専業主夫になりたいなァ」

「その前に寿命切れになるわァッ!!」


 リンがツッコミを入れるかのようにふたたび叫ぶ。


「身内や周囲から猛反対されて当然よっ! そんな有様じゃっ! そんなもん目指すくらいなら、軍人を目指したほうがまだ望みがあるわっ! 教育環境的に考えてっ!」

「ええェ~っ?! そんなぁ~ッ……。う、ううっ……」 

「男がそんなんで泣くんじゃないっ! ちょっと鈴村、アンタからも言ってやってよ。専業主夫には極限なまでに向いてないって。それは幼馴染のアンタが一番よく――」


 そう言ってリンはそばにいるはずのアイに顔を向けるが、


「……あれ? いない……」


 その姿はどこにもなかった。

 リンは通行人がまばらに行き交う歩道の真ん中で視線をめぐらすが、アイの姿を発見することはできなかった。同様に気づいた勇吾ユウゴも含めて。どうやら会話に夢中になっている間にはぐれてしまったようである。リン精神感応テレパシー通話でアイと連絡を試みるが、出る気配はない。


「……こんな時に、いったいどこへ……」


 苦しげにつぶやくリンの表情に焦慮の色が濃くなるが、


「――たぶん、無縫院さんのマンションです」


 勇吾ユウゴの答えを聞いて得心する。


「――そういえば、そんなことを言ってたわね、無縫院のヤツ」


 リンは小声でつぶやくと、


「――わかったわ。ならすぐに向かいましょう。テレタクで。いまこの状況で鈴村を一人にしては危ないわ。急がないと――」


 言いながら、リンは、右耳のエスパーダに触れて、テレポート交通管制センターに精神感応テレパシー通話する。すると、勇吾ユウゴが、心配そうな表情でリンの顔を見やる。


「……あの、大丈夫ですか、観静さん。つい先刻さっきの事なのに、記憶力が低下しているような」

「――だ、大丈夫よ。アタシは今、自動調整の方に処理能力リソースを割いている影響で、記憶の完全保存機能が低下しているのよ。別にエスパーダ依存の弊害で若ボケになった訳じゃないから」

「……そ、そうですか……」


 勇吾ユウゴは腑に落ちない表情でうなずくが、口に出してたずねたのはそれに関する疑念ではなかった。


「……それで、どうですか? その自動調整の進捗状況は」

「――まだかかるわ。もう少し待ってて」


 そう答えると、リンは左耳にもある三日月状の小型機器を、左手で触れるのだった。




「――ここが大巫女長さまの住処すみかかァ」


 鈴村アイが無縫院真理香マリカの住む高級マンションの前に到着したのは午後二時ごろであった。

 昼過ぎの強い日差しが、建ち並ぶ横幅の広いマンションの壁や窓を照らしている。

 と言っても、『陽月ようげつ』は常に真上の位置なので、垂直に日差しを受けている地表や屋上と比較すると微妙に薄暗いが、それでも『雲』に『陽月』の陽光をさえぎられた時よりは明るい。

 アイはそのひとつである高級マンションを見上げてる。

 敬愛する無縫院美佐江の娘が住む、その最上階を。


「――偉人の一族の上に、アイドルもやっていたら、儲かるのね、やっぱり」


 そう感想を漏らしたのは、だが、鈴村アイではなかった。

 アイの背後から聴こえて来たものだった。


「――いつの間にっ!?」


 アイが振り向くと同時に飛びすさる。その目の前には、ショートカットの少女と糸目の少年の二人が並んで立っていた。

 観静リンと小野寺勇吾ユウゴである。

 テレポート交通管制センターのテレタクを利用して、瞬時にたどり着いたのである。


「――それはこっちの科白よ」


 リンは両手を腰に当てて言い返す。それに対して、勇吾ユウゴは穏やかな口調でそれに続く。


「……す、鈴村さん。心配しましたよ。突然いなくなって。どうして何も言わずに行ってしまったのですか。鈴村さんの身になにかあったら……」

「アタシの事はアイちゃんって呼んでって言ってるでしょ! ユウちゃんっ! 何度言ったらわかるのっ!」

「……ご、ゴメン……」

「――それに、ちゃんと言ったわよ、アタシ。先に行くわよって」


 アイは高めた声で幼馴染の質問に答える。二人が『そんなこと言ってたっけ?』と言いたげに顔を見合わせるが、アイはかまわずに続ける。


「――でも、ユウちゃん、全然聞いてくれなかったじゃない。観静との会話に夢中になってて」


 不本意と嫉妬にまみれた口調で。


「――しかもその内容は、アンタの家事についてと来たわ。その度に同じツッコミを繰り返すのは超疲れるから、アタシはその役を観静に押しつけて、一足先にここへ向かったってわけよ」

「……なるほど。アタシは家事が下手の横好きな専業主夫志望者の会話相手として生贄イケニエにされたのね」


 リンも不本意な表情を作って要約する。その事について山ほどの文句を募らせたいところだが、長引く上にそんな事している場合ではないと思い留まったので、口に出したのは別のことである。


「――ほら、行くんでしょ。無縫院の部屋に。そのためにここまで来たんでしょ」

「――そうだったわ。大巫女長さまに会って、ユウちゃんの記憶を元に戻すのに必要な情報を、大巫女長さまの母君の研究資料から探し出さないと」


 アイは自分の使命を思い出すと、マンションの正面玄関につま先を向けて歩き始める。


「――でも、その前に無縫院に来訪を告げないと、マンションに入ることもでき――」


 リンが思い出したかのように注意するが、透過ガラスでできた玄関の自動ドアは、その前まで来たアイに反応して開き、来訪者を招き入れたので、


「――ちゃった……」


 そのように科白を変えてつけ加えた。


「……まだ来訪を告げてないのに……」


 リンは首を傾げるが、


「――行きましょう。観静さん」


 アイの後を追う勇吾ユウゴにうながされて、仕方なくそれに続く。

 胸中に疑問を抱いたまま……。

 それは奥に進むにつれて増大した。

 ロビーは無人で、カウンターには制服を着た管理人すら控えてない。防犯カメラはあさっての方角にむいたまま静止している。いくら住人が少ないとはいえ、この状況は妙である。


「――というより、明らかにおかしいわ」


 最後尾のリンが周囲を見回しながら断言する。


「……僕もそう思います」


 その前を進む勇吾ユウゴも、左右に視線を振りながら同意する。


「――なにしてるのよ。二人とも、早く乗って」


 ただ一人、マンションの異変に気づいてないアイが、エレベーターの中から、勇吾ユウゴリンを手招きする。


「――ちょっと待ちなさいよ」


 リンが速足でアイが乗っているエレベーターに駆け込む。

 勇吾ユウゴもそれに一歩遅れて乗り込むと、両開きのドアが閉まり、上昇する。


「――アンタねェ。少しは変とは思わないの?」


 リンは眉をしかめて問いただす。


「――変? なにがよ? もしかして、大巫女長さまのことを疑っているの?」


 アイは眉を上げて問い返す。


「――いや、疑っているといえば――じゃなくて……」


 適当な言葉が浮かばす、その選びに苦労するリンだが、


「――ふっ、わかってるわよ、観静。このマンションに漂っているただならぬ雰囲気を」


 安堵させるようなひびきの帯びたアイの科白に、リンは感心しかけるが、


「――これは妖魔が体外に撒き散らしている妖気の一種だわ。マンションの住人が見かけないのは、その陰で妖魔に生気を吸い取られているからよ。急いで見つけないと手遅れになってしまうわ。ここは退魔師でもある巫女のアタシが妖魔を祓わないと」


 ……それは即座に霧散霧消した。


「全然わかってないじゃないっ! いい加減止めろォッ!! その中二思考っ!」


 広くもないエレベーターにリンの絶叫が反響した。

 ――そうこうしているうちに、エレベーターは無縫院真理香マリカの部屋がある最上階に到着し、ドアが開く。そして完全に開き終えないうちに、アイが真っ先にエレベーターから廊下に降り立つ。


「――一刻もはやく大巫女長さまに助勢しないと。いくら大巫女長さまでも、この数相手では多勢に無勢だわ。大巫女長さまの身になにかあったら、ユウちゃんの記憶を元に戻せなくなってしまう。そんなこと絶対にさせないわっ!」


 アイが切羽詰まった声調で言うと、無縫院真理香マリカの部屋に続く廊下を走ろうと膝を上げる。

 まだエレベーターを降りてないリンから見れば、右方向へと。

 だが、その膝は宙で急停止し、そのまま後方につま先を置き、後ずさる。

 これ以上ないくらいにこわばった顔で。


「……鈴村?」


 その横顔を見て、リンは不審に思う。よく見ると、こわばったアイのそれは、恐怖によって汗だくっていた。だが、それがなんなのか悟った直後――


「――観静さんっ! あそこっ!」


 アイ続いて降りていた勇吾ユウゴが、鋭い声を上げて呼びかける。最後に降りたリンは、二人の少年少女と同じ方向に視線をそろえる。その視線の先にあったのは、無縫院真理香マリカの部屋に面した、行き止まりの廊下にたむろっている人間の集団であった。

 その人数はおよそ一〇人。

 こちらの存在に気づいて振り向いたその者達の服装は、全員、黒のそれで身を固めている。

 黒のジャケットや黒のスラックスに腕や脚を通した、全身黒ずくめの少年たちである。

 頭部も、黒のニット帽と黒のハンカチで覆われている。

 その風貌を、むろん、三人は忘れていない。忘れようがなかった。エスパーダがなくても。


「……ど、どうしてこんなところに……」


 アイが声を震わせて言うと、勇吾ユウゴも押し殺した声でつぶやいた。


「……『黒巾党ブラツク・パース』……」


と。




「……な、なんで黒巾党ブラツク・パースが無縫院さんのマンションにいるのよォ?!」


 アイは『大巫女長』という呼称を使わずに疑問の叫びを発した。それが、すでに自分の脳内の中二設定を楽しむ余裕が喪失したことの証明であった。目の前の黒ずくめの少年たちは、光線剣レイ・ソードを左腰から抜くと、こちらへゆっくりと近づいて来る。それは異様な光景であり、恐怖と威圧感をかき立てる光景でもあった。その現実はアイの妄想などいともたやすく忘却のかなたへ吹き飛ぶ。いずれにせよ、こちらに危害を加える意図があるのは明白であった。


「――とにかく、警察に通報を――」


 そう言って勇吾ユウゴはエスパーダに手を置き、精神感応テレパシー通話を試みる。アイリンもほぼ同時にそれに倣うが、


「――繋がらないっ!?」


 アイが悲鳴に等しい声を上げる。それは勇吾ユウゴリンも同様であった。エスパーダにはなんの異常もないのに、機能不全に陥ってしまうのは、


「……『ESPジャマー』……」


 としか、リンには考えられなかった。それで精神感応テレパシー通信を妨害されては、警察への通報は不可能である。ESPジャマーの散布範囲内から逃れない限り。である以上、


「――逃げようっ! このマンションをっ!」


 二人の女子に言って、勇吾ユウゴは走り出す。そう。それしか方策がなかった。警察に通報するには。三人とも黒巾党ブラツク・パースと渡り合えるだけの実力はない以上、当然の判断である。それは言われた二人の女子も承知していたので、身をひるがして廊下を蹴る。

 だが、ここで思いも寄らぬ事態が生じた。

 リンアイが逃走した方角が、黒ずくめの少年たちの視点だと、突き当たりまで続いている廊下の奥に対して、勇吾ユウゴのそれは、その左方――つまり、エレベーターであった。

 勇吾ユウゴはエレベーターに乗り込んだのである。

 それで逃げるために。

 一人と少年と二人の少女は、それぞれ二手に分かれてしまったのだ。

 自分たちの意図に反して。


「――ユウちゃんっ!」


 アイは肩越し振り向いてさけぶが、引き返すどころか立ち止まる余裕さえなかった。黒ずくめの少年たちが、廊下を蹴って迫って来たからである。アイが突き当たりの廊下を左にまがる際、一人の黒ずくめの少年が、勇吾ユウゴが逃げ込んだエレベーターに乗り込む光景を、視界の端に映ったような気がするが、これも確かめる術も余裕もない。


「――このマンションから脱出するわよっ! そうすれば、アタシたちは助かるわっ!」


 先行するリンが、後続のアイに振り向かずに伝える。

 ESPジャマーの使用は、精神感応テレパシー通信法上、違反行為である。ゆえに、そうそう広範囲に散布できる代物ではない。できるとしたら、せいぜい屋内くらい。つまり、屋外に出れば、エスパーダで警察に連絡できるようになるのだ。このマンションから無事脱出できればの話だが。


「――で、でも、ユウちゃんが――」

「――大丈夫よ、鈴村。黒巾党ヤツらは今まで、他人ひとの記憶は奪っても、命までは奪ってないわ。だから、捕まっても、五体満足で解放されるわ。事実、連続記憶操作事件の被害者たちもそうだし。もっとも、ここで目撃した記憶は消去されるでしょうけどね」

「――けど、それってアタシたちにも同じことが言えるわよね。捕まったら」

「そうよ。だから何としてもここから脱出しなければならないわ。この事を通報する為にも」


そのように説明している間にも、リンは走り続けている。アイが一歩遅れてそれに続き、それを黒巾党ブラック・パースの集団が追う。


「――冗談じゃないわ。こんなことで記憶操作されるなんて。あいつら、他人ひとの記憶をなんだと思ってるのよ。記憶は命よりも大事なものなのに」


 アイはひととおり憤慨の言葉をならべ立てると、不意にその口調を悄然のそれに一変させる。


「……そうよ。記憶操作されたつらさは、された本人よりも、本人をよく知っている関係者アタシのほうが辛いわ。食い違う記憶や想い出に苦悩を強いられるんだから。なまじ記憶操作された事実を知ってるだけに。ましてや、一度記憶操作されたユウちゃんにまたそれをしようとするなんて、絶対に許せないっ!」


 そこまで言った時、前を走っていたリンが急停止したので、アイは危うくその背中に衝突しそうになる。


「――どうしたのよっ!? いったいっ!」

「……挟み撃ちにされたわ……」


 アイの問いに、リンは苦々しく答える。その視線の先には、非常階段に続く鉄製のドアがあり、そこから、後方から迫って来る追手たちとは別の集団が現れたのだ。

 彼らもまた全身を黒に染めた黒ずくめの格好であった。

 人数は背後から迫ってくる黒ずくめの集団とほぼ同じである。


「……そっちにも黒巾党ブラック・パースが……」


 その姿を認めたアイの声はうめきに近かった。


「……ど、どうしよう。このままじゃ、アタシたち、記憶を……」


 アイは声を身体を震わせながら、追いついて来た方の黒巾党ブラック・パースと向かい合う。待ち伏せしていた方の黒巾党ブラック・パースと向かいあっているリンとは背中合わせになる。

 一方、挟み撃ちにした黒巾党ブラック・パースは、前後から二人の少女ににじり寄る。

 その手には光線剣レイ・ソードが握られている。

 そして、アイと向かい合っている黒巾党ブラック・パースの一人が、その端末から伸ばした青白色の切っ先をアイに向けたその時――


「――えっ?!」


 一条の青白い閃光が廊下の空気を貫いた。

 その黒ずくめの少年の身体ごと。

 アイに切っ先を向けていた黒ずくめの少年は、その姿勢のまま、前のめりに倒れ込む。背中から撃たれたので。だが、出血はしていない。どうやら麻痺様式パラライズモードで放たれた閃光のようである。


「――今のは――」


 アイは青白色の閃光が迸った方角――目の前の黒ずくめの少年たちの背後を注視する。

 アイと対峙している黒ずくめの少年たちも、アイに背中を合わせているリンも、背後を振り向く。

 この場にいる全員が視線をそろえてその方角に向けた先には、光線銃レイ・ガンを左手で構えている一人の少年が、逃走者と追跡者が走り通った廊下の上に立っていた。

 陸上防衛高等学校の学生服ブレザーにツリ目でオールバックの髪型をした見覚えのあるその容姿に、


「――日本武尊やまとたけるのみこと様っ!」


 アイが喜声を上げる。


「……ヤマトタケルノミコトって、こいつが……」


 それに対して、リンの声には複雑な感情が入り混じっている。容貌はアイがエスパーダで送信してくれた見聞記録ログで見知ってはいたが、視覚映像がアナログ写真のようにピンぼけしていたので、細かいところまではわからなかった。恐らく、意識が朦朧とした状態で、あの時のオールバックの少年を目撃したからであろう。ゆえに、観静リンにとって、これが、他称日本武尊やまとたけるのみことというオールバックの少年の容姿が鮮明に判明した瞬間であり、初対面を果たした瞬間であり、


「……この男子、どこかで……」


 既視感デジャ・ビュを覚えた瞬間でもあった。


 だが、それをよそに、オールバックの少年は光線銃レイ・ガンを立て続けに撃ち放つ。

 オールバックの少年と二人の少女の間に挟まれている黒ずくめの少年たちに狙いをさだめて。

 正確で精密な射撃であった。

 はずした光線はひとつもなく、かつ、二人の少女にはかすりもしなかった。

 瞬く間にその間にいる黒ずくめの少年たちは全員撃ち倒された。

 防御や回避もできぬまま。


「――今よっ!」


 リンアイの手を取ってオールバックの少年の方へ走り出したのはこの直後だった。

 それを、非常階段の出入口付近で固まっていた黒ずくめの少年たちが、廊下を蹴って追いすがろうとする。だが、オールバックの少年が次々とほとばしらせている光線銃レイ・ガンの連射にひるみ、その左右の端にある物陰にそれぞれ身を隠す。

 その間、二人の少女はオールバックの少年のそばを駆け抜け、そのまま逃走を続ける。だが、


「――ホラ、アンタもいっしょに――」


 立ち止まって振り向いたリンが、なおも撃ち続けるオールバックの少年に同行を呼びかける。オールバックの少年は二瞬ほどためらうが、結局、その言葉にしたがった。


「――アンタ、いったい何者よ?」


 リンがオールバックの少年に顧みて問いかけたのは、しばらく経ってからであった。


「――日本武尊やまとたけるのみことよ。須佐すさ十二闘将の中で最強の戦士の――」

鈴村アンタには訊いてないのよっ! そんな中二設定はっ! ――で、アンタ何者よ」

「……………………」


 気を即座に取りなおしてもう一度問いかけるリンであったが、オールバックの少年は答えない。不機嫌とも怒っているともとれる表情で口を閉ざして走り続けている。


「――ねェ、だれなのよ、いったい」


 三度問われたオールバックの少年は、観念したのか、硬そうな口をぶっきらぼうに動かして答えた。


「……ヤマトタケルだ」

「……………………」


 今度はリンが沈黙する番になる。

 納得や得心にはほど遠い表情で。


「――ホラ、見なさい。やっぱりそうじゃないのよォ」


 アイが勝ち誇った表情で言い放つが、リンは取り合わない。アイが呼称するそれを偽名として拝借したのは明らかなのに、それが本当の名前だと信じて疑わないような輩には、なにも言ってもムダだと判断したからである。


「――それじゃ、ヤマトタケルさん。アナタいったい何者ですか?」


 リンが四度目の問いを丁寧な言葉遣いで実行したのは、尊敬の念を覚えたからではなく、イヤミを利かせたくなったからである。


「――その学生服ブレザー、アタシや鈴村と同じ学校の制服よね。アタシ、その学校に入学してから二か月近く経つけど、アンタの顔なんか見た事もないわ。警察も身元を把握してないようだし」


「……………………」

「……アンタ、もしかして、お――」


 そこまで言った時、リンの顔になにかがぶつかり、思わず口を閉ざしてしまう。


「アイタタタタタ……」


 立ち止まって鼻を押さえるリンの眼前に、アイの背中が映った。どうやらそれに自分の顔を突っ込ませてしまったらしい。ヤマトタケルと自称するオールバックの少年の詰問に、つい夢中になってしまった結果である。


「――なに急に立ち止まってるのよっ! 早く逃――」

「……げれなくなっちゃった……」


 リンが言いかけた言葉を、アイは振り向かずにつけ足した。

 アイの目の前には、窓やドアのない白い壁が視界いっぱいに広がっている。左右には部屋のドアがそれぞれあるが、どれも施錠してあって開かない。三人の少年少女は、自らの両足で袋小路に入り込んでしまったのである。


「――しまった。鈴村にアタシたちの逃走を先導させるんじゃなかったわ」


 リンの表情が後悔のそれに変わる。ヤマトタケルと称する輩に色々と訊きたいことがあったので、つい無言のうちにそれを任せてしまったのだ。だが、後悔の念にひたっているヒマはない。


「――すぐに引き返さないと――」


 リンは踵を返すが、時すでにおそかった。黒ずくめの少年たちが、三人の逃走者が駆け抜けたばかりの廊下の上に立ち並んで、退路を塞いでいたのだ。

 その数は一〇人。全員光線剣レイ・ソードの青白い刀身を抜き放っている。非常階段のドアから現れた黒巾党ブラック・パースの一団である。タケルの射撃による牽制を一度は受けた連中だが、それが止むと追走を再開し、このように三人の少年少女を追い詰めたのだ。

 黒ずくめの少年たちは、ある程度相手との距離を詰めると、光線剣レイ・ソードを振りかざして一斉に襲い掛かる。それを、タケルが光線銃レイ・ガンで迎え撃つ。先程ははずすことなく相手の一団に命中させ、もう一団も完璧に牽制していた正確無比の射撃は、だが、今度は一発も命中しない。すべて回避されるか、光線剣レイ・ソードの刀身ではじき流されてしまう。


「――どっ、どうしてなのっ!?」


 鈴村アイが疑問の声をさけぶ。先程まで、達人とも言えるヤマトタケルの射撃に手も足も出なかった黒ずくめの少年たちとは思えない動きである。別人とも言える。だが、そんなはずはない。なにか特殊な能力か機能を使っているとしか考えられなかった。それも、誰にでもすぐに使える汎用性と即効性の高いそれらを。


「――『ギアプ』だわ。弾道を見切る『ギアプ』をエスパーダにインストールしたんだわ」


 それを解明したのはリンであった。

 『ギアプ』とは、技能付与アプリケーションの略称で、数あるエスパーダの機能の中では、目玉と言うべきソフトウェアである。

 正式名称の通り、ギアプはエスパーダの装着者に様々な分野の技能を付与する機能で、これをエスパーダにインストールして使用すると、装着者のありとあらゆる技能を引き出すことができるのである。地道な鍛錬を積まなくても、ギアプをエスパーダにインストールするだけで、即座に技量が撥ね上がるので、鍛錬を積むのがバカバカしく思えるほどの効力があるのだ。十代の少年少女で構成されているにも関わらず、超常特区の運営に問題や停滞が少ないのも、ひとえに、それに必要なギアプをエスパーダにインストールして活用しているからである。

 弾道見切りのギアプを、再追跡中に、自分たちのエスパーダにインストールしたのなら、先程は物陰に身を隠してやり過ごすので精一杯だった黒ずくめの少年たちが、誰もが急に平然とさばけるようになったのもうなずける。むろん、これ以外にもギアプは存在する。既存の技能の数だけ。恐らく、弾道見切り以外の戦闘系のギアプもインストールしてあるに違いない。

 このように、ギアプは、エスパーダの目玉機能と謳われるだけあって、汎用性と利便性に優れているが、万能でもなければ、いくつかの欠点もある。ひとつは、見聞記録ログや思考記録ログと比較して、記憶容量を圧迫すること。もうひとつは、ギアプに相性というものが存在することである。特に後者は、使用者の資質や適性によっては、適合せずに発揮できない場合があり、そのうえ身体能力もともなってないと、やはり同様の結果になってしまう。それは、短距離走者スプリンター仕様の選手に、長距離走者マラソンランナーのギアプを使用するようなものである。ましてや、生死や勝敗のかかった戦闘や競技スポーツでは、たとえそれらが揃ってあっても、恐怖や重圧プレッシャーで前述と同様の状態におちいる場合だってある。これはギアプに頼らなくても起きる現象である。『心技体』のうち、『心』が欠けていても、額縁通りには発揮しないのだ。ギアプの『技』と、適性や資質を含めた身体能力の『体』が備わっていても。

 ヤマトタケルたちに迫りつつある黒ずくめの少年たちは、その三つが備わっているからこそ十全に発揮しているのである。

 弾道を見切れるだけの動体視力と、それを実行に移せるほどの身体能力が。

 ちなみに専業主夫志望の勇吾ユウゴも、家事をする際はそのギアプを使用している。にも関わらず、家事オンチがまったく改善されないのは、心技体や適合うんぬん以前の問題があるからであって、決して超心理工学メタ・サイコロジニクスの基礎理論に致命的な欠陥があるからではない。


「――どんどん近づいてくるわっ!」


 相手と戦闘中であるタケルの背後で、アイが上げた声は悲鳴に近かった。黒ずくめの少年たちは、タケルの射撃を躱したり受け流したりしながら相手に接近している。その距離はすでに拳銃の有効射程距離を逸脱していた。もうすぐ長剣の間合いに入りつつあった。


「――こんなことになるんだったら、学校の武器庫からそれらをくすねておけばよかったわ」


 その隣にいるリンも、自分の迂闊さと無力さを呪うような表情と口調で漏らす。いくら正体が不明とはいえ、ヤマトタケルと名乗るオールバックの少年一人に、自分たち二人を守るために戦わせるのは、心苦しいものがある。かといって、非武装まるごしの少女二人が徒手空拳で加勢しても、足手まといにしかならない。ESPジャマーによる精神感応テレパシー通信障害さえなければ、無手でも戦える空手などの徒手空拳系のギアプを、ギアプ専門販売記憶掲示板メモリーサイトから即時購入できるのだが……。もっとも、適合するかどうかは不明だし、それ以前に大容量なので、ダウンロードの完了に時間がかる。


(――アタシが得意とする『アレ』が使えないのも痛いわね。ESPジャマーの影響で。でも、だからといってこのまま手をこまねいているわけには――)


 リンは歯ぎしりしながらも再度自分の周囲を見回すと、廊下の壁に取りつけられてあるコネクタを発見する。その瞬間、ある名案が脳裏にひらめき、さっそく作業に取りかかる。

 そうこうしている間にも、黒ずくめの少年たちは、ついに長剣の間合いにまで相手との距離をちぢめる。その間、光線銃レイ・ガンの餌食になった者は二人だけである。いくら弾道見切りのギアプでも、一人だけとはいえ、遠距離から立て続けに撃ってくる光線をここまで凌ぎ切るには限界がある。また、一本道の廊下では、左右に分散して的を散らすこともできない上に、回避行動ができる空間スペースも限られるてい。この地形では密集した状態で相手にまっすぐ近づくしかなかったのである。

 だが、その犠牲は無駄にはならなかった。

 近接戦では、拳銃などの銃器は不利である。その所以ゆえんは、動作モーションの多さにある。銃撃は『構える』、『狙う』、『撃つ』の三動作モーションが必要なのに対して、ナイフや長剣などの白兵は『振るう』だけの一動作モーションで済むからである。遠距離から撃つ分には、相手の白兵武器が届かないので表面化しないが、接近戦に持ち込まれるとそれが浮き彫りになるのだ。銃に限らず、飛び道具は距離が近ければ近いほど命中させやすいと思われがちだが、それは標的が射撃の的のように何もせずに静止している場合であって、何かしようと動き回っていると、意外と当てづらいのである。それぞれの銃器の有効射程距離内に標的を収めておかないといけないのだ。遠すぎても近すぎてもダメなのである。


「――ああっ、やられちゃうっ!」


 アイが悲鳴に似た声を上げる。黒ずくめの少年たちに接近を許してしまったタケルには、近接戦闘には向かない光線銃レイ・ガンで、光線剣レイ・ソードでの白兵に対応するのは困難であった。逃げ場はおろか、後退も不可能である。なす術もなく黒ずくめの少年たちに斬り刻まれると、アイは思った。

 ヤマトタケルが光線銃レイ・ガンしか武器を持っていないのなら。

 ヤマトタケルの光線銃レイ・ガンがただの光線銃レイ・ガンであったなら。

 二人の黒ずくめの少年が同時に振り下ろした青白色の斬撃は、しかし、相手によって難なく受け止められてしまう。

 一方は青白色の刀身で。

 もう一方は『レ』の字に形取った青白色の棒身に挟み込まれて。

 前者は光線剣レイ・ソードであり、後者は銃身を『レ』の字の十手じゅってに変形させた光線銃レイ・ガンである。

 タケルは後腰に隠し差してあった光線剣レイ・ソードを右手で抜き放つと同時に、左手に握っている光線銃レイ・ガンを十手《じゅって様式モードに変えて、二人の黒ずくめの少年が同時に振り下ろした斬撃を、それぞれの得物で同時に受け止めたのである。


「――ウソッ?!」


 今度は驚きの声を上げるアイだが、驚いたのは黒ずくめの少年たちも同様であった。ただの光線銃レイ・ガンと思われていたその武器は、『十手じゅって』という近接武器にも変形が可能な複合武器マルチプル・ウエポンだったのだ。銃撃シューティング様式モードでの遠距離攻撃に固執していたので、その武器の正体はもとより、光線剣レイ・ソードの隠匿にすら考えが及ばなかったのである。

 攻撃を防がれた黒ずくめの少年たちは、おどろきと動揺の気配をただよわせながらも、バックステップして相手との間合いを取る。むろん、長剣の間合いまで、である。これ以上距離を置くと、拳銃の間合いになる。相手と違って光線銃レイ・ガンは所持していないので、遠距離射撃戦に持ち込むわけにはいかないのだ。しかし、このまま白兵戦を続けても埒が明きそうにない。この地形では。戦況は膠着状態になりつつあった。

 両者はそれぞれの獲物で構えながら、マンションの廊下で睨みあう。

 ――だが、それは短時間で終わった。


「――武器を捨てろっ!」


 ぐぐもった、だが大きな声が、マンションの廊下にひびきわたった。

 黒ずくめの少年たちの背後から聴こえてきた、それは要求であった。

 黒ずくめの少年たちは無言で左右に分かれて、声の主に対して道を開ける。

 その声の主も全身黒ずくめだが、他の黒ずくめの少年たちにはない威厳と風格が漂っていた。恐らく黒巾党ブラック・パース首領リーダーなのであろう。無言で道を開けた他の黒ずくめの少年たちの態度から見て。

 黒巾党ブラック・パース首領リーダーは道を開けた部下たちの間を通って、タケルたちの前で立ち止まる。


「――武器を捨てて降伏しろ。そうすれば、命だけは助けてやるぞ」

「断る」


 ヤマトタケルが相手の再度の要求を即座に突っぱねる。


「――このマンションでオレたちが体験した事は、記憶操作で消去する気なんだろ。黒巾党てめェらが起こした連続記憶操作事件の被害者のように。そいつはゴメンだね。いくら命が助かっても」


 吐き捨てるようにその理由を語るタケルの声には、憎悪と怨念が高密度でこもっていた。


「――そうか。なら、これを使ってもう一度勧告するとしよう」


 そう言って黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、背後から茶色の学生服ブレザーを着たツインテールの少女を前面に引きずり出す。両手を結束バンドで縛られた、だが見覚えのある容姿の女子を視認した瞬間、アイの両目と口が大きく開く。


「――大巫女長さまっ!」


 鈴村アイしか使ってない無縫院真理香マリカの愛称を、その本人は叫んだ。


「――動くなっ! 動くとこのアイドルの顔を整形不可能なまでにズダズタにするぞ」


 黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、真理香マリカの美顔に、ナイフなみに短くした光線剣レイ・ソードの光刃を添えて、駆け寄ろうとしたアイの動きを牽制する。


「――安心しろ。お前たちと同様、生命までは取らない。だが、アイドル生命に関してはその限りでないぞ」


 そう言って黒巾党ブラック・パース首領リーダーは笑い出す。黒巾で顔面を覆っているので、どんな表情かおをしているのかはわからないが、嗜虐にゆがんでいるのは想像にかたくない。


「……す、鈴村。助けて……」


 真理香マリカが恐怖に震えた声を押し出す。表情もそれでひきつっている。闊達で明るい超常特区きってのアイドルが、黒巾党ブラック・パースの人質にされて怯えている姿は、痛ましいものに、ファンの一人でもあるアイの目には映った。それにより、真理香マリカと似たような精神状態だったアイの心は、激情のそれにとって代わりつつあった。


「~~アンタってヤツはァッ!!」


 そして、それが臨界に達したアイは、大声を張り上げて駆け出そうとする。

 だが、それは一歩も動かないうちに中断させられてしまう。

 黒巾党ブラック・パース首領リーダーが撃った青白色の弾丸によって。

 銃撃シューティング様式モードに変更した光線剣レイ・ソードの端末孔から射出されたものであった。

 本来の用途ではないが、こうした機能も併載しているのである。

 もっとも、それゆえに命中精度が悪く、連射もできないが。

 撃たれたアイは背中から倒れるが、後頭部を廊下に打ち付ける寸前、ヤマトタケルが両手に武器を持ったままの両腕で抱き止めたので、それはまぬがれた。だが、撃たれた衝撃まではまぬがれなかった。麻痺様式パラライズモードとはいえども、苦痛やダメージはあるのだ。当たりどころが悪ければ、激痛をともなうことだってある。アイの表情は、まさにそれでゆがんでいた。


「――動くなと言っただろうが」


 黒巾党ブラック・パース首領リーダーは冷然と言い放つ。酷薄とも取れる口調でもあった。


「~~てめェ~、よくもォッ!!」


 今度はヤマトタケルが激情に身をゆだねる番となった。それに先立ち、アイを静かに横たえると、激昂した野獣のような咆哮を上げて、黒巾党ブラック・パース首領リーダーに猛然と襲い掛かったのだ。

 人質の存在を無視して。

 その動きの迅速さは、アイの比ではなかった。

 瞬時に黒巾党ブラック・パース首領リーダーとの間合いを詰める。

 そして、右手に持つ光線剣レイ・ソードを振り上げたその時、


「――コラァッ! そこでなにしとるんやぁっ!」


 怒号に似た声がマンションの廊下の空気を震わせた。

 その声で動きを止めた一同は、怒号が聴こえた方角に視線を向ける。その先には、今ここにいる黒巾党ブラック・パースと同じほどの人数の集団が、廊下の奥から駆け寄って来る姿があった。

 様々な種類の学生服を身に纏っているが、右腕にある紫色の腕章だけが共通していた。


「……やっと来たわね。警察が……」


 その集団の先頭を走る龍堂寺イサオの姿を、観静リンが確認すると、やれやれと言いたげに、しかし、ホッとした表情を浮かべてつぶやく。これまで終始無言だったのは、警察に通報するための作業を、タケルやアイの背後で行っていたからである。リンが廊下の壁から発見したコネクタは、高級マンション屋上の精神感応テレパシーアンテナに続いている有線精神感応テレパシー通信のそれで、そのコネクタに自分のエスパーダを専用ケーブルでバイパスして、外部との通信手段を確保したのだ。有線ならマンション内に充満しているESPジャマーの影響は受けないのである。

 警察の登場により、事態は急変した。それを悟った黒巾党ブラック・パース首領リーダーは、その場で人質を突き飛ばすと、警察のいない左方の廊下に足先を向けて逃走する。首領リーダー党員メンバーたちがそれに続き、更に警察がその後を追う。


「――助かったァ……」


 上体を起こした真理香マリカが、恐怖と緊張から解放された表情で安堵の息を大量に吐く。


「――真理香マリカはんっ! 大丈夫かいなっ!」


 追跡を同年代の部下にまかせた龍堂寺イサオが、安否の声を上げながら真理香マリカのそばに駆け寄る。


「――大丈夫よ。龍堂寺くん。それよりも、これをはずして――」


 真理香マリカが結束バンドで縛られた両手首を差し出すと、イサオはそれをはずず作業に取り掛かる。そこから少し離れたところで、リンは、追走する警察の後姿を見送っていたが、


「――あれ? タケルは――」


 いつの間にかオールバックの少年の姿が消えていたことに気づく。三方に分かれている廊下のT字路の中心で視線をめぐらせても、どこにも見当たらなかった。警察に続いて黒巾党ブラック・パースの後を追って行ったのだろうか。


「――アイちゃんっ!」


 それと入れ替わるように、誰かがツーサイドアップの少女の名を呼んでやって来た。

 それは、糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴであった。


「――アイちゃんっ! 大丈夫っ! しっかりしてっ!」


 勇吾ユウゴリンには見向きもせずにその隣を通り過ぎ、あお向けに横たわっている幼馴染のそばまで来ると、その上半身を抱え上げながら呼びかける。


「……ううっ……」


 うっすらと目を開いたアイは、焦点の定まってない瞳を、幼馴染の顔に向ける。


「……ユウ、ちゃん……」

「どこか痛いところはないっ? 傷はっ? 変な感じはっ?」

「……だ、大丈夫。それよりも、ユウちゃんは……」

「僕も大丈夫っ! だから心配しないでっ!」


 勇吾ユウゴははげますように答える。


「――小野寺、アンタ無事だったのね」


 そこへ、背後からリンが声をかける。


「……う、うん。なんとか。でも、鈴村さんと観静さんが心配になって、こうして戻ってきた」


 アイを抱えたまま、肩越しに振りむいた勇吾ユウゴは、そのように答える。


「……………………」


 無言で応じたリンの瞳に、わずかだが不審の光がちらつく。


「――真理香マリカはんっ! ホンマに大丈夫でっかっ!?」


 その隣で、結束バンドをはずし終えたイサオが、一人で立ち上がった無縫院真理香マリカにたずねる。


「――うんっ、大丈夫よ。この通り」


 真理香マリカは咲いた花のような笑顔を相手に向けて答える。どこか無理をしているような気配が漂っているが、それでも恐怖をむき出しにしているよりかはマシである。


「――せやかァ。そらよかったでェ……」


 遅れて立ち上がったイサオも、肺に溜まっていた大量の空気を安堵に変えてはき出す。


「――せやけど、黒巾党ブラック・パースのヤツらめ。真理香マリカはんまで手を出すやなんて。絶対に許さへんっ! 必ずワイの手で全員しょっぴいたるわっ!」


 イサオは声を荒げてかたく誓う。その背後では、床に倒れていた二人の黒ずくめの少年を、同年代の部下たちが拘束している。


「――あら、頼もしい。期待しているわよ、龍堂寺警部」


 アイドルである無縫院真理香マリカの、色気のあるはげましの言葉に、龍堂寺イサオは両頬を赤く染め、鼻の下を伸ばす。警察署で別れた時、突然よそよそしい態度に豹変したので、一抹の不安と寂寥を感じていたが、真理香マリカの天真爛漫な笑顔を見て、そんな杞憂は即座にふき飛んだ。


(――それにしても、ホンマ気丈やなァ、真理香マリカはん。あないな事があった直後やのに――)


 イサオはそんな真理香マリカに見とれながら内心で感心するのだった。


「……………………」


 リンはそんな二人のやり取りを、不満とも不審ともれる目つきで交互に見やっている。

 前者は龍堂寺イサオに対して。後者は無縫院真理香マリカに対して。

 特に後者は、小野寺勇吾ユウゴに対して向けられていた時よりも強かった。

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