シンシアリティ女子
「脇坂紫暖と申します。ステージ上の脇坂紫涼の姉です。皆さん。昨日からの真剣な議論を拝聴していて本を愛する人間としてわたし自身感激していました」
決して大きな声でも通る声でもないが、紫暖の喋り方はとても聴きやすいものだった。そして遮ろうという意思を誰も示さなかった。
「わたしは社会人になってから読書の傾向が大きく変わりました。それこそ自分の読みたい本だけ読むということが難しくなったんです。実務書と呼ばれるものや経営書を読むことも上司や作業チームのメンバーから求められるようになりました」
紫涼は姉の言葉を聴きながら自分がしたくない読書というとまずは教科書、それから読書感想文の課題図書を思い浮かべた。おそらく会場にいる多くの中高生たちもそうだろうと想像した。けれども紫暖の話はそういう範疇のものともまた異なった。
「特に経営書はふたつの傾向がありました。ひとつは経営学的に数値情報に裏打ちされたもの。マーケット分析なんかがこれですね。もうひとつは経営学の定性情報を書き記したもの。本人自ら執筆したものもありますし経済誌の編集者が書いたものなんかもあります」
「後者はずばり、小説なんです」
紫暖の論旨はこうだった。
経営者、特に創業者は『創作者』と同じなのだと。
10人の経営者がいれば10通りの色があり色だけでなく匂いも形も、それから目には映らないココロなるものも。
そしてそれぞれが誰も見たことのない景色を経営の中で社員と共に創り出そうとして生まれ落ちた子供の頃からの全人生の全知識・全人格を注ぎ込み叩き込んで実現していこうとする物語なのだと。
紫暖は、すっ、とスマホを掲げてみせる。
「スマホなんてまだなかった頃はこんなのまるで諜報部員の秘密アイテムですよね? でもまるで異次元・・・いいえ、異世界を作り出すみたいにして企業が開発して存在してますよね?」
ショートの子を優しく見遣る。
「それから子供の頃に人種差別を受けた経営者もいれば何度も事業に失敗して再起してきた経営者もいる。こういうのはまあ純文学が取り上げてきた部分と言えますよね」
ロングの子にそっと頷く。
「それで、凄まじいイノベーションで全く存在しなかった製品開発に成功して誰も行けなかった異世界に本当に行ってしまった経営者もいれば夢破れて勤め人として日々の仕事に取り組んでいる人もいる・・・でもどちらも冒険者であったことには変わりないと思うんです」
紫暖は十分な間を取る。
「これはわたしの私的な感性です。わたしは妹の意見とも少し違って、日常から一気に帰ってこれないほどの異世界に行くことにもチャレンジしていいと思うし、妹が少し考察していたように日常の中に異世界が混じり合ってくるということもアリだと思うし。だからさっき議論を戦わせていたおふたりにも今のままのその感性を大切に持ち続けていただけたら、って思うんです」
紫暖の語りがどの程度受け入れられたのかあるいは反発する人間がいたのかは分からない。
ただ、午後から再開されたチーム同士のディベートでは相手の話に耳を傾ける『間』を取る心の余裕を互いが持ち始めたような印象があった。
「あの・・・ちょっといいですか?」
2日目のプログラムが終わり、今日はどこに行こうかと話していた姉妹の所に
「さっきはすみませんでした。とても勉強になりました」
「いえいえ。こちらこそこの歳で熱く青春できて嬉しかったわ」
「あの、紫涼さん」
「は、はい」
「紫涼さんフリートークの時に東京観光したい、って呟いてましたよね」
「はい・・・」
「女の子に興味ってあります?」
「え?」
紫涼にそう問いかけてきたのはロングの、めぞん一刻を愛する彼女だった。さっきのプレゼンやショートの子との応酬からはそういう趣向を読み取ることはできず紫涼が固まっていると更に問いかけて来た。
「メイドカフェ、ご案内しましょうか?」
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