外伝3-13 莉愛の残した呪いの言葉

「壊す? 具体的には?」


「〈人〉は皆殺し。〈人〉が創った文明を0へと戻す。そして遍くの人間を治め、莉愛先生が目指した世界を実現させる」


 莉愛が目指した世界。


 その具体的な内容を奨が口にすることで、その場にいる聡や華恋も理解が及んだ。


「全ての子供たちが、なんの理不尽もなく伸び伸びの生きられる世界。誰かに利用されることもなく、誰かに迫害を受けることもない世界。そのために全ての人類が、それを成し遂げるために善くあることができる世界」


「でも普通には叶わないからね。誰かが強制的にそうしてあげないといけない」


「お前は全ての人間をその理想に縛り付けて支配するつもりか」


「それだけの力が女神となれば手に入れられるの」


 奨の眼光はより鋭くなる。


「それを成し遂げようとすれば、お前はこの世全てが忌むべき悪になるぞ」


「構わないわ。私がどうなろうと、これが狂ってしまったこの世界への救いになると、私は信じている」


「悪霊に囚われているな。お前を突き動かすそれは、呪いに近いように思える」


 春はにっこりと妖艶な笑みを浮かべて、奨に向けて手を伸ばした。


「奨、貴方も辛いでしょう。私の力を知ってくれれば、きっと分かる。私の本気が」


 突如、世界が暗転した。






 生命の存在を一切感じさせない平野。草木は映えず、建物もなく、ただ乾いた砂っぽい空気が漂う。


 聡と華恋、そして春はそんな土地の上に立っていた。


「ここは……?」


 春が、疑問符を付けた独り言を述べた聡に答えを与えた。


「ここは奨が毎日見ている悪夢の中よ」


「悪夢……?」


 先ほどまで自分が囚われていたのと同じ類の者だと連想し、華恋は体を震わせる。


「大丈夫。どんな悪夢でも私がいるわ」


 華恋の頭を撫で、安心させようとした春。


 しかし、次に、春、だけでなく聡も華恋も含めて、自分の見えているものを疑うことになる。



 ぐちゅシュ。



 肉を抉り分ける音と一緒に、春の腹を刀の刃が貫通した。


「人の悪夢に入り込むとは、いい趣味とは言えないな」


 太刀川奨が手にしていたのは日本刀。刃が長くきれいな曲線を描いている。


「なんで……? 私は、あなたの悪夢から解放するきっかけを」


「必要ない。俺は俺の手で、アレを克服する」


「無理よ……、強い悪夢は、1人では克服できないようになっている。きっかけが、必要……ぐ……」


「黙って帰れ。その方がお前のためだ」


 刃を春から抜き、滴るものをはらい飛ばした奨はそれでも殺意を収めることはなく周りを警戒した。春はその場で崩れうつ伏せになる。


 奨はよそを向きながら、静かに語った。


「俺がお前に助けられることはない。俺だけは、お前に馬鹿な妄想を向けない。お前は春だ。俺の友人で、俺を人間にしてくれた恩人だ。そして、俺が初めて意識した女だ。お前は決して上の存在じゃない。だから、変な慈悲は受けとるつもりもない」


 そして、聡や華恋にも言葉を向ける。


「巻き込んでしまってすまない。そこから動くな。あの鬼は、どうも動くものを斬りたがる習性があるみたいだからな」


 そしてゆっくりと歩き出した。


 聡は、源家本島で悪夢に苦しんでいた奨の姿を知っている。だからこそ、自分も体験しさらに興味があった。


 太刀川奨はいったい、どんな夢を見ていたのだろうかと。


 そして夢の中の何が、奨の力になっているのかと。


 春も横になりながらも、息を荒らげ、奨の様子を見る。


 突如。


 もう1人、その場に現れた。


 その瞬間、辺りが地獄と化す。


 数多くの亡骸の山が現れた。皆、体のどこかに、何かで切断された痕がある。五体満足な状態の者はなく、それぞれに墓の代わりか、さび付いた剣が突き立てられいた。


 そして奨は、この場に現れたもう1人の方へと歩き出した。


「うそ……」


 春が混乱を始める。


「うそ、うそだ、嘘だ、なんで、なんで悪夢に出てくるの! 奨!」


 自分の疑問に対する説明を奨に求めた。大声で。しかし奨はそれに応えることはなく、ただ持っていた剣を構える。


 奨が剣を向けた相手は女だった。それも18歳くらいの綺麗な女性。


「斬るのは楽しい。綺麗な赤い色を見るのは楽しい。動くね、君。なら、斬れる」


 純粋な切断欲を訴える、この世に存在することは望まれないだろう思想を語る彼女の名前を、奨は語った。


「傭兵、太刀川莉愛。狂ったお前を殺しに来た」


 太刀川莉愛、それは奨の、そして春の師匠であり、恩人であり、育ての親も同じ偉大な存在。


「ああ。私、狂ってるの? なんで?」


「腕輪に呑まれているお前は、殺人鬼だった。俺はその片鱗をあの島で見た。俺だけが知っている、お前の負の側面だ」


「ふふふ、それが分かっているならはやいね。可愛い君。なら、早速、どの腕、それとも足?」


 次の瞬間、2人は消えた。


 瞬間移動をしたのかと錯覚する。2人は先ほどの視界の外へと一瞬で移動していた。


 幾重もの剣戟を重ねる。


 余計な魔法や銃火器はない真剣な斬り合い。


 太刀川莉愛はすさまじい速さで剣戟を繰り出す。その姿は暴れているのではないかという狂暴性を見せながらも、一撃一撃は凄まじく洗練されている。


 奨はそれを躱し続けるが、攻撃に転じられない。


 聡は奨の剣技を知っている。戦闘のプロが集う反逆軍で比べても、最強クラスである守護者と同等の実力を持っているはずだ。かつて訓練の時に見せてもらった高速の剣技は、今の自分に目視できるレベルを遥かに超えていた。


 その奨が攻撃速度で負けている。男でありながら女の莉愛に剣戟の威力で負けている。


 奨は殺されないことに意識を向けて動いているものの、その専守防衛の意志はたったの15秒で崩れた。


 頭に刃が迫る。


 つい聡も目を背けてしまった。次には何かが砕ける音がする。


 倒れた奨。


 刃を引き抜き、滴るものを舐めとる莉愛は、春が知っている慈母の性質を全く持っていなかった。


「これは……何?」


 一瞬。世界が暗転する。


 そしてまた、奨の夢の世界へと戻ってきた。


「ぐぇ……いてぇ。頭が割れる、つか、割れた……」


 遠くにいたはずの奨はいつの間にか、春の近くに立っていた。


「これは、俺の誓いの光景だ」


 そう言って、再び、狂喜に身をゆだねる莉愛へと挑み続ける。



 1回。


 2回。


 3回。


 4回。


 ――100回。


 ――200回。


 ――1000回。


 奨は、莉愛に斬られ、殺され続けた。


 大好きだった先生に、ずっと。







 奨の中の記憶の光景が、春と、聡と華恋に流れ込んでくる。





 奨の12歳の誕生日。 その日、何とか直した家の軒下で、莉愛と2人話していた。


「ありがとう」


 唐突にお礼を述べられた奨は困惑する。どうしてそんなことを急に言うのかと問うと、

「私、もうだめだと思うから。最後にお礼を、言っておきたくて」

 と、莉愛は小さな声で奨に言ったのだ。


 体の衰弱はあの日から止まることはなく。莉愛はもうすぐ寿命を全うしようとしていた。まだ、莉愛は20歳になったばかりだというのに。


 奨もいつかこの日が来るとは覚悟していた。


 だからこそ、最初に教えてもらったおにぎりを隣に置き、最後の会話をしていた。食事は問題なく行える莉愛は、奨が作ったおにぎりを口に入れ、幸せそうによく味わう。


「奨くん。私はどうだった。あなたの……希望になれたかしら」


「ああ。もちろん」


 今の奨は本心を偽ることなく話す。


「叶うなら、春や、フラムや、他のみんなと一緒に過ごす日々をもっと堪能したかったけどな」


「……ええ。本当に。私も」


 2人で綺麗な満月を見て、話すのはこれまでの思い出の数々。


 とても楽しかった。


 それは奨も、莉愛も。振り返ってみれば確かに楽しかったのだ。


「でも、叶うなら」


 莉愛は自分の中でどうしても消せなかったもう叶わない夢を告白する。


「みんなが大人になったら、外の世界に連れて行って、いろんなところを旅したかったな。もちろん、傭兵団としてじゃなくてもいい。私が外で見てきた、いろいろな美しいものをみんなに見せてあげたかった」


 莉愛は何かをふと思いつくと弱弱しい声で囁く。


「武蔵の地の河川敷にはね。今も春になるとたくさんの桜が咲くの。とってもきれいで……せめてそこだけでも、みんなと行きたかった」


「……ああ、莉愛先生が言うならきっときれいなんだろうな」


 表情が曇り、俯いてしまった莉愛先生を見て奨は言う。


「その夢、俺が叶えてやるよ」


「え……?」


「俺はまだ未来がある、いつか、この手で必ずみんなを取り返して、そしたら先生が教えてくれたそこに連れていくさ。約束だ」


「奨……くん」


 奨を見るその目は、すでに自身が保護する子供へ向けるものではなかった。


「ああ。ああ。ありがとう……奨」


 莉愛は最後に奨をなで、そして抱きしめた。

「あなたが大好きよ」


 ――莉愛は離れなかった。


 さすがに10分も離れなかったのに異変を察し、笑みを浮かべている莉愛の胸に手を当てる。


 心臓はもう動いていなかった。 






「これが俺のすべてだ。だからこそ、この悪夢は、俺の誓いそのものだ。莉愛はずっと俺に語り掛けてくれる。この約束を忘れるなと」


 聡は、奨の独白を聞き絶句した。


「俺は、幸せだった。俺には生きる意味があった。生きて、戦わなければいけない理由があった。そんな、この世の人間が持っていないだろう宝物を俺はあの人からもらった」


 華恋は、首を振る。『それは違う。こんな悪夢はただの呪いだ』と言いたかった。


「俺は、莉愛の約束を果たすため、そして春、お前と、みんなを救う為に一生をかけてきた。何度死にかけても、何度辛い目に合っても、こんなもの、これに比べれば大したことはなかったんだ」


 春は、奨の数多の死を、記憶から読み取った。


 先ほど倒れていた死体は、奨のこの世界での戦いの記録だったのだ。


 倒れていたのは旅の中で失った仲間と、自分自身の死の可能性を表したものだ。


「違うよ。こんなのは違う!」


 春は怒り狂った。しかしそれは、〈人〉へと向ける怒りではなく、清らかながら荒々しい、誰かを想っての激情だった。


「私は、そんなの幸せなんて認めない! 奨は、ずっと辛かったんじゃない! こんなの、夢で莉愛先生に殺され続けて、現実でも死にそうな目に合って私たちを探すって約束を果たそうなんて、そんな馬鹿な真似、なんでやめなかったの!」


 春の怒り。


 奨は、不思議そうな顔で、彼女の顔を見る。


 そしてにっこりと笑ったのだ。


「お前と同じだ春。お前がどんな犠牲を払っても理想を成し遂げようとしているように、俺がどうなろうと、お前達を救うことが、俺が是が非でも果たしたい夢だったからな。そう言う意味では、俺とお前は似た者同士だ」

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