外伝3-11 恩の種で忠誠心を育てる
腕輪をつけた日、聡と華恋には自由時間が与えられた。
部屋の外に出て、影の本拠地である未だ全容がみえない謎の街を探索することもできるが、春が許可したエリア以外のところに足を踏み入れると強制的に気絶する術を施しているので逃げることはできない。
それを抜きにしても、そもそも2人には今逃げ出すだけの気力は残っていなかった。
それでも外に出たのは戻ったときの部屋の中、寝台を見た時に言いようのない恐怖を2人に与えたからだ。
聡は今にして思えば、奨が源閃と戦ったときの悲鳴の理由をよく理解できる。
決して逃れ得ぬ悪夢。その中で永遠に責め苦を受ける。
それこそが腕輪を装着した者が強い理由であり、この腕輪が忌避されるべき理由でもあったのだ。
想像こそが戦うときの力となるこの世界においては、具体的な死のイメージができている者は、それを現実として他人へとそのまま押し付けるだけで敵を殺す有効打になる。
腕輪を使用した代償として、見せられる悪夢は脳に強くイメージを刻み付ける。だからこそ何回か見れば自分でも想像できてしまうのだろう。その理不尽な破滅の光景を。
本人たちにとってトラウマになったとしても、精神崩壊につながったとしても関係ない。
「もう、夜だ。本当は寝なきゃいけない時間だけど……」
「……そんな気分にはなれないよ……」
2人とも怖かった。また、あの夢を見てしまうのではないかと。
互いにどんな夢だったかは聞いていない。聞かずとも悲惨なものであることは予想できるし、もう思い出したくもない。
悪夢の厄介なところは夢のくせに記憶として残りやすいことだ。今の2人は思い出すことを拒んでいるが、野郎と思えば鮮明に当時の記憶を蘇らせることができるだろう。
悲鳴が聞こえる。
1つではない。次々と。
腕輪に悪夢を見せられているのかもしれない。2人はそう思うと、なんとも言えない沈んだ気持ちになる。見知らぬ誰かでも、あの悪夢は厳しいだろうと、体験してきた今なら思えるから。
「ねえ聡。昼間に会ったあの人たちも、春さんも、腕輪を使ったらずっと悪夢を見ているのかな?」
「どうだろう……腕輪の仕組みを考えると見ているとは思うけど」
「平気なのかな? あんなものを毎日見せられて」
「……僕には無理だな……」
「だよね……」
秘密組織の本拠地とは思えない欧米風の建物が並ぶ街を歩きながら、2人話を続ける。
こうして話をしている時が、唯一、気を確かに持っていられる瞬間に思えた。
「腕輪、使わないで済めばいいのに……私たち、力なんて望んでないよ」
「ああ。そうだね」
「……なんか、弱音ばっかりだね。私。ありがと、つきあってくれて」
「いや、当然だよ。不安なのは僕も同じさ」
閉じ込められている。
聡もまた、華恋と全く同じ気持ちだった。
嘘だと信じたかった。
それでも嘘ではないのだ。
これは夢だろう、と軽く見る者がいたとするなら、聡も華恋もその侮辱を決して許さないだろう。この夢は本当に痛いし、本当に苦しいし、本当に絶望を心が思い知る。
たった1回でトラウマになりかけているのに、それを今後もずっと味わうことになる。
体中の体温が2度下がったくらいに寒気がして、鳥肌がたった。
「こんなの……耐えられるはずがないよ……」
終わった。そしてまた始まった。
終わった。また始まった。
終わった。また始まった。
終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった。終わった。また始まった――
何度繰り返しただろう。
心は壊れそうになる。
華恋の目の前に再び黒い空が見えた。
ァ――タス――ケテ。
負けないと、頑張ろうと聡と誓った決意はどこに行ってしまったのだろうか。
今の華恋は、とにかく、すぐに楽になりたかった。
(あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)
聡は思考が止まっている。
腕輪が見せる絶望に、もう負けたかった。
死にたいと願った。
しかし、死ねない。
ただ、苦しいだけだった。
何度繰り返しただろうか。
変化が訪れたのは直後だった。
華恋はもう逃げなかった。
にちゅ。ぐちゅ。
もう音を聞かなくても、脳が再生してくれる肉の乖離の瞬間。
また始まるんだろうと、すべてを諦めていた。
その時。
誰もいないはずの華恋の世界に1人、別の女子が立っていた。
悪魔の大軍とも思えるその鳥を、光り輝く流星で、そのすべてを墜落させていく。
「え……?」
こんなことは初めてだった。
自分ではないダレかがこちらにやってくる。
その顔は悲しみに満ちていて、涙を流しながら、その場を動かない華恋の元へとたどり着く。
自分より少し背の高い目の前の女は、ふわりと包み込むように華恋を抱きしめる。
「あ……」
この感覚、身に覚えがある。
訓練学校時代、怖い思いをしたり、怪我をしたりして泣きそうになったとき、いつも『春先生』は助けてくれた。
全く同じように、今も。
「大丈夫。もう大丈夫だから……! ごめんなさい、助けに来るのが、遅くなってしまって……」
春が頭を撫でる。
何度も何度も、悪夢を孤独なまま超えてきた華恋にとっては、たとえ目の前の存在がこの悪夢を見せる原因になっていたとしても、生きた存在が目の前にいて、自分を生かしてくれた春が、素晴らしい存在にしか思えなかった。
「怖かった……」
「腕輪が見せる悪夢は人によるの。心配で、少し、覗いてみたら、あなた、私たち幹部と同じくらいの悲惨な夢を見てたのが分かって。本当はね、自分の力で超えないといけないけれど、どうしても見てられなかった。本当に……ごめんなさい」
演技なのか、だとしたら本当に恐ろしい女だ。今の言葉、泣きそうな顔で謝罪するその表情も声も、本気だということしか感じ取れなかった。
「帰ろう……? 大丈夫。今日はもう、悪夢は終わり。私が腕輪を一時的に封じ込めるから」
「おわりなの……?」
「ええ。明日からはちゃんと私が守ってあげる。もう、心配することはないわ、腕輪の悪夢は、見方を変えればあなたを守ってくれる力になる。〈影〉からは逃げさせてあげられない以上、私も、貴方がものにできるよう、一緒に付き合うから」
「うん……」
「さ、朝よ」
華恋が目を覚ますと、涙を流していることに気が付いた。
隣を見ると、同じような顔になっている聡を華恋は視認する。
心は、少し暖かかった。
「聡……?」
「華恋。その、おはよう」
「うん」
「たすけ、られたよ」
「私も。凄く、嬉しかった」
2人が挨拶を済ませたのを見計らってか、部屋で2人の様子を監視していた春が2人に声をかける。
「おはよう。平気?」
「あ、はい」
華恋がお礼を述べようと口を開いたとき。
「悪趣味なものだな。そうやって忠誠心を育てているのか。女神候補の春さんは」
部屋の入口に、太刀川奨が立っていた。
「地獄のような悪夢を味わせているのはお前らだ。それで反抗心を根こそぎ刈り取って、恩という種を埋め込み、忠誠心を育てる。よくできたマインドコントロールだ。毎日夜はそうやって、他の連中の悪夢にも潜り込んで、布教活動していたわけか」
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