百リ小説

シイカ

百リ小説

…………彼女に会いたいと呟くだけで胸が締めつけられる。


苦しいのに、気持ちが良い。それは痛みではなく、快楽から来ているものだった。抱いているわけでもないのに、官能的な気持ちが抑えられない。


不思議なことに自慰行為をしようとは思わなかった。抱きたいという思いの前ではその行為すら、チープに思えたからだ。


会えるだけで良かった。そして、別の思いが現れた。


 心の片隅に塞いでいたことが溢れだしそうだ。身体を重ねた経験は人並み以上にあるし、好きな子もいた。でも、彼女に対する思いは、それを遥かに超えていた。


好きだから踏み出せない。愛してるから臆病になる。


彼女の周りには沢山の人がいた。みんなから愛されている。


私は彼女にとって特別ではない。特別だったときもあった。少し離れただけで、彼女の隣に私はいなかった。


彼女にとって私は親友でそれ以上になることはできなかった。


今でも親友としているのかわからない。


会わなくなってもうすぐ5年だ。


私から連絡先を絶ったのだから自業自得だった。


全ての知り合いの連絡先を途絶えたことに後悔はない。







………………ここまで読んで私は古いデータを閉じた。


閉じざるを得なかった。日付を見ると、西暦2010年7月20日とある。


「……ずいぶん情熱的っていうか、ロマンチックな人だったんだなあ」


あたしの頬は赤くほんのりと染まっていた。


21世紀のはじめ頃。


あたしのおばあちゃんが少女時代に入力したデータは古すぎて、あたしの電脳では読み込めない。みんな『文字バケ』してしまって、実際には八万文字程度の中編だったはずの小説の、なんとか読める部分だけを拾い集めて繋げたものが上の文章だ。


古いパソコンは明日、月面宇宙港の福祉管理警察が没収するという。


ほんとうはデータの抜出しは法令違反なのだけど、あたしは、こっそりとやってしまった。


でも、たったこれだけだし、これが、創作なのか本当にあった日記の類なのか。


今となっては知ることはできないけれどデータは完全消去される。


でも、百年前の『百リ小説』は決して滅ぼせない。


なぜなら、データは消せても、あたしが見たデータの記憶は消せないからだ。


それに、ひとつ分かったことがある。


今から、百年前にも『百リ小説』というものは存在したし、そういう感情が国連政府の言うような『非生産的背徳思想』ではなかったという証拠だろう。


明日、目が覚めると、そこには……。『パソコン』と呼ばれた二十一世紀の古い機械は本体ごと無くなってしまっているだろう。おばあちゃんに、あたしはそっと言った。


「さようなら。百年の記憶。続きは、あたしが書き上げるよ」


 少子化防止法の違反になるという理由で五十年前に禁止されたという『百リ小説』。


 それをあたしは、重罪だと承知で、今も密かに書き続けている。


 百年後、二百年後の未来。人間が人間らしさを取り戻せる日がくる事を信じて。


 窓の外に広がる漆黒の宇宙に大きな月と月面都市の灯りが遠く瞬いているのが見える。


 真空の中を飛ぶ旅客機は銀河を背に月へ降りる軌道に入った。


 どうして女の子同士の恋物語を『百リ』と呼ぶのか、あたしは知らない。


 大昔は植物の『百合』と同じ字を書いたらしいけれど…………。


「…………ふあ。あとは月で考えよう。向こうには仲間だつている」


 眠くなる。麻酔剤が脳髄の活動を封じていって、あたしは眠りに落ちた。


 明日、目が覚めると、そこには……。


 百年の記憶を心に宿した、あたしが月への第一歩を踏み出していた。


 月面都市に、まだ『百リ文化』は根付いてない。


 


                       『百リ小説』    了


       

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