第86話 博士の話
「検体とはありがたいぞい。特に今回は若い肉体だからの、ヒヒヒ」
ボサボサの白髪に無精ひげを生やした白衣で丸眼鏡の男がそう言った。
「不謹慎ざます、ミハイル博士」と、ザマス眼鏡。
「そうは言ってもですぞい。医学の発展の為にはどうしても通らねばならん話ぞい」
ミハイル博士と呼ばれた男は、ムスッとしてそう言葉を返した。
この男、ミハイルとは呼ばれているが、身長が高いだけで顔は純日本人である。それは祖父がロシア人であり名付け親ということであり、顔の遺伝は母方の血が強かったということであろう。
見た目は小汚いおっさんであるミハイル博士であるが、実は極めて優秀な精神医学・医学・獣医学博士であり、”あの日”以前は数々の論文や著書を世に出して医学に貢献してきた、知る人ぞ知る人物であった。
特に有名である彼の著書「猫メンタルぞい! ~猫は百薬の長~」はミリオンセラーとなっている。彼の取得する三つの博士号の知識を余すところなく詰め込み独自の視点から切り込んだ著書であった。
実は山田たち代表者の半数はそれを購入して読んだ経験があり、こんな時代だからこそ猫メンタル……「どーにかなるにゃ~ん」が必要だと、博士の顔を見る度に思い出すのであった。
ミハイル博士は現在、ゾンビ化現象のメカニズム解明と治療方法の確立を担当している。
電気供給が死んでいる現在、電力は屋上に設置されたソーラーパネルと非常用に自家発電機があるだけなので、大掛かりな機材を動かすことができない。例え動かせたとしてもメンテナンスできる者が札幌コミュニティにはいないからどうしようもないだろう。
更に、未知の病気の解明は世界的なチームが結成されてなお困難なプロジェクトである。それを個人が行うということがどの様な意味を持つかは想像に難しくないだろう。
この様にミハイル博士の役割は無謀とも言えるものではあるのだが、流石は天才。現在、ある程度の成果と、仮説をいくつか立てれるところまで辿り着いているのだ。
後は、実験で検証していくしかないぞい!……と言ったところであろう。
ただ、残念なことにゾンビ化の原因が何であれ、一度ゾンビ化した者の回復は難しいであろう、というのが現在の結論である。
ミハイル博士の研究により判明したゾンビとなってしまった者の特徴のひとつとして、脳の一部の縮小が認められることが挙げられる。これでは万が一ゾンビ化の原因を体内から排除できたとしても、元通りの知的で健康的な生活ができるとは到底思えないからだ。
ついでに言うと、ゾンビの知能や自我の低下、痛覚の未認識等の症状はほぼ間違いなく脳の縮小が原因であるとミハイル博士は結論付けている。ただ、何故それが起こるのか、また何故噛みつきにより仲間を増やそうとするのか、死肉への異常な感知力はどこから来るのか等、判明してないことは多いのだが。
従って、現在の研究の最終目標は治療方法と言うより予防方法の確立がメインと言えよう。まあ、その為にはこのゾンビ病(?)の発生メカニズム解明が先に必要であるからして、その為にもなるべく多岐に渡る状態のゾンビを研究対象としたいのだ。
故にミハイル博士にとって、今となっては珍しい、ゾンビになりたてホヤホヤの勝やんの存在は僥倖なのである。
他者の、しかも子供の人間としての死を僥倖と感じていることなど”あの日”以前に他者に知られたら総叩き大炎上にあうこと必至であろうが、日常的に死が当たり前になってしまったこのご時世である。眉を顰められることはあれど、大事と捉えている者は最早この中にはひとりも居なかった。
「さて、こうしちゃおれんぞい! わしは一足先に抜けさせて頂くぞい! 帰るぞい、ゴルビー!」
ミハイル博士は興奮気味にそう言うと、会議室から意気揚々と出て行ったのであった。5匹の代表猫の一角である、サイベリアンの雑種であるゴルバチョフを引き連れて。
この様にマイペース過ぎるミハイル博士なのであるが、まだ会議中だと止める者は誰も居なかった。
いつものことだということもあるが、博士の場合はその専門性から代表メンバーに選抜されてはいるものの、会議室に拘束するより研究室に居てもらったほうが有益であることを誰もが知っていたからである。
あ、斎藤防衛相だけは名残惜しそうだったぞ!
もちろん、ミハイル博士退場にではなく、ゴルバチョフの退場についてではあるのだが。
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