アブノーマル⑤
地面にへばりついたまま、ブラッドは命令した。クレイが逃げる体制に入るが、もうこちらの射程に入っている。半径三十メートルの範囲、全方位から銃弾の嵐。クレイは身を屈めて転がり、急所を庇うように逃げる。残った左腕を振り回し、ナイフで銃弾を弾き飛ばし、物影に隠れてしまう。
「化けもんか……」
どこに逃げる隙があったのか。クレイはまだ生きている。異常すぎる化け物のあとで薄れてしまっていたが、クレイも十分なほど化け物だ。秒間に数百は下らない弾が確実に当たっているというのに、クレイの膝から下は落ちない。もしかしたら、クレイも死なないのではないか、という最悪な妄想が脳裏に浮かぶ。
二班と四班が隊列を組みながら出てきて、逃げ道を塞ぐようにした。中から防弾スーツをガチガチに装備した隊員が、匍匐前進で情けなく転がったままのブラッドの側に寄る。
銃撃の編成を変えながら、防戦一方のクレイを追いつめ、取り囲む。クレイも無傷ではない。完封したと思われた。
「おい、隙を作るな!」
突如、クレイが人の壁に突っ込む。何処にそんな力が残っているのか、片腕で、ナイフ一本で、クレイは強引に抜ける。何人かの腕が落ちていた。
「怯むな、後衛!」
すぐさま後衛の射撃が開始する。クレイは迷わず駆けだした。その動きに焦ったか、隊列が乱れる。銃弾の隙間を縫って、怪物が進行する。円を描くような隊列にしたのが仇になる。味方が巻きこまれてしまうため、遠距離からの攻撃が難しくなった。
クレイの正面、不安定になってしまった三班、その横の二班から四班は発砲の手を止めない。一人相手なら十分すぎる攻撃だ。なのに、クレイは怯まない。
「不死身かよ…」
「当たっているし、確実に削いでいる!逃がすな!ぶっ殺せ!」
部下の泣き言に活を入れ、ブラッドは重い身体で走りだした。側の隊員もそれに続く。
「二班三班は絶対に手ぇ止めんな!五班六班は今のうちに回り込め。一班四班、動ける奴は二、三班の援護!」
「邪魔、なんだよ!」
「うわあああああ」
健闘も虚しく、二班と三班の防衛線が崩される。それでも隊員は銃を捨て、用意していた接近戦用の武器を手に取った。対してクレイの獲物はたった一本のナイフ。
ブラッドは唇を噛んだ。近距離戦は悪あがき程度の苦肉の最終手段だった。しかし、迷えば迷った分だけ無駄死にが出る。
「そいつを止めろ!」
無茶な命令なのは分かっていた。だが背を向けたらそこから殺られる。無駄に殺されるなら、戦った方がましだった。そう言うしかなかった。非情ともとれる号令に、しかし隊員の士気は高まった。悲鳴に混じって雄叫びが重なる。命を掛けたのは、ブラッドだけではなかった。この場の勇士全員が、その覚悟を決めていた。クレイ討伐隊に選ばれた時から。
だけどクレイは止まらない。むしろ負い詰めれば追い詰めるほど、その異常さを思い知らされる。走りながら心の中で素早く十字を切る。今まで彼の犠牲になった人達に。そして、今命を落とした隊員に。
そして、傍らで肉塊になっている、彼にも。一応。
「…あとで彼もちゃんと保護を」
終わってからだと、自分も死んでいるかもしれない。ブラッドがぼそりと呟くと、近くでその言葉を聞いた隊員が「げっ」と声を上げた。配置に遅れた二班の隊員にやらせれば良いと提案を受けながら、人の壁から隊員が弾き出された隊員に駆け寄る。ぐったりとして動かない。
「一班は救護に回れ」
人が密集しすぎて、これ以上は邪魔になると判断し、一部を生き残りの確保に当たらせる。それでなくともこちらに部の悪さを思わせるクレイの脅威。けれど、捨て身の攻撃で、相当体力は削いでいる筈だ。いくらなんでも、クレイが逃げきる事は難しい。致命傷は外しているとはいえ、あの怪我の量では逃げ切れるはずもない。
「くそ」
引いても良いかもしれない。ここで。くぐもった銃声が聞こえる。無駄に犠牲者を出す前に。しかし、異常者に1%だって手を抜くべきではないとも思うのだ。
「ああああああ」
誰の物とも分からない血をまき散らしながら、縺れ合う人の群れ。呻き声と、肉が割ける音。『もういい』、と言いそうになった。だが。クレイの目が光るのをみた。まるで猛獣のような。化け物の目。
「奴は片腕だ!逃がすな!」
厳しい声。先ほどみた、青年の悍ましい姿がそうさせた。殺しても、死なないかもしれないなんて思ってしまうのだ。
「クレイを確実に仕留める事こそが、我々の宿命だ!」
「くそおおおおおお」
クレイはもがく。身体中に打撃や斬撃を受けながら。一班に救護を任せた隊士の何人かは、その後ピクリとも動くことはなかった。死んでいく。また一人。また一人。その代償にクレイに与えるダメージはほんの少し。
「どけぇ!」
十数人掛かりの壁を、クレイは激しく暴れながら、一人ずつ確実に引き剥がしにかかった。一刻も早くこの場から離れようと躍起になっている。
「絶対に通すな!」
「雑魚どもがああああ」
そのクレイの様子に、まだ怯えが残っている事に気づいたのは、逃げに徹していたクレイが、邪魔な人の壁を排除することを優先し始めたからだ。目的の変わった拳が隊員の顔面に直撃すると、その隊員は一瞬で絶命した。
「まずい、退避!」
一瞬で数人が殺られてしまったのを見て、ブラッドは声を張った。しかし、クレイの一番近くにいた隊員は駄目だった。突然周りが開け転がり出てくると、クレイはすぐさま体制を立て直す。逃げられる、そう思った時だった。
『五班六班、撃てます!』
「撃て!」
無線が入りすぐさま答えると、その場にいた隊員が全員伏せた。頭上に銃弾が流れて行く。クレイが転がって行くのを、ブラッドも銃口で追いかける。
「―――っ」
クレイが、人の物とは思えないような声で吠える。びりびりと空気が震え、緊張が走る。化け物は正気すら失い、手当たり次第に物を破壊し始めた。
「…これは、命令じゃない」
ここまでクレイを追い詰めた部隊は、きっといない。それはきっと誇って良い。でも、これまでだ。これ以上は、無駄もいい所だ。クレイはもう、ここにいる全員を殺すまで止まらない。
「俺は特攻する。命が惜しくない奴はついて来い!」
持久戦だ。それしかなかった。
逃げ出す者は、いなかった。
だが、クレイが、あそこまで怯えるのには、理由があった。
それが分かったのは、背後で、『得体の知れない気配』がしたから。
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