29杯 高潔

「さて、そろそろ花の話もしましょうか」

 と言って先程生けていた花の前に正座する。

「まず『生け方』ですが、適当な形に生けている訳ではありません。主に三つ、『立っている姿』『傾斜している姿』『垂れ下がっている姿』があると言われています。なぜだかお分かり?」

「いえ……」

「立っている姿とは文字通り太陽に向かって真っ直ぐ伸びる姿。傾斜している姿とは切り立った崖に力強く根付く姿。垂れ下がっている姿は柳や稲穂の柔軟性からバランスよく支えられた茎まで。全て自然界に存在する『花の有り方』なのです」

「はあー、なるほど」

「生け花は、色や形で適当にデコレーションした物ではありません。そういった自然の姿をモチーフにする事で、見る人に生命力を感じさせるのです」

 優美は完全に素に戻って感心する。

「機械的に組み上げられた形を見たら色々と考えてしまいますね。ここはどうしてこうなっているのか、これにはどんな意味があるのか。しかし自然の形はどんな人でも共通して伝わります。『自然』は本能が知っている事なのです」

「ははあ、それでさっきの立ち方が、綺麗に見えたんですね」

「自然の姿は人の無意識に働きかけます。無駄を除いた自然な姿は、見る者に意識をさせず、要はストレスを与えずに『見せる』事ができるのです」



 高速の抜き手を放っていた変異種は、何が起きたのかも分からずに動きを止め、自分の鳩尾に突き刺さった刃を見た。

 確か相手を追い詰めていた筈だ、あと数撃で決まる筈だった。膝から力が抜けるのを感じながら変異種は思い出す。

 攻撃を受ける魁の腕は突然、力尽きたようにだらりと下がった。丁度ボクサーがスタミナ切れでガードを上げ続けられなくなった時のように。

 そしてがら空きになった頭部に止めの一撃を放った。

 その時、魁は『歩いた』のだ。

 すまし顔で、極自然に、一歩『歩いた』。

 人が日常で最も多く目にし、最も多くとる行動『歩く』。

 攻撃する、防御する、という意識を捨て、自然に歩いた魁の姿は、まるでたまたまそこに居合わせた通行人のように変異種の意識からも消えた。

 そこにいる、見えているのに、変異種の目には魁の姿が消えたように感じられた。

 変異種は呆然としながら、前のめりに倒れた。

かぶら古流、風物刺ふうぶつし

 技名を言った所で背後に気配を感じ、振り返ると丸太のような物体が飛んできた。

 魁はそれを十字受けにガードする。

 飛んできた物は変異種の足、身の丈三メートルはあろうかという巨大な変異種の足だった。



「木には『根』『枝』『花』があるのは知っていますね」

「あ、はい」

「根を地面に下ろし、宙に枝葉を伸ばす。つまり地面との接点は一点なのです。つまり、生け花の基本の形は、逆三角形」

 と言って空中を指で三角形になぞる。

「この根にあたる部分が、ただ剣山に刺しただけの不自然な形では生命力を感じられません。つまり、バランス良く支えられている必要があるのです」

 桃子は一本の枝を手に持って立たせる。

「根を支点とした逆三角形が、正三角形ならばバランスを取り易いのですが、そんな枝はありません。必ず不等辺な三角形を描きます。この不等辺三角形をバランス良く立たせる事、アンバランスさを逆に活かすのです」

 桃子は手を離したが、枝は倒れない。

「左右対称の美しさにはある程度の制限がありますが、アンバランスの美しさは無限。その無限の美しさを表現するのが華道の真髄です」

 はああ、と優美は感心して嘆息する。

「大切なのは、バランスを見極める『感覚』を養う事。それが出来ていればどんな不安定な物でも立たせる事ができます。逆を言えば……」



 地響きを立てて巨大な変異種は倒れた。

かぶら古流 天地人てんちじん

 これまで一度たりとも倒された事のない変異種は、起き上がる事も出来ずじたばたと手足を動かすが、あっさりと魁に止めを刺されて動かなくなった。

 魁は辺りを見回し、直ぐに襲ってくる変異種の気配がない事を確認すると息を付く。

 複数の変異種を同時に相手する事がないように立ち回っていたが、そろそろ限界かと思っていた所だ。

 さすがに変異種の絶対数が減っているのだろう。

 組織だって行動し始めたと言っても、変異種同士は元々粗利そりが合わないもの。布陣やコンビネーションといったものは皆無だ。

 だがそれもいつまで持つか分からない。警察や機動隊を相手にする為の協力体制が、これから出来ていく事だろう。

 だからこそ、今のうちにケリをつけるべきなのだ。

 魁は歩き出す。

 観測施設の頭が見え始めると、その間を塞ぐように人影が立っている。

 ニット帽を被った、細い体系をした男。

 男の背から、黒い翼が広がる。



「そして三角形のフォルムを作る為には、枝を三本広げるのが基本です。もちろん三本でなければいけない訳ではありませんが、基本を知るためにまずは三本の枝を使ってみましょうか」

「は、はい」

 慣れない手つきで枝を刺すが、中々うまくいなかい。

「ム、ムズカシイ……」

 たどたどしく花を生ける優美を急かす事なく見守る桃子。

「まだ、体に力が入ってますね。少し手を休めましょうか」

「ふあー、疲れたー」

 と肩を回す。

「でもお母様、華道で一番難しい事って何ですか?」

「『難しい』と感じる時はどこかに間違いがあります。華道は『楽しむ』ものですから。でも……『無理』な事ならあるかしら」

「無理?」

「たとえば、『地に着いていないもの』かしらね。これはもう華道の域ではありません」



「ぐっ!」

 地面に倒れた魁は、すぐさま起き上がり、体制を立て直す。

 周囲を見回し、飛んで来る変異種の姿を捉えた時はもう遅い。滑空して襲ってくる変異種は眼前に迫っていた。

 刀で、鎧で致命傷を防ぐがまた地面に倒される。

 流水るすいで受け流す事を試みるが、空を飛んでいる物の重心を見る術を魁は知らない。

 地面を伝ってくる踏み込みの振動も感じ取れない。

 翼を傷付ける事が出来れば、と思うが滑空して全体重を乗せた攻撃は想像以上に重い。

 音もなく、闇に紛れて空から襲ってくる攻撃に魁は成す術がなかった。


 ガキッと魁の体は鉤のような爪に掴まれ、宙に吊り上げられた。

 とっさに掴んでいる手を刀で斬りつけ、拘束から逃れたが、魁の体は地面に叩き付けられる。

 地に足が着いていない状態で斬りつけても、変異種の硬い皮膚には大した傷は付けられない。

 落下による魁のダメージの方が大きいくらいだ。

 このままではまずい、と魁は起き上がらずに地面の上で大の字になる。

 これならば、どこから襲って来ても確認する事が出来る。

 格好の的になるリスクはあるが、カウンターでの反撃で活路を見出す覚悟だ。


 だが魁は、はっと横に転がるようにその場を移動する。

 一瞬後に、魁の頭のあった所に大きな石が降ってきた。

「くっ」

 起き上がり、中腰になった体勢の魁の正面から黒い影が迫る。

 真正面だ、迎撃できる。

 と刀を構えたが、変異種は刀の届く位置に来る前に、大きく羽ばたいて上へ逃れると魁の迎撃は空を切った。

 変異種は直ぐに翼をたたみ、体を丸めて一回転すると、魁の背後に降り立つ。

「しまった!」

 振り返る魁の胸に爪の斬撃。

 装甲が傷付いただけで致命傷ではない。だが魁の反撃が届く前に変異種は飛び去る。

 魁は片膝を付いて変異種の飛び去った方を凝視するが、すぐに闇に溶けて見えなくなった。

 どこから来る? と周囲を見回すが、木々もあって全て見通せるわけではない。

 身を隠せる所まで移動したいが、相手もその進路を塞ぐように攻撃してくる。

 ばさっという音に反応して振り向いた魁が見たものは、長い爪で前方をガードするように突っ込んで来る変異種の姿だった。

 これはまずい、と魁も防御を固めて衝撃に備える。

 しかし変異種は魁に激突する前に横から飛び出した影に攫われていった。

 有翼の変異種は飛び出した影に組み付かれたまま二度地面に当たったが、そのまま羽ばたいて上空へ飛び去る。

 魁は小さく礼をすると観測施設へと向かった。



「では、今までの話は綺麗さっぱり忘れて、自由にやって御覧なさい」

「自由に、ですか?」

「そうです。生け花は楽しむものです。まずは好きなように飾って御覧なさい。但し、花はおもちゃではなく命を持ったものだという事を忘れずにね」

 やや緊張気味だが返事をして生け始める。

 少し飾ってみては「うーん」と首を捻りまたやり直す。

 無心になる、というよりは夢中になり始めた優美は、いつしか魁や変異種の事を完全に忘れて生け花に没頭した。

 しばらく繰り返していると花が段々と痛んでくる。

 これでは悪戯に花を傷つけているだけではないのか……。


 手の中に残った一輪の花をしばらく見つめると、そっと花を一つ特に飾るともなく、傷つけないように配慮しながらただ、生けた。

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