28杯 古風

「お母様。わたしに華道を教えてください」

 小さな着物を着た優美は、かぶら古流の道場に入るなりそう言った。

「こんな時に、と思うかもしれませんが。こんな時だからこそ、何かをしていたいんです」

 桃子は落ち着いた様子で花を生ける。

「自分だけ何をするという事もなく手をこまねいている事に耐えられず、何か打ち込める物が欲しい。そう言った所ですか?」

 動機が不純だから、やっぱり駄目ですか? と不安そうな顔になる優美に、

「それで良いのですよ。男は戦い、女は花を生ける」

 と言って生け花を続ける。

「しかしかぶら古流を学ぶと言う事は、いずれは流派の後を継ぐという事になります。つまり魁の妻になる」

「えっ?」

 優美は驚き、そんなつもりは……とあたふたする。

「ふふ、冗談です。生徒をいちいち花嫁にしていてはキリがありませんからね」

 もっとも今は生徒はいないのですけど、と付け足す。

 結局、了承されたのかどうかが分からない、と不安そうな様子の優美に、

「待つだけの身の辛さは、女にしか分かりませんからね」

 と悪戯っぽく笑うと優美の顔がぱぁっと明るくなる。


「ではさっそく、『立ち方』からやってみましょうか」

 と言って立ち上がる。

 正座からではないのか? と若干拍子抜けしたような顔になる優美の前に、真っ直ぐに立つ。

 気を付けというほど固くもなく、ただ立っているよりは姿勢が正されている。

「いわゆる自然体という立ち方です。構えあって構えなし、無構えこそ剣の極意なり、と昔の人も言っています」

「はあ」

 と何を言いたいのやらという様子の優実に、

「この立ち方を見て、美しいと思いますか?」

「……お母様は、どんなポーズでも美しいと思いますが……」

 ふふ、お世辞はよろしくってよ、と右足を少しだけ前に出す。

 それに合わせて、腰、肩をやや傾け、手を小さく前に重ねた。

 うああ~、と優美の口が大きく開く。

「今度はいかが?」

「キ、キレイです……。さっきとは比べ物にならないくらい」

 立っているという点においては先程と変わらない、どこが違うと言われれば要所要所違うのだが、なぜその違いが見せる者の心を動かすのかが分からない、というように優美は顎が落ちそうなほどに口を開いた。

「真に均整の取れた物にはその美しさがありますが、人に限らず完全に芯の通った生物など存在しません。生物の美しさは、不均等の中に均等を見出す事にがあるのです」

 はあ、と明らかに意味が分かっていない様子の優美に、

「早い話が、バランスが良ければ綺麗に見えるもんなんです」

 桃子は裏が姿見になっている戸棚を開ける。

「やって御覧なさい」

 優美は鏡の前に立ち、先程の桃子の姿勢を真似る。

 だがぎこちなく力の入った体は、畳の上で綱渡りをしているかのように揺れる。

「姿勢を僅かに崩すのは足元だけで良いのです。後はその姿勢の維持を膝、腰、肩に自然に委ねるのです。体の力が抜けていれば、おのずと美しい姿勢になるものです」

 桃子は優美の後ろに立ち、先程の姿勢を取る。

「花を生ける時も同じです。力が入っていれば花を傷つけ、切り口も痛ましく、刺し方も固くなってしまいます」

 え、えーっと……と力を抜こうと努力するも、そもそも自分では力が入っているのかどうかも分からない。

「まずはその無理なコルセットを外しましょうか」

 そう言うと桃子は優美の帯を掴み、力任せに引っ張る。

 あ~れ~と言わんばかりに優美の体は独楽のように回転する。

 帯が抜け、着物が扇のように広がると、するりと体から抜け落ちた。

 下着同然となった優美はそのままくるくると回転を続け、徐々に速度を落として少し揺れるとべしゃっとその場に座り込んだ。

 ぐわんぐわんとまだ回転している三半規管に合わせて頭を揺らしている優実を前に、桃子は腰を下ろす。

「ほどよく力が抜けた所で、基礎から始めましょう」



 ガキン! と金属音が響き渡る。

 魁の刀と変異種の腕とがぶつかり合った音だ。

 剣を交えながら魁は思う。

 変異種にも個性がある。見た目や性質の違いは勿論だが、それぞれが武器とする物が違う。

 蟇目はその瞬発力から来るスピードが最大の武器だ。

 自身の腕を最高速で打ち出し、捩り、刃の威力を相殺した。

 だがこの変異種は腕そのものが長く固い。もっとも変異種はどこかしらに角や爪のような固い部分を有しているものだが、こいつは前腕にそれが集中しているようだ。

 丸太のように長く硬い腕でガードしながら攻撃を繰り出してくる敵に、魁は防戦を強いられる。

 幾つかの攻撃をいなした後、魁は大きく距離をとった。



「花を生ける際、余分な茎はどうしますか?」

 桃子が茎の末端を指して言う。

「え……と、鋏で切ります」

「そうですね。ウチでも安全の為に生徒さんには鋏を持たせていますが、かぶら古流ではこれを使います」


「紙?」

 桃子が取り出したのは一枚の和紙。

 花と和紙を指で摘むようにそっと持ち、すっと交差させるように構えると、腕を開くように動かす。

 ポトリと茎の下部が落ちる。

 和紙を刃物のように使って茎を切り落としたのだが、優美は手品を見ているような顔になった。

「紙で指を切った事はおあり?」

「あ……はい。あります」

「それと同じです。紙にも最も固くなる角度とタイミングがあり、日本刀と同じく押すか引くかする時にその切れ味を発揮する。そして茎も真っ直ぐな訳ではなく凹凸、要は沢山の引っかかりがあります。そこを絶妙な角度で当ててあげれば固い茎もこの通り」



 ゴツン! と重い音を立てて腕の形をした塊が地面に落ち、血飛沫が飛ぶ。

かぶら古流、線切せんきり」

 互いに攻撃を繰り出し、同じ力でぶつかり合ったかのように見えた攻防は、魁が相手の腕を斬り落とす事で決した。

 腕を失い、のたうつように体を捩った変異種の同体は、突然真っ二つに割れた。

 血のカーテンとなった割れ目から、新たな変異種が現れる。

 手刀から前腕にかけてが刃のように変形した変異種は、同類の胴をも容易く斬り裂いたその武器を魁の頭目がけて振り下ろす。

 脱力によって振り抜いた刀を引き戻す事も身をかわす事も出来ず、魁は頭部に迫る重い刃の前に手甲かざした。



「ほえぇ、凄いですねえ……」

 下着同然の格好で正座する優美を前に、桃子は睡蓮の花びらを手に取る。

「この花びらは、紙で切れると思いますか?」

「え? そりゃ、あんな固い茎が切れたんですもの。よゆーでしょ」

 次の出し物を期待する子供のように言う。

 桃子は微笑むと先程と同じように交差した手を広げ、花びらは真っ二つになる……と思われたが、ぱりっという音と共に紙は破れた。

「ええーっ? なんで!?」

 と優美は下着姿のまま身を乗り出す。

 既に弟子入りに来た者の態度ではないが、桃子は微かに笑みを浮かべた。



 ばきっ! と渇いた音が響き、変異種の刃は魁の腕深く食い込んだ。

かぶら古流、落花らくか

 悲鳴を上げて離れた変異種の腕は、へこんだように潰れていた。

 変異種の腕が変形した刃は、魁の腕に食い込んだのではなく、刃そのものがひしゃげていたのだ。

「剛の技は苦手です……」

 魁は少し呻いて右腕を押さえる。

 変異種は怒り狂ったように地面を踏む。石造りの地面に亀裂が入り、欠片が宙を飛ぶ。



「二つがぶつかり合った時、早く動いている方が強い。割り箸の袋で箸を折る隠し芸もその例です」

「あ、はい。テレビで見た事あります」

「しかし必ずしも速い方が勝つとは限りません。武術にも相手の速さを利用する、いわゆるカウンターという技法がありますね。どちらが軸になるかは重心に寄る所が大きいのです。良く斬れる刀を持っても手が震えていては斬れません。逆に小刻みに振動している物も斬る事は出来ません。当たる瞬間に軸を回転させる事で、最小限の動きで刃の鋭利さを殺す事が出来るんです」

 こんな事が出来るようにならなければならないのか? と若干困惑した顔になる優美に、

「……ま、これは生徒さんに師匠の凄い所を見せる為のパフォーマンスですけどね」

 あっさり言い、くすっと笑うと、優美も安心したように表情を崩す。



 両腕が刃のように鋭い変異種は、高速の突きを連続で繰り出してきた。

 怒りに任せて滅茶苦茶な攻撃をしているようにも見えるが、的確で反撃を許さない。

 魁は刀でいなし、交わすのが精一杯で間合いに踏み込む事も難しい。

 リーチの長い腕で、魁の動きを見ながら、手刀に捻りを加えて攻撃してくる。

 この変異種は刃物を持っただけの素人ではない。この手の格闘技に精通している。

 魁は先程からの戦いもあり、あと数撃で疲労の限界が来るであろう事を感じ取っていた。

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