第8話 華咲かず

「戻りました」


 そろそろ逃げようかと思っていたところで、海智留みちるが戻って来た。

 空色のワンピースに、若草色の上着。状況が状況でなければ、素直に可愛いと思える姿だ。

 天とて、女性が気になったりはする。今の海智留みちるは、問題さえなければ、充分に可愛い部類だろう。


「それで、お話はどこまで進みましたか? 挙式はいつ頃にしましょう? 国内ですか? 海外ですか?」


 海智留みちるが戻ってくるまで、十分かそこらだ。仮にその気があったとしても、挙式まで話が進むはずもない。


「今は少子化ということもありますから、子供は三人くらいがいいでしょうか?」


 待ってくれ、という前に、陸野父が海智留みちるの言葉を遮った。


「そこまでだ、海智留みちる

「……お父さん?」

「星野君を、これ以上困らせるな。結婚も何も、話にならんよ」

「ですが、星野さんは、私のことを……!」

「星野君は一般的な道徳心からお前を助けたんだ。そもそも、自殺を考えたお前が悪いだろう」

「私は、死ねなかったんです! ですから星野さんに責任を……!」

「人様の前で、親を困らせるな。第一、今回の話、親としてお前のことを気遣ってやれなかった私にこそ責任がある」

「そんな、ことは……」


 海智留みちるがうつむく。叱られた子供そのままに。

 天としては、そんな海智留みちるを見るのは本意ではない。とはいえ、ここで厳しく言ってもらわねば、話がこじれるだけだ。


「このことについては、後でしっかりと話そう。今は、とにかく星野君に迷惑をかけないことだ。いいね」

「……」

海智留みちる

「……はい、わかり、ました」


 静かに言われて、海智留みちるは押し黙った。


「星野君、今日はありがとう。娘の命の恩人に会えて、私も嬉しかった」

「いえ、そんな大したもんじゃ、ないですよ」

「謙遜するな。君は立派だ」


 いつの間にか、陸野父は天の肩に手を置いて微笑んでくれていた。


「長く引き留めて悪かったね。家まではどれくらいだい? 時間がかかりそうならタクシーでも呼ぼうか?」

「大丈夫です。そんなに離れてませんから」

「そうか。気を付けて帰ってくれ」

「ありがとうございます」


 海智留みちるはソファーに座ったまま、動かなかった。

 陸野父に見送られて、天は陸野家を出た。

 なんとなく気まずい終わり方をしたような気がしていまう。とはいえ、曖昧にはできない話だ。仕方ないと、自分を納得させる。

 いつものパン屋に寄って、こしあんぱんを買って行く。

 今日はパンがつぶれるようなこともなく、無事に家に着いた。

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