ブルーモーメントの密室

玖月 凛

失態

 無性に焦がれていたんだとおもう。

 がらんどうな夕暮れの教室には、先生も友人もいない。

 あの子の椅子にかけられたブレザーのジャケットの袖をとって、残ってもいない温もりを求めて口付けた。

 これくらいなら、いいじゃない。

 そんな言い訳をしながら、満たされているのか虚しいのかよくわからない心地になったとき。


──カシャッ


「え……?」


 慌てて袖口から手を離し顔をあげると、クラスメイトの顔があってさぁっと血の気がひいた。


「みーちゃった」


如月きさらぎさん……あの、これは」


「いいよ、わかるから。園咲そのざきさんってそうだったんだ?」


「違っ……」


 焦りで思考がから回る。どうしよう、こんなの知られたらきっと、明日から何もかもが違う世界になる。

 焦る私を面白そうに見つめて、クラスメイトの如月沙彩きさらぎさあやが続ける。


「これ、クラスのグループトークに投稿されたくないよね」


「っ」


 呟く言葉の残酷さに私の足元がぐらぐらする。

 スマホの画面には切なそうにブレザーに口付けている私。……なんて、浅ましい表情なんだろう。


 もういやだ。やっぱり迂闊に思いのまま行動なんかするんじゃなかった。

 泣きそうになるのをなんとかこらえて、教室の床を踏みしめる。

 ゆっくりと彼女が歩み寄ってくる。目の前で止まり、するりと頬を撫でられびくりとする。


「バラされたくなかったらさ、放課後あたしんちに来てよ」


「行って……どうするの?」


 不安しかなくて尋ねると、頬に添えられた手のひらが首筋へと這う。

 そのじっとりとした動きに鳥肌がたった。


「……わかるでしょ?あたしも、ずっと寂しいまんまなの」


 その言葉には心当たりがあって、どきりとする。

 人と繋がる以前に、心を告げることすらできない孤独。

 周りの恋話を聞きながら、自分の話しはなにもできない息苦しさ。ずっと私はおかしいんだと思ってた。

 『寂しい』それは認めたくないけど、確かに事実だった。


けれど、私の好きなひとは……目の前の貴女じゃない。


「そ、れは……でもっ」


「拒否権ないから。ほら、鞄持って、いこ?」


 振りほどきたい。なのに焦りから嫌に心臓がうるさくて。

 このまま着いていったら後悔するなんてわかってるのに……怖くて振り払えなかった。



 歩いているはずなのに感覚がない。

 焦りでじわりと嫌な汗が滲む。

 繋いでる如月さんの手が熱く感じるのは、私の手が冷えきっているせいかもしれない。

 振りほどこうにも弱味を握られた以上逃げられず、とうとう私は彼女の家の前まで連れてこられてしまった。


 ガチャリ、といやに重々しく鍵が開けられる。

 入って、と告げる声はあくまでそっけない。


「おじゃま……します」


 かろうじてそれだけを言ったが、喉がカラカラでとても頼りない声だった。


「ふふっ、喉やばいね。飲み物持ってくるから、そこの部屋入ってゆっくりしてて」


「う、うん」


 示された部屋に入る。

 テーブルとクッション、雑誌類、全身鏡に、収納ケース、それからベッド。

 シンプルだけれどごくありふれた女の子の部屋だった。

 この不安と緊張もどうか思い過ごしであってほしい。

 ごくごく普通に喋りつつお菓子をつまんだり、それに飽きたら漫画を読んだりして、そんなありふれた放課後の過ごし方であってほしい。


(そうだよ、寂しいって言って家に呼ばれただけだった)


 自分を落ち着かせようと言い聞かせる。けれど、あのとき首筋に触れた手の感触が消えてくれない。


「おまたせ、麦茶でよかった?」


「……うん、ありがとう」


 喉を潤すと少しだけ気分が落ち着いた。

 構えていると、以外にも気さくに如月さんが他愛のない話をふってくれて、普通に楽しく話せてしまっていた。

 だからつい、聞かなくてもいい確認をしてしまったんだ。


「如月さん、お母さんとかはお仕事?」


「んー?親は郊外に住んでるよ。実家からだと通学きついから、あたしはここで一人暮らし」


「そう、なんだ」


 ぎくりとする。まさか一人暮らしだったなんて。

 つまりここは本当に二人きりなのだ。

 出さないようにしていた緊張が伝わったのか、如月さんがすっと目を細めた。


「そう、だから……もういいよね?」


「え?」


 涼しげな目元がこちらを見たまま、ゆっくり近付いてくる。

 彼女の髪が揺れる様が、やけにゆっくり見えた。フェイスラインサイドの髪だけが少し長い、綺麗な茶色のセミロング。


「……っ、」


 肩を押されて、床に倒されたんだとようやく気付く。

 思わず身体が強張った。


「っあの、えっと……ほんとに、そういう……」


 ことをするつもりなの?と続けたかったのに。

 顎を掴まれて、親指で唇をなぞられた。

 ヒク、と唇が戦慄く。

 まっすぐ見つめられて、なぜかそらせない。

 表情が抜け落ちたような彼女の顔は、なんだか造り物めいていた。

 切れ長な二重が瞬いて、そっと顔が近付いてくる。

 あ、と思ったときには唇が触れていた。


「っ、……ん」


 とても、静かな口付けだった。

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