第22話 狼

 イラランケの裏口の外には、また森が広がっていた。

 馬車によって出来た道が森の奥へと続いている。イラランケの店の店主たちによれば、その道の先は商業都市に続いているらしかった。

 ヤクニジューは魔術都市、イラランケは娯楽都市と呼ばれている事をイルルクはイラランケに来て初めて知った。

 魔術都市と呼ばれていても、中央特区の中の事だけだとイルルクは思った。実際ヤクニジューの居住区には魔道具を売っている店などないのだし、魔術に関連する事は基本的に全て中央特区から外へは出ないのだった。


 イルルクたちは道を外れて暫く歩き、少し休む事にした。

 ホーランド伯の家で目にしていた豪華な料理の数々が思い出されて、イルルクは少し残念な気持ちになった。あの料理たちは誰にも手を付けられる事なく廃棄されてしまったのだろうか。せめて使用人たちが食べていたらいいなと、そんな呑気な事を思った。

 携帯食料を器に移し、イルルクの炎で温める。通常であれば焚き火をするが、今は少しでも見付からないようにすべきだろうとルドリスが言ったのだった。

 獣が近付いて来れば気配で察知できるから、と。

 枯葉を集めて簡易的な寝床を作り、イルルクはそこに潜り込んだ。見張りはルドリスとフェルが交互に勤めた。


 夢の中で、ドルビルがイルルクを責めていた。


──お前のせいで死んだんだ。

──お前が来なければ俺はまだ生きていたのに。

──厄病神め。

──恨んでやる。


 がばと身体を起こして呼吸を整えるイルルクは、汗で濡れていた。

 ドルビルの死は、自分のせいなのだろうかと考える。

 分からない。分からないが、きっと原因は中央特区にある。

 イルルクはそう思っていた。


「厄病神、か……」


 イルルクが小さな声でそう漏らすと、キリの声がした。


「炎神は死者を司る神でもあるからね、厄病神とまではいかないけど、それなりに忌避される事はあるよ」

「神様なのに?」

「関係ないさ。人間にとって、自分以外はみんな自分の嫌な事を押し付ける対象だ」

「ふぅん」

「風神は疫病を運ぶとも言われている。水神は災害を引き起こすし、土神はいつか世界を更地に変えるなんて言われてるよ」

「へぇ、どの神様も嫌な所があるんだ」

「そうさ。だからイルルクが何か気にする必要はない。神様ですら誰かにとっては嫌な物なんだ」

「ありがと」

「どういたしまして」


 そんな話をしていると、フェルが立ち上がって森の一角を睨みつけた。

 まだ夜は明けない。白い月が空に浮かんでいて、その光が僅かに森の中にも差し込んでいる。

 フェルはルドリスを起こし、睨んでいる方向を指差した。


「狼、かな。そこそこデカいのがいる」

「ああ、こっちに気付いてるな……そのままどこかへ行ってくれればいいんだが」

「……血の匂いがする」

「……手負いか、それとも単なる返り血か……どのみち興奮は冷めててくれよ……」


 生い茂る草木をがさがさと掻き分ける音が聞こえ、イルルクは息を飲む。

 目の前に現れた巨大な狼は、口から血を滴らせていた。


 ルドリスの心配を他所に、狼は然程興奮はしていないようだった。しかし右の前脚を引き摺るように近付いてきた狼の呼吸は荒く、苦しそうに見えた。

 口から滴る血液は、どうやら狼自身の血ではないようだった。

 狼はイルルクたちから距離を取りつつ、しかし離れようとしない。

 引き摺っていた前脚を隠すような角度でイルルクたちと向き合った後、動きを止めた。


「なんだ……?」


 ルドリスが疑問を口にする中、フェルが周囲の木々を飛び移り狼の背後に回った。狼が唸り声を上げ、丸太程はあろうかという尻尾を振り回した。

 フェルは怯む事なく狼の隠した前脚が見える位置まで移動すると、狼自身が受けた傷跡を見付けた。


「彼、怪我してるね。傷薬あったっけ」

「無かったらルドリスが治癒すればいい」

「え、俺が治癒?!」

「土属性は治癒魔術にも秀でているからね、そこまで傷が深くなければ完治するし、そうじゃなくても動き回るのに問題ない程度までは回復してあげられる筈だよ」


 ルドリスは信じられないと言ったようにキリと自分の手とを見比べていたが、少しして狼に向き直り、自分が治癒の魔術を施しても良いかと尋ねた。

 狼はルドリスと目を合わせ暫く見つめ合った後、ルドリスに傷口を見せるように地面に伏せた。

 伏せて尚イルルクの身長を優に超える狼は、銀色の瞳を閉じ、ルドリスの治癒を待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る