CHOCOLATE

塚本の言っていたことは大嘘だった。206号室はパーティー部屋などではなく、むしろめちゃくちゃ狭い、頑張っても鮨詰めで3人が精一杯のしょぼい部屋だ。外壁がはがれてコンクリートが見えていた。関西のベッドタウンのジャンカラには、たまにこういう部屋がある。


そして、1人でうつむいて座っている少女がいた。…………島本だ。他には誰もいない。豊津とか北浜とか、俺はよく知らないおそらく隣のクラスの女子もいない。


島本は、チラッとこっちを見た。どういうふうに返したら良いかよくわからないので、とりあえず素直な感想を言った。


「…………え?なんで?意味がわからん」


「……なんでもええやろ」


何がどういうことなのか、よくわからなかった。まさか、ソータは未だに勘違いをしているのだろうか。


「あの、俺、隣の、207号室やねんな?さっき塚本に、こっち来い、言われて来てんけど、そのこと、ソータとかに言ってへんから……」


やっぱり無断で部屋を移動するのは良くないな。店員さんに迷惑がかかかるだろう。女子がいっぱいいるようなことを塚本に言われて来たが、俺を騙しやがったなあの野郎。そう思って部屋から出ようとする前に、シャツの裾を島本に引っ張られた。


「待って。ええから、待って。このこと、みんな知ってるから。岸辺くんも淀屋橋くんも中津くんも塚本くんも、それから、あさみも知ってる」


「…………?……あさみ、って、誰?」


「隣のクラスの山田さんの、下の名前や。中学一緒やって、今でも仲ええねん。ほんまはあの子に散歩に付き合ってもらお思てたけど、女子やから無理ってパパが……いや、それはええねん」


「…………?」


モニターでは、フィッシャーズのインタビュー動画のようなものが流れていた。JOYSOUNDのイメージキャラクターのようなものを務めているとのことだった。モトキって誰だ。わからん。


とりあえず、カラオケに来たからには歌わねばならない。2人でカラオケにいる場合、まず誰が歌うのかという会話が始まるのがお馴染みだろう。たぶん。人にもよるのだろうが、トップバッターで歌うというのはなんとなく恥ずかしいものなのだ。


そして、大人数なら誰が何を歌おうがあまり気にならず自分もわりと大らかに選曲できるが、2人しかいない場合、入れる曲も相手の音楽性によって多少は左右したりするものだ。いやまあこれはもちろん俺の場合だが。ここは島本先生の音楽性について伺う必要があると考えた。


「えーーっ、と。自分、先入れる?何入れる?誰が好きなん?」




「…………あなたが、好きです」




「……え?」


いや、あの、好きな歌手とかバンドとかについて訊いたのだ。もしかして、あなたが好きです、という名前のアーティストがいるのだろうか。


「えーっと、……あなたが好きです、が好きなん?」


「はあああ?」


「えっ?ほら、ヤバイTシャツ屋さん、とか、オメデたい頭で何より、とか、ずっと真夜中だったらいいのに。、とか、そういう感じのグループ名多いやん?やから、あのう、あなたが好きです、っていうバンドがいるんかと……」


「バーカ!バカ!バーーッカ!」


「うううっ……!」


関西人にとって「バカ」とは、最大級の侮蔑の言葉である。いや、でも、じゃあ、だから、つまり……。ん?これはつまり。


「えーと、あなたが好きです、を、俺、わたくし、拙者、に対して、言っていると!」


「アホ!アホォ!ドアホォォォォッ!」


関西人にとって「アホ」とは、ある意味では最大級の愛情表現である。相手のことをアホと呼べるほどの深い仲を結べたという裏返しなのだ。この風習はかなり古くから存在し、少なくとも宮川大助と花子が結婚した1976年には既に定着していたといわれている。


「……これ」


そっぽを向きながら、島本が紙袋を差し出した。


「阪急の袋やん」


「袋はどうでもええわっ!ウチももっと可愛いのに入れてくるべきやったと思ってるわっ!……中のアルミ……めくってみて……今日は、何の日やったっけ?」


「え?」


阪急百貨店の紙袋には、黒く四角い箱が入っていた。


「この箱、セリアで買ったやつやな。シールついたまんまやん」


「うっさい!今朝になって袋と入れ物がないことに気づいたんや!家に阪急の袋と100均の箱しかなかったんや!ええから早よ開けて!」


箱を開けると、中には、アルミホイルに包まれたハート型のものが入っていた。


「……もしかして、……」


ようやく、俺は理解した。そして、自分で自分にツッコんだ。鈍感すぎるやろ俺。


「……めくるで?」


「ゆっくり、めくってや。中身壊したら許さへんから」


言われた通りにゆっくりアルミホイルをめくると、中から出てきたものは、予想通りにハート型のチョコレートだった。真ん中には、3つの文字が赤いホイップクリームで書かれていた。


「エ、ロ、本……」


文字をそのまま読むと、島本はニヤニヤ笑った。たぶん最初に話した日、7駅先の本屋で俺の秘密を知った時と同じ顔だ。


「最初はフツーに名前を彫ろ思てんけどな。逆にした方がおもろいかな、って」


「アホかっ!」


すかさずツッコんだ。


「……食べてみて」


「……うん」


あえて文字の部分には触らずに、ほんの端っこの部分をポチっと折って、口に入れた。見かけよりも、ずっとずっと甘かった。


「……クリームって、甘いな」


幼児か俺は(本日2度めのセルフツッコミ)。そして、ものすごく大事なことを言わなければならないと、今、気づいた。


俺、島本のこと、好きだ。


メイドカフェに行った日の夕方に抱いた感情の原因は、それだったのだ。そして、もっと、この人のことを知りたい。


端っこから食べていったチョコレートは、真ん中の「エロ本」の部分だけがごっそりと残っていた。


「あの、これな、……バレンタインやねんな?」


「……………」


俺がチョコレートを食べ始めてから、島本はずっと黙っていた。この状況で無言というのはなんとも恥ずかしいというか照れるというか、間が持たない気がして、言ってみた。


「……来年は、フツーに俺の名前書いてな」


「……うんっ」


よし、言えた。順序がおかしいとは思うが、女の子に告白されるなんて生まれて初めてで、勝手がさっぱりわからない。だが、これだけは今、言わなければならない。


「あの……」


「うんっ」


島本の声が普段より1オクターブ高くなっているように思えた。そういえば俺の声もいつもと違うような気がするのだがそんなことよりも今するべきことは……。


息を思いっきり吸った。そして、一瞬だけ目を閉じた後、目と口を一気にカッと開いて、ついに言った。




「ぼくは、島本さんが、好きです!」




小学生か俺は(本日ラストのセルフツッコミ)。

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