5 銀髪のギタリスト


 壁画の鳥人に見下ろされながら、鍋島とユウはスタジオのあるビルに背を向けて缶コーヒーを飲んだ。

 ユウは背が高いせいか、それともギターを弾いているせいか、たぶんその両方のせいで少し猫背だった。肩にかかるくらいのやや青みががったシルバーアッシュの髪で、スタイルはいわゆるロングマッシュウルフというやつだ。手入れも行き届いていて、よく見るとところどころ紫のメッシュが入れてある。その綺麗な髪から覗く耳には、左右に五つずつのピアスが光っていた。そして、透明感のある肌の女性的な顔立ちの中に見え隠れする剽軽ひょうきんな表情は、まさに大阪人の証だった。


「――信哉のやり方は、俺なんかから言わせると邪道やったよ」

 ユウは言った。

「邪道って?」

「あいつは確かに自分のバンドを持ってたし、俺も何回か一緒にったこともある。せやけど、はっきり言うてたいした腕やなかった。それでも月に一、二回のライヴがやれて、そのときの客の入りが良かったんは、あいつのサイドビジネスのおかげなんや」

「サイドビジネス?」

「分からんのかいな。女や。あいつはとにかくマメやったやろ。OLやら女子大生やら、ときには人妻とかガッツリのおばはんまで、いろんな女と付き合うてた。しかもみんなせっせとあいつに貢ぎよる。まあ、小遣いには困らんかったやろな。ほんでライヴはというと、その女たちが知り合いを何人も連れてどっと押し寄せる。みんな、自分が一番尽くしてるってことを信哉にアピールしてるんや。当然、ライヴは大成功。内容の出来は別としてな」

「なるほどね」

「せやけどみんな、音楽なんか聴いてへん。あいつの顔を見れて、あいつに自分を認識してもらえたらそれで満足やったんや」ユウはコーヒーを飲んだ。「さっきのキーボードのコ、あいつも信哉にご執心やったんやで。信哉が殺されたとき、みんなであいつの追悼集会をやろうって言いだしてさ。俺はアホかって言うてやめさせたよ。だってそうやろう? たいした才能も無いのに、そんなことしてどうするんや。伝説のロッカーとかカリスマラッパーやないんやで」

「まあな」鍋島は小さく笑い、すぐに真顔に戻って言った。「郁代もそういう女の一人やったんかな」

「あんた、なんにも知らんのやな」ユウは鍋島に振り返った。「郁代ちゃんから何も聞いてなかったんか? 信哉とのこと」

「うん、まあ」と鍋島は頭を掻いた。「実は――彼女とはそう深い仲でもないんや。プライベートで会うたこともないし」

「何や。それこそミーハーかいな」

 ユウは鍋島をまじまじと見てにっと笑った。「安心し。郁代ちゃんは信哉とはそんなドロドロ仲したと違うで。そういう意味では、俺は郁代ちゃんが信哉を殺したっていうのがちょっと腑に落ちひんのやけど」

「ほな、どういう仲やったんや?」

「確かに、男女の関係はあったみたいやけど――それも昔の話らしいし。ほら、あの二人はやろ。信哉が毎月出てたライヴハウスと郁代ちゃんの店の『ブルーローズ』は同じビルにあって、しかも二人がそれぞれの店でデビューしたのも同じ時期やったらしいんや。せやから、お互い男と女というよりも同志って意識の方が強かったみたいやで。郁代ちゃんは店が休みのとき、信哉のライヴがあったら観に行ってたみたいやし、信哉も金のあるときは仲間と『ブルーローズ』で飲んでた。俺も信哉と行ったことがあったよ。で、そんなときでも郁代ちゃんはもっぱら信哉に説教するばっかりで、信哉はそれをヘラヘラ笑いながら聞いてるっていうのが、あの二人のパターンやったな。双子の姉と弟とでも言うか。そんな感じや」

 鍋島はユウに好感を持った。いくら身分を隠しているとはいえ、鍋島に対して特に強い警戒心を見せることもなく、しかも鍋島の知りたい点を素早く察知し、分かりやすく的確に話してくれる。頭のいい男だと思った。

 鍋島はジャケットのポケットから煙草を取り出し、ユウに差し出した。「やる?」

「あ、やめとくよ。今練習中やし、歌唄うから」ユウは手を上げて遠慮すると、首を伸ばして周りを見た。「てか、ここら禁煙やろ」

「……そうやった」鍋島は舌打ちすると煙草を戻した。「郁代は彼に金を渡してたみたいやけど」

「ああ、百五十万の話な。ほら、さっきも言うたみたいに信哉が相手にする女はOLとか大学生がほとんどで、小遣い程度の金は持っててライヴにもせっせと顔を出すけど、自由になる大金を持ってるってわけではなかったようなんや。その点、郁代ちゃんは水商売やから、ちょっとはまとまった金を持ってた。信哉のやつ、機材を買うとか言うて、ほんまは競馬と女遊びに使いよったんやけど、郁代ちゃんはそれもあとで誰かに聞いて分かってたみたいやで。開いた口が塞がらへんけど、信哉のヘラヘラした顔見てたら怒る気も失せたって、前にミナミでばったり会うたとき、一緒にメシ食いながらそんなこと言うてたよ」

「せやけど、さすがに二回目の金の無心は断ったんやな」

「そらそうやろ。みすみす遊びに消えてなくなるって分かってる金を、なんで二回も貸す気になる? そこまでの金持ちでもなかったと思うよ、郁代ちゃんも。三十までに五百万貯められたら御の字やて言うてたから」

「あんた、いろいろよう知ってるんやな」

「そう思う?」とユウはまたにっと笑った。「ほんまのこと言うと、あんたには面白くない話かもしれんけど、俺、ちょっと郁代ちゃんのこと好きやったんや。でも俺は郁代ちゃんより四つも年下やし、同い年の信哉のことすら子ども扱いしてたくらいやから、俺なんか全然眼中に無いって感じでさ。俺もそのうち割り切るようになったんや」

「そうやったんか」と鍋島は頷いた。「で、今の一連の話、警察には言うたんか?」

「言うてないよ」とユウは肩をすくめた。

「なんで? あんたも彼女が犯人ってことには疑問を持ってるんやろ?」

 それは持田から聞いていた。坂口郁代が『自分の味方になってくれそうな人物』としてユウの名前を挙げていたのだ。

「……うん。でもニュースで見たけど、他にも郁代ちゃんには不利な状況がいろいろあるんやろ。おまけにアリバイも崩れたって、『ブルーローズ』のママが言うてたし……俺がこんな話したって、決定的な証拠がない限りは相手にされへんのと違うか」

「それはそうやけど、郁代と岡本の関係を知る上では、重要証言なんと違うか。場合によっては、殺害動機の否定にもなり得ると思うけど」

「そうかな」とユウは首を捻った。「……だいたい俺、警察は嫌いなんや」

「誰でもそやろ」

「いや、そういうのとは違ってさ――」

 ユウはぐっと背中を曲げて鍋島の顔を覗き込み、小声で言った。「実は俺、前に一回パクられたことがあるんよ」

「へえ、また何で」

「大麻所持。あ、でも俺、やっても売ってもないんやで。友達に頼み込まれて預かってただけなんや。けど結局、その友達のまた友達が逮捕されて、俺んとこまでサツが来てさ。ま、俺はそういう事情やったから、書類送検だけで済んだけど」

「ふうん。そら災難やったな――って、預かったらあかんのやけど」

「そう。でも友達を売るわけにもさ」ユウは片目をつぶった。「そんときの刑事がキツイやつでさ。麻薬対策課? とかいうとこの刑事やったけど、俺のがこんなんやから、頭ごなしに俺もやってるって決めつけるんや。何時間も取り調べて、頭を小突かれて。その友達が証言してくれへんかったら、俺も書類送検では済んでへんかったと思う」

 ――また本部の刑事か。あちこちででかい顔を出しやがる。鍋島は大きくため息をつき、ユウを見た。

「なあ、その郁代と岡本の話、もし検事の前か法廷で証言してくれって頼んだら、やってもらえるかな」

「ええ?」とユウは驚いて背筋を伸ばした。「む、無理やって。俺の言うことなんか信用してもらえるかいな。それにあんた、どうやったらそんなことできるか、知ってんのか?」

「うん、何とかな」

 鍋島はジャケットの内ポケットから警察バッジを取り出して、ユウに提示した。「ごめん、つい言いそびれたんや」

 ユウは恐る恐るという感じでバッジと写真を覗き込み、鍋島を見た。「……嘘やろ?」

「みんなたいがいそう言うな」

 と鍋島は笑った。そして今度はケースに挟んであった自分の名刺を一枚抜き取り、ユウに差し出した。「あんたがさっき俺のことを坂口さんの男やと勘違いしたとき、やっぱ俺にはそのあたりがお誂え向きなんやなと思たよ」

 はあ、とユウは頷いて名刺に目を落とした。「巡査部長さん」

「な、どうやろ、今の話」

「え、そりゃ刑事さんの頼みやったらもう、喜んで」

「調子ええな」

「あ、でもそういうことを頼んできはるってことは、やっぱり郁代ちゃんは――」

「まだはっきり分からんのや」鍋島は言うとユウの真正面に向き直った。「ええか、このことはしばらく誰にも言わんと、そっちの胸だけに収めといてほしいんや。その名刺で分かると思うけど、俺はこの事件では管轄外の刑事や。あんたが友達の大麻預かってひどい目に遭うたときみたいな本部の刑事が、この事件を洗い直してる俺の邪魔をしてる。あんたの反応を見るまでは素性を明かさへんかったのもそのせいや。せやから、はっきりした確証がつかめるまでは、誰にも喋らんといてくれ。もしほんまに彼女が犯人と違ったら、これはえらいことやろ。間違いなくその刑事が俺を潰しにかかる。そうなったら彼女の一生は台無しや。分かるな?」

 ユウはじっと鍋島を見つめて唾を飲み込んだ。「……うん、分かった」

「いずれまた連絡するよ。そっちの番号、教えてくれるかな」

「それが実は、先週アパートを追い出されたんや。家賃四か月分溜めてもーて……ケータイも手放したし。ほんで今、彼女の部屋に転がり込んでてさ。できたら迷惑かけとうないし、連絡先は堪忍してえな。その代わり、俺、夜はずっとナンバにある『アフター・アワーズ』っていうライヴハウスで働いてるから、そこへ連絡くれたらええよ。昼はたいてい今のスタジオにいるかな」

 ユウはデニムのポケットから今どき珍しい紙製のマッチを取り出して鍋島に渡した。黒地に銀色のアルファベットで『 Jazz Spot After Hours 』と書かれていた。

「ジャズクラブで働いてんのか」鍋島はユウを見た。「ギンギンのロッカーとちゃうの」

「アドリヴのセンスを磨くには、ジャズの方が勉強になることが多いから」

「ふうん」

 分かったのか分からないのか、どちらともつかない返事をして、鍋島はマッチを上着のポケットに押し込んだ。そして腕時計を覗き込んで「十五分過ぎてるな」と言ってユウに振り返ると、

「俺はそっちを信用してる。岡本と違って腕はええし、彼女のええ理解者みたいやから」

 と言って彼の肩を軽く叩き、通りに出た。




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