第九章 打破

1 逃れの街へ


 翌朝、鍋島と芹沢は高槻へ行って田村芙美江を探す前に、今までの経緯を植田課長に報告した。

「――思わぬ方向に展開したもんやな」

 身体を預けた椅子を軋ませながら課長は言った。「その峰尾いう男、なかなかのゲス野郎やったわけか」

「そのゲス野郎から、田村は金を受け取る手はずになっていたようです」芹沢が答えた。

「何の報酬や」

「愛人関係にあったわけですから、強請ゆすりのネタには困らなかったと思いますけど――あるいはかつて内田が彼女にやらせたように、何か自分の手を汚すには危険な仕事を彼女にやらせて、その報酬かも知れません」

「そこがまだはっきりしてないんです。何しろ、田村の消息が掴めてへんのやから」と鍋島。

「その田村を探すのに高槻中央署に捜索依頼を掛け合ってほしいと、そう言うんやな」

「ええ。おそらく彼女は高槻市内に部屋を借りているはずですから、彼女の顔写真と使う可能性のある名前、本籍を載せた手配書を、市内の不動産屋に配布してもらうだけでもいいんです。それだけでもかなり探しやすくなると思うんです」

「おまえらはどうするんや」

「一月に北摂ほくせつ銀行から実家に送金してますから、そこから何か分かるかも知れません。高槻駅前の支店に行ってきます」

「いきなり行って大丈夫か」

「支店長に連絡済みです。当日応対した行員にも話が聞けるよう頼んであります」

「手際がええな」課長は満足そうに頷いた。「他に何か手掛かりは?」

「十一月に引越ししたときの業者を突き止めようと思ってます。坂口はよく憶えていないらしいんですが、大手なら記録が残ってるだろうし、そうでない場合は二人が暮らしてたマンションはもりみやにあって、そこからそう遠く離れてないところに営業所のある会社にあたってみたらあるいは、と考えてます」

「時間はかかるやろうが、まあ引っかかるやろ」

 課長は自分に言い聞かせるように言った。

「それが駄目なら、今度はいよいよ津和野でしょうね」鍋島は低い声で言った。

「佐伯も失踪する前に行ってたんやったな」

「おそらく彼女も田村を探して行ったのに間違いないと思います。まず最初に田村の育った施設をあたったんでしょうね」

「それでこっちも施設をあたろうとしたんですが、この三月に廃園になってました」鍋島の言葉を芹沢が引き継いだ。

「廃園?」

「建物の老朽化が激しく、六年ほど前に大改築をしたそうです。そのときの借金がどうやら最後まで響いた」

「……そんなんばっかりやな」課長はため息をついた。「で、峰尾は岡本殺しのあった一月三十日も、高槻に行って田村に会うてたと、おまえらは確信してるんやな」

「ええ。ですから田村を見付けられればそれが証明されるはずです」

「となると、はたして田村は生きてるのかという心配が出てくるな」

「課長もそう思われますか」芹沢が言った。

「あたりまえや。峰尾はわざわざ部下の内田に口裏を合わせさせて偽証してるんや。いくら腹黒いゲスでも、たかが浮気やその程度の秘密を隠すために無実の人間が殺人犯にされるのを見逃すというのでは、ちょっとバランスがおかしい。言い方がアレやが、殺人に優先する理由はそれもまた殺人やないか」

 そこまで言うと課長は椅子から身を起こして顔を突き出し、声を潜めた。「ただし、このことはまだオフレコや。あまりにも推測が多すぎる」

「分かってます」と鍋島が頷いた。

「死体が出ればやりやすいんですが。酷だけど」と芹沢。

「何を言うてる。ホトケがうちの管内から出るという保証がどこにある?」

 課長はデスク両肘を突き、手を組み合わせて二人を見上げた。「よそに持っていかれる前に、おまえらが見付け出せ」

「……分かりました」

「岡本殺しに首を突っ込んでる以上、失敗は許されへんぞ」

「はい」――鍋島の脳裏に、大牟田の後ろ姿が蘇った。

 そして課長は首を伸ばし、一係のデスクを見た。「係長、島崎、ちょっと」

 高野係長と島崎が立ち上がり、こちらへやってきた。

「このを助けたってくれ」と課長は言った。「田村いう女の写真持って、引越屋をあたってほしいんや」

 高野はすぐに鍋島に振り返った。「写真のコピー作ってくれ」

「分かりました」




「――横領をネタにして内田を自分の駒に取り込んだ時点で、峰尾はいずれやつをアリバイ工作に利用するつもりだったのかな」

 つり革に手首を突っ込んで身体を預け、車窓を流れ去っていくありふれた住宅街を眺めながら芹沢はぼそぼそと言った。二人はJR京都線の快速電車で高槻に向かうところだった。

「そこまで用意周到やったかな」

 ドアの脇に立ち、同じように窓の外を見て鍋島は言った。「もし内田を部下に引き抜いたときに田村を消す計画があったとしたら、俺は、峰尾やったらそれを内田にやらせたと思う」

「そうだな」

「あ、それで思ったんやけど」鍋島は芹沢に振り返った。

「辻野の部屋を荒らしたのは内田だって言いたいんだろ」芹沢は景色を見たまま言った。

「おまえも考えてたか」

「てっきり岡本の方の真犯人ホンボシの仕業と思ってたけど、どうも違うようだな」芹沢はここで鍋島を見た。「さて、その理由は」

「刃渡り十五センチの比較的小ぶりのナイフという凶器と岡本の交友関係から考えると、やつを殺ったのはおそらく女や。けどバルコニーを乗り越えて空き巣に入ったり、辻野を羽交い絞めにしたのは男。おまけにそのとき、辻野に突き付けたナイフはもっと大きな登山ナイフやったって辻野は言うてる。女を脅しに行くのにそんなナイフを使うやつが、男を殺すときには果物ナイフ並みの頼りない包丁っていうんでは、使い方が逆や」

「両者は別人ってわけだ」

「せやから、辻野を脅したのは内田か峰尾――おそらく内田の可能性が出てくる」

「峰尾は佐伯と辻野の部屋を間違えるようなヘタは打たねえ。何しろ、人一人殺っちまってるかも知れねえってくらいのやつだからな。間抜けな脅迫犯は内田だ」

「空き巣が入ったときの内田のアリバイを調べてもええんやけど、辻野はあの前夜は実家に帰ってたからな。はっきりとした犯行時間が分からんことには、結局は無駄や」

「あいつはもう少し泳がせといても構わねえさ。峰尾の犯行が証明されれば、いずれイモヅルだ」

「たった五百万のことで犯罪の片棒を担がされる羽目になったってわけか」

「たった五百万? おまえ大富豪か」芹沢は呆れたように笑った。「俺には言えねえ」

「人生棒に振るには安い金額やていう意味や」鍋島は口を歪めた。「婚約者にも見限られて、アホな男やろ」

 芹沢は肩をすくめた。そして再び窓の外を見ると、通過していく駅舎を見て呟いた。「まだ千里丘せんりおかか」

「考えてみたら、もうすぐゴールデンウィークやな」鍋島は周りの行楽客を見渡して言った。「早くもそんな雰囲気が漂ってる」

「無縁な世界だぜ」

「そうや。俺も昨日が日曜やってこと、辻野に言われるまで気が付か――」

 そこまで言うと鍋島は芹沢に振り返った。「あ、昨夜ゆうべ辻野に会うたか?」

 芹沢は鍋島を一瞥した。「……勝手に人の居場所教えやがって」

「教えたんやない。推測を伝えたまでや。そしたらそれが当たってた」

「彼女、何か言ってたか?」

「何かって?」

「来たんだろ署に。そのとき何か言ってたかって訊いてんだよ」

 鍋島はすっと目を逸らした。「……さあ、別に」

 鍋島のそんな素振りを見て、芹沢はふっと笑った。「なら、おまえが何か言ったんだ」

「何で。辻野がそう言うてたか?」

「いいや」

 今度は芹沢が視線を外し、それを鍋島がじっと見つめる番だった。

「浮いた話には事欠かへんな、おまえはいつも」

「何でもそれで片付けるなよ」

「まあご自由に」そう言うと鍋島は窓に向いた。「ただ、一条のことを忘れんなよ」

「忘れたことなんてねえよ」

 そう即答した芹沢に、鍋島はにたっと笑って振り返った。そのままの表情で芹沢をじっと見上げる。

「……何だよ。気持ち悪りぃな」

「珍しく素直やん」

「俺はいつも素直だよ」

「いやもう面白いくらい真逆やろ」

 鍋島は茶化すようにくっくっと笑って芹沢の顔を指差した。

「うるせえ。指を差すな」

 芹沢は鍋島の手を払うと、乗降口の上部にある案内表示装置の画面を見ながら言った。「……ったく、どっちなんだよ。辻野に煽るようなこと言ったり、俺には釘を刺すようなこと言ったり」

「煽ってなんかないけど」と鍋島はうそぶいた。「おまえが勝手にそう思ってるだけや」

「しらばっくれんな」芹沢は舌打ちした。「とにかく、もう余計なことはするなよ」

「ならおまえもおとなしくしとけ」

 鍋島はふんと鼻を鳴らすとまた窓の外を見た。「――あ、着いた」

 電車が高槻に到着した。二人は話をやめ、ドアが開いて一斉に降りていく乗客の最後尾に並んだ。


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