第5話 暗闇の中で愛を誓う (=神✖プロポーズ✖濡れた枝+ジャンル指定なし)
しなる枝の先から水滴が落ちる。
朝露だ。
陽が昇り始めたばかりで、木々の隙間から零れる日差しは、あまりに美しく虚ろを照らし出して、この世のものとは思えない、それこそエデンのように輝き、瞬く。
『まるで地獄みたい』
この光景を、彼女ならば、そんな風に表現するだろうか。あの皮肉屋な彼女ならば、そう言って笑うのだろう。
彼女はそういう女だった。
そして、僕は、そんな彼女のことが好きだった。
実のところ、僕は、このキャンプの最中に、彼女にプロポーズをするつもりだった。
別段、凝った仕掛けも用意しておらず、どのタイミングで言おうかと戸惑っていたところだ。
ただ、キャンプの最中がいいなと、そう思っていた。
キャンプは、彼女との共通の趣味だった。
僕のキャンプ好きは、大学時代に友人から誘われたことがきっかけで、いつの間にか、友人よりも嵌っていたというよくあるパターン。
1人でもキャンプに赴くほどに隙で、テントと寝袋、それから必要最低限のものを担いで、バイクを転がし、山に入る。
彼女に出会ったのは、とある山奥。人気のない場所に彼女をみつけた。彼女はやけに軽装で、キャンプも初心者だとか。それで、いろいろ教えている内に、一緒にキャンプをするようになった。
そういえば、と僕は、唐突に、キャンプの何がおもしろいのか、という話を思い出す。
何がおもしろいのか、と聞かれて僕は返答に困ったのだけれども、偽りのない静寂と、木々に潜む不穏なざわめきが耳の奥に残って、どうしても忘れられない。
そんなあやふやな答え方をする僕を見て、彼女はおかしそうに笑った。
『死を感じるんだよね』
月のない夜、小枝をくべながら、彼女はそんなことを言って返した。
『なんて言うのかな。この果てしない暗闇に、途方もない量の死を感じるの。光の有無で生と死を論じるなんて、子供じみているけれど、闇に対する原始的な恐怖が、私の生物としての感性に問いかけてくるってことなのかな』
『溢れかえって、今にも押し寄せてきそうな死の中で、小さな燈火だけを頼りに自分の存在を感じる。まるでカンダタになった気分。地獄に落とされた一本の糸に手をかけているような』
『都市には命が溢れかえっている。だから、生きていることが当たり前に思えて、自分の命の形がわからなくなってしまう。だから、こうやって死に触れて、輪郭を浮きだたせてあげることに快感を覚えるのだと、私はそう思う』
彼女の話は感性が強く、僕は、その話を半分ほどしか理解できなかったけれども、この死に関する内容だけは、しっくりときた。
きっと僕の中にも同じ思いがあって、その思いに名前をつけてくれたからだろう。
キャンプは好きだったけれど、いつしか、彼女といる時間も同じくらい好きになっていた。
ずっと一緒にいよう。
照れくさい言葉を胸に抱えて、僕は彼女とキャンプをしていた。彼女は、僕と違って賢いので、もしかしたら、僕の胸の内に気づいていたかもしれない。
それでも、彼女は終始にこやかで、いつも通りだったから、夜の燈火の明かりの中で、プロポーズをしようと決心した。
しかし、僕のプロポーズの言葉を聞くことなく、彼女は消えてしまった。
今思えば、僕がプロポーズしようとしていることに、彼女は気づいていたのだろう。
で、なければ、この選択はあり得ない。
彼女は、初めから自らの命を愛でていたわけではなく、死に焦がれていたのだ。
死への渇望、偏執。
彼女の歪んだ愛情に、僕はずっと前から気づいていたはずだった。だから、プロポーズをしようと、彼女の生への
けれども、彼女は、それを望まなかった。
しなる枝の先から水滴が落ちる。
光の粒が朝を彩る。
冷えた風が木々を揺らし、森に住むすべての命に朝の到来を告げる。対照的に、虚ろを抜ける風には、ココアの香りが混じっていて、天国にもココアがあればいいのにな、と僕は小さく笑う。
「いや、地獄の方かな」
僕は、ベルトを外して、蜘蛛の糸の話を思い出す。確か、あの糸で助かるのは一人だけだったはず。だとしたら、僕達には関係ない。
ずっと一緒にいよう。
次に彼女に会ったら、そう告げる予定なのだから。
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