まぐ
そろそろと音がする。
重晴が目を覚ますと、褥の隅に誰かいる。
「誰か」
「私です、重晴様」
比丸である。何を食っていたのか、口の周りが涎でいっぱいである。
「おお、比丸。そなた体はもう良いのか」
「ええ。重晴様の温かい御心のおかげです」
比丸の瞳がきらり光ったかと思うと、やにわに重晴の布団をめくり、白い身体を這い忍ばせた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「これ、これ、比丸。何をする」
「ああ、重晴様……」
重晴は背筋を震わせる。こうなることを望んだはずである。やつれたとはいえ、比丸の顔はなお美しい。互いに寝間着の冷たい肌をぴったり寄せて絡み合い、かわいい唇から漏れる吐息が、脂ぎった老骨をいきり立たせる。
そうしたかったはずである。なのに、重晴は怯えている。比丸の目の光。間近に寄せる喜悦の顔。不自然である。
「重晴様。一つ、お聞かせ願いとうございます」
「なんじゃ」
「×××(鞠大名の本名)様にお嫁を紹介されたのは、あなた様だそうですね」
重晴は急に質問に面食らいながら、どうせ知られる事だからと、比丸の瞳を見据えて真っすぐに頷いた。
「そうですよね。それはひょっとして、あなた自身のためではないですか」
「なに、そなたの」
「私をあの人から引き離して、己がモノにしてしまおうと……」
「比丸よ」
重晴はすでに肚を決めていた。
「わしを浅ましいと思えば思え。だがそなたがいくら憧れようと、あの男はそなたの心に応えはせぬ。手荒と知りながら、そなたを無間の闇より救うには、この手立てしかなかったのだ」
「わかっております。わかっております。あなたは私とこうしたかったのですね」
比丸の指が悪戯をする。
「おお、これ、これ」
重晴の帯を緩めている。
「……あの人も今頃は、女を相手に同じことをされているのでしょうねえ」
はだけた腰に、比丸の顔が沈む。
ぎゃ、あ。
「重晴様!?」
家来たちが駆け付けた時、重晴は口の端から泡を吹き、目玉をひっくり返してのたうち回りながらうわ言を呟いていた。半裸の寝間着の裾からは血が垂れている。
「ころまるが……ころまるが……」
指さす先には点々と垂れた血の滴。褥を出て、屋敷の外へ向かっている。
手当の者を残し、急ぎ血の跡を追おうとした家来は、畳に転がる奇妙な物に目を取られた。
半分食いかけの、鞠であった。
「まいります。いまそちらへ参ります……」
幼い裸足でてってと走る。夜道も月も知ることか。牙を血に染め瞳を魔に染め、妖と化した比丸は鞠大名の屋敷へ向かう。
愛しい人のたまを喰らいに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます