にたにた
「別に大した意味はありませんよ。野球ボールなんだから、ちょっと投げてみただけです」
そうですか、と老人は目で笑って自分のカップにコーヒーを注ぐと、同じテーブルの僕と下野の間に席を占めた。
「あたしからの贈り物が気に食わなかったわけじゃあないんですね?」
「ええ。相変わらず美味しいですよ。ボールも、このコーヒーも」
「サンドイッチはどうです」
店の奥まで素早く目を走らせたが、古本の姿は見当たらない。ウォンは背中で聞き耳を立てながら自分で入れたグラスを傾け、下野はテーブルの隅でコロコロとバスケットボールを転がして遊んでいる。ひとまず外野は無視することにしよう。
「ウィッチです。薫ちゃんが作ってくれるのはサンドウィッチ。彼女はその発音にも拘るんです。もしかしたら魔女のウィッチと引っかけてるのかもしれませんが、それはともかく、美味しいです。ちゃんとした食べ方を心得ればね」
「それはよかった。よかった」
老人は猿みたいに手を叩いた。その仕草の一々が、こちらをおちょくっているように思えてならない。
「あんたが薫と仲良くしてくれて、あたしも嬉しいんですよ。あたしが薫の親類だということは知っていますね?」
「ええ。かつてのあなたに関する話は一通り聞きました」
「それはそれは。薫はあんたを随分と信頼しているようですねぇ。いや、いつか言っていた愛の力とやら、いいですね。スゴくいいですよ。羨ましいことです。ま、あんたの方では嘘をついてるわけですが」
薫。薫。と気安くその名を連呼するな。わかっている。僕の毛先や皮膚はさぞ明確に、苛立ちの形相を老人に伝えているのだろうよ。
「よくもまァ、今までバレずに済んだものです。……うん? まさかバレてはいないでしょうね? そうだとしたら無事でいられるわけはないから、まあバレていないんでしょうが。とにかく頑張りましたねぇ。よくぞたまっころの食欲を堪えましたねぇ」
「愛の力ですよ」
苛立ちは声にも出た。
直後、老人の弾けるような歓喜の声が轟いた。
「なるほど、なるほど! あんたも食欲は十分ってわけですな。ねえ、正直に言いなさいな。あんたが食べたいというのは、もはや野球ボールじゃあない。半分食べただけで止められるぐらいですからね。あんたは本当は、薫を……人間を、食べたくなってきたんじゃあないですか?」
それを言わせたかったのか。
老人の勝ち誇った笑みの向こうで、下野が遊ぶ手を止めてこっちを見ていた。大して感情のこもっていない、他人の事だが一応は話を聞いておこうという目つき。
――そうだ。僕は人食いの成りかけだ。
と、思わず言ってしまいたくなったが、臍に力を込めて、視線を老人の梟眼に向ける。
「さっきからあなたばかり質問攻めですね。たまには僕の方からも質問させてください」
「ほう? ……どうぞ」
「そうですね……じゃあ、まず一つ尋ねます。あなたが薫の祖母夫婦の隣に暮らしていた頃、お屋敷の中に誰を匿っていたんです?」
老人の表情が固まった。下野は訳の分からぬ顔をしている。ザマァミロ。
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