いとし
食とは恥である。唇の隙間からモノを取り入れ、口内で咀嚼し、喉を通じて肉体の一部へ取り込んでいく。その有様を他人にじっくりと観察されるのは、誰であれ多少の羞恥を感じるはずである。
しかし、下野にそんな事を感じる余裕はなかった。スカートが汚れるのも構わずアスファルトの上に座り込み、愛しい愛しいバスケットボールを膝に抱いて、無心でぺしゃぺしゃと頬張っている。それも恋人か赤ん坊へ頬ずりをするように、潤んだ瞳に歓喜を湛え、じっとりと涎に塗れた舌でボールの表面を舐りながら食すのだ。あたりの人々が足を止めて怪奇に見入るのも仕方ない。同族である僕と古本でさえ、近づいて声をかけるのが躊躇われてしまうほどの妖怪ぶりだった。
「おい、どうする」
傍らの古本が小声でささやいた。彼もまたたまっころだが、下野の食事を見るのは初めてだからか、困惑と興奮の入り混じった目つきをしている。実際、その光景は見方によっては官能的とも言えた。だが今の僕らに、こんな事で止まっている暇はない。
ここは僕が冷静にならざるを得ない。何故こんなところにボールがあるのだ? 自然にあるわけがない。偶然でもない。
これはきっと、掃除屋の罠だ。民衆の中に紛れこんだたまっころを炙り出すための。
「下野さんを止めよう、あいつらに狙われる」
「よし来た。おいお前、やめろ!」
古本が叫んで下野へ駆け寄ろうとしたその時、坂の上にスーツ姿の人物が現れた。夕暮れの逆行を浴びて顔は見えないが、そのシルエットは帽子を被った女性のように見えた。きっとこいつが掃除屋だ。一人のようだが。
「珊悟君、そいつから離れて!」
聞き覚えのあるその声を、叫んだのは誰だ。
もしかして。
「か……薫ちゃん?」
「生駒先輩!」
掃除屋の格好で現れたのは、行方不明になっていた薫だった。普段はロングスカ-トを愛用し、ふんわりした格好が多い薫のパンツルックは新鮮であり、夕陽を背負った構図もあって大人びて見えた。けれども彼女の帽子から伸びた長い髪は薫の柔らかく大らかな心根を常と変わりなく表しており、男性的な服装でありながら女としての魅力がより際立ち、それでいてスタンガンを構える指先は凛として美しく。
「先輩、どこ行ってたんすか!」
古本が突進の矛先を薫に変えた。主を見つけた犬のようだ。
馬鹿め。無粋者め。お前なんかが気安く薫に駆け寄るな。
「近づかないで、妖怪!」
薫の苛烈な一声とともに飛び出した電撃で、再び古本は地に伏した。見事だ、薫。
けれど、これはどういう事だ?
「珊悟君、こっちに来て。そいつはたまっころと言う妖怪なの」
僕もたまっころなのだが……。
「私が守ってあげる。さあ、急いで」
薫は気付いていない。
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