めらめら
飛んできた鞠を受け、じんと余韻に浸る牛引きの童。牛引きが止まれば牛も止まる。牛が止まれば牛車も止まる。不審に思った牛車の主が、御簾の奥から声をかける。
「これ、
「重晴さま、申し訳ございません。空からこのようなものが……」
と、童の比丸が鞠を掲げれば、御簾をそっと開いて覗いたのは高貴な身形の老人。このあたりでは名の知れた権力者に相応しく、老いてしなびた顔の中に、ギラリと鋭い双眸の持ち主である。
「鞠ではないか。どこで拾った」
「空から降ってきたのでございます」
「ホホウ……? おお、ははあ、すぐそこは鞠大名の屋敷ではないか。さてはそこから飛んできたものであろう。……はて、鞠を空まで飛ばすとは不可解なことじゃが……」
「重晴さま。この鞠、いかがいたしましょうか」
「拾うたからには捨て置くわけにもいくまい。どうせ急ぐ用もないのじゃ。届けるついでに、久方ぶりに鞠大名のぼんやり顔でも拝んでやろうかの」
「はいっ!」
比丸は鞠を片手に抱いて、しずしずと牛を歩かせ始めた。比丸は鞠大名の名を知ってはいたが会うのは初めてであった。主人の遠縁にあたり、大した仕事も出来はしないが蹴鞠だけは達者な男。
あんなに高く鞠を蹴飛ばすなんて、凄い人だ。
表向きは平静を装いながら、比丸の瞳はキラキラ輝いて、胸は熱くときめいていた。
さて、そんな比丸の様子を面白く思わぬ者が一人。外ならぬ主人の重晴である。老いてなお脂ぎったこの貴族は、美貌の比丸を心中深く愛でていた。これまで色も知らずにいた幼い比丸が、なにやら浮かれておる。政も恋も嗜んできた重晴にはそれがわかるのである。しかしいったい、比丸が何のために浮かれているのか、そこまでは見通せずにいた。たかが往来で鞠を拾った程度で、鞠大名の元へ届けてやると言っただけで、なぜあんなにも声が弾むのか。
よもや、あのボンクラの鞠大名。主人の知らぬ密かの間に、愛しい比丸にちょっかいをかけていたのではないか。いや待てハテ、あ奴と比丸を会わせたことはないはずじゃが……。
ぐるぐる回る迷妄と、牛車の車輪の同じこと。鞠大名の屋敷について、出た。
出たとき重晴の心情は、ますます盛る焔であった。
危惧したことは真でなかった。されど、真になりかけていた。鞠を屋敷の外へ飛ばすなど不調法だと説教し、またついでに己が疑惑を確かめようと、比丸を連れて鞠大名と直に会ったのがいけなかった。
「雅ではないかもしれませんが、あんなに高く鞠を蹴飛ばせるのは、三国においてもただ一人ではないかと存じます」
普段は控えめな比丸が、身を乗り出して吐いた熱い言葉。満更でもない鞠大名の間延び顔。
燃える。燃える。重晴は鞠ごときに燃えていた。
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