ぱちぱち

「おいしそうですねぇ」

 下野は低い声で囁きながら身を乗り出してきた。黒目がきゅっと絞られてヘビのようになっていた。

「あのう、食べますか」

「いただいてもいいんですか」

 嬉しそうにニタリと開いた唇の中に、牙が見えた。背筋から尻にかけてムズムズと悪寒が走る。

「はぁ、あなたはバスケットボール以外も食べられるんですか」

「そうですねえ。食べられると思います。食べたいです。たぶん、バスボがメインで、こっちはデザートみたいなものだと思います。別腹です」

「それじゃあ、どうぞ」

「わあ、ありがとうございます! いただきます」

 笑った唇がボールに食らいついた。

 バリ、バリ、ボリ、ボリ。

 僕はその様子から目を離すことが出来なかった。真っ暗な倉庫の中でバスケットボールを食べている姿にも驚いたが、この明るい室内で、座卓を挟んだ目の前での食いっぷりは、見事としか言いようがなかった。美味しそうにものを食べる女の子は魅力的だとよく言うが、これはまた、格別に凄かった。

「――ごちそうさまでしたっ」

 口の端をぺろりと舐めた下野は、これまでで一番の笑顔だった。

「土が付いた跡って、意外と甘いんですね」

「そうですか。いや、どうも」

 どうもこの少女と一緒にいると、こちらのペースが乱されてしょうがない。自分が初めてボールを食べた時にはこんなに動揺しなかったのに、目の前で他人にやられると改めて異常だと思い知らされる。それも、僕より三つか四つも年若い少女が、僕以上に進んだ事をしているのだ。

 幸い下野は上機嫌のようだし、もうさっさと帰してしまおうか。そう思った矢先、そもそも彼女を連れてきた理由を思い出した。

「それで、大切なのはこれからの事です」

 僕は背筋をシャンと伸ばし、尻を締めて、声だけは威厳を取り繕った。下野は両手で湯呑を持ちながら、神妙に僕の話を聞いていた。

「今のところ警察沙汰になっていないのは良いことです。でも、学校が注意を呼び掛けて、それでもなおボールが減っていたら、いずれ大きな問題になります。いや、僕らはもう、それぞれ既にボールを持ち出している。明日には警察が出てくるかもしれません」

「坂本さんの指紋なら心配ありませんよ」

 下野は得意げに唇を歪ませた。

「私、倉庫に忍び込むとき、シャツの裾でドアの取っ手をゴシゴシしときましたから」

「そ、それはどうも。いや、大事なのはそんな問題ではないのです。上手いこと犯人が僕らだとバレなかったとしても、警備はより厳重になります。あなたの持っている鍵も取り上げられるかもしれません。そうなると、あの倉庫からボールを盗み出すのはもう不可能ということになってしまいます」

「そう……ですね。あっ、そうです! どうしましょう。大変です」

「そうですよ」

 目蓋をぱちぱちさせる下野を見て、僕はやっと主導権を取り返した気がした。

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