第54話side:彼の事情2



 それは、クリュセルドの婚姻が1週間後に迫った、ある日のことだった。


 演習場での訓練が終わり、官舎の自室に戻ろうとしていると、1人の騎士見習いがライゼルの方へと駆け寄った。


「ライゼル様、お届け物です」

「私に?」


 差し出された封筒を受け取って、ライゼルは眉根を寄せる。

 手紙自体は別に珍しくもない。だが、なぜライゼル宛ての郵便物が、見習いの手にあるのか。


 訝しく思っていると、見習いは困ったように肩をすくめた。


「先ほど詰所の入り口で、女性に『これをライゼル・ロッソ様に渡してほしい』と頼まれたんです。断ったんですけど、押し付けられちゃいまして」

「女性が……? それは、迷惑をかけたな」

「いや、迷惑なんかじゃないです。ちょっとびっくりしましたけど。それより、ラブレターですか。いいなあ」


 見習いは興味を抑えきれないようで、期待に満ちた眼でライゼルの持つ封筒を見つめた。

 ライゼルも受け取った封筒に目を向け、それから困ったように笑ってみせた。


「さあね。部屋に戻って、こっそり中身を検めるとするよ」

「なんだ、ここで読めばいいのに」

「勘弁してくれ。そんな真似、恥ずかしくてできるわけないだろう」


 冗談ぽく返すと、見習いは不満げに口をへの字に曲げた。——が、すぐに幼さの残る顔をにんまりとさせる。


「手紙の主は、なかなかの美人でしたよ。何か進展があったら、教えてくださいね」

「そうだな。もし美女と密会することになったら、お前に相談させてもらうとしよう」


 手を振って、今度こそライゼルは部屋へと向かった。


 途中、2人の騎士とすれ違った。騎士たちは、ライゼルが横を通ると会話をぱたりと止め、蔑むような視線を彼に送った。

 彼らは確か、貴族組だったか。

 あからさまな敵意に既に慣れ切っていたライゼルは、視線に気づかぬふりをして、その横を通り抜けた。


 ——ラブレター、か。


 送り主の記載がない、真白い封筒にライゼルは目を落とす。

 女性から手紙を受けとるのは初めてではない。むしろ、よくあることだった。

 手紙だけでなく、直接彼の元に押しかけて、愛を告白する女性もいた。こっそりと近づき、一夜の火遊びを持ちかけてくるご婦人もいた。

 だが、どんな美女に迫られようと、今は色恋に現を抜かすつもりなど毛頭なかった。


 もうすぐ、次期騎士団長の選定が行われる。その候補者の中には、彼の師がいる。

 師は、瓦解しかかった騎士団を再び立て直すつもりだ。そうなれば、8年前、騎士団の手によって隠された真実が日の目を見ることだって、あるかもしれない。

 そのためにも、今は何かの火種になるような行いはすべきではない。



 部屋について、一応は封筒を開けてみた。中の便箋には、とてもシンプルな文章が書かれていた。


『愛しい娘を守りたくば、我々の指示に従え。今夜、王都のサファ通りで待つ』


「……なんだ、これは」


 呆れるあまり、つい声が出てしまった。

 随分と幼稚な文言が羅列している。封筒の中身は、ラブレターではなく陳腐ないたずらだった。


 愛しい娘、という文字を読んで、すぐさま脳裏にセレニアの顔が浮かんだ。

 昔から、ライゼルとセレニアの仲を勘ぐる人間は後を絶たない。


 セレニアは華やかな催しに顔を出すことを好まない。それ故に社交界ではあまり目立たぬ存在だったが、適齢期になり時たまパーティーに参加するようになると、美しい公爵家令嬢の噂はたちどころに広まった。

 それと同時に、ライゼルの噂も影で囁かれるようになった。

 剣豪の養子であることを理由に、ヴラージュ家兄妹と親しくしている庶民生まれの騎士。あの男はセレニアを手篭めにして、卑しい身でありながら貴族社会に参入するつもりなのだ、とか。実はライゼルは亡くなったヴラージュ公爵の庶子で、ゆくゆくは公爵家を乗っ取るつもりでいるのだ、とか。

 噂の内容は、聞くに耐えない稚拙で邪推に満ちたものばかりだった。


 師が次期騎士団長の候補となり、クリュセルドが辺境貴族の娘と婚姻することが知れ渡ると、どうしてかライゼルへの猜疑を深める人間は更に増えた。


 公爵の婚姻は、明らかにライゼル・ロッソを意識してのものだ。公爵はお気に入りの平民騎士をヴラージュ家に引き入れやすいように、わざと家柄の低い女を選んだのだ、とわざわざライゼルに向かって主張してくる者までいた。


 ——そんなわけないだろうに。


 無茶な主張に、ライゼルは侮蔑と自嘲を禁じ得なかった。


 自分が年の離れた妹のような少女に、いつからか不相応な想いを抱くようになっていたことは事実だ。だが、この恋を成就させようという気など微塵もない。

 もともとライゼルとヴラージュ兄妹とでは、住む世界がまるで違う。それなのに、彼らの側にいられること自体が不相応な幸福だった。だから、これ以上のものを望もうなどとは思わない。

 ……それにライゼルには、かつてセレニアを傷つけた過去がある。

 

 この手紙も、ライゼルの立場をやっかんだ誰かのいたずらだろう。子供に書かせたような脅迫で、ライゼルが動揺するとでも思ったのだろうか。わざわざ女性を使って手紙を届けさせるなど、趣味の悪いことをする。


 1つため息をついて、ライゼルは丸めた手紙を屑かごに投げ入れた。









「あの、ライゼル様。お届け物が……」


 翌日、武具の手入れをしていると、昨日の見習いが気まずそうに歩み寄ってきた。彼の手には、封筒ではなく、白い包装紙に包まれた小箱らしきものがおさまっていた。


「……またか」


 小箱の正体を察してため息をつくと、見習いは小さく頷いた。


「昨日の女性でした。これで最後にするから、どうしてもこの箱を渡してほしいと押し切られちゃって。それじゃあ困るから、せめて名前を控えさせてくれとお願いしたんですけど……。箱だけ置いて、逃げられちゃいました」

「気味が悪いな」

「ええ、ちょっと」


 思わず漏れた本音に、見習いも強く同意する。そしてこんなものさっさと手放したいと言わんばかりに、小箱をライゼルに押し付けた。


「ちょっと怖かったです。渡さなければ絶対に後悔する、なんて言われて。モテるというのもなかなか大変ですね」

「残念ながら、昨日の手紙は恋文ではなくてね。今日のこれも、一体何が入っているのやら」

「ええっ。なら、早く捨てちゃったほうがいいですよ。僕が処分してきましょうか」

「……ふむ」


 ライゼルは渡された小箱をしばらく眺めたあと、その場で包みを開けた。

 くだらないいたずらなど見習いに任せてしまってもよかったが、中には脅迫者もどきの痕跡が残っているかもしれない。確かめるくらいはしておいた方がいいだろうと考えたのだ。

 包装紙を剥がすと、手のひらに乗る程度の、飾り気のない小さな箱が現れた。重さは大してなく、危険物というわけではなさそうだ。


 何の抵抗もなく蓋が開かれる。まず、白い紙が目に入った。紙きれには、“これが最後。1人で来るように”とだけ書かれていた。


 しつこい。本当に自分を呼びつけたいならば、もっと別な方法があるだろうに。

 愚かな誘い文句に少々苛つきながら、ライゼルは紙の下に何かが詰められていることに気がついた。

 何の気なしに、紙切れを取り払う。


 動かぬ小鳥が一羽、詰められていた。

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