第50話その後4



「……納得できません」


 私が言うと、アージュさんは「なんだよ物分かりが悪いな」とでも言いたげに眉を顰めた。


「だって、おかしいでしょう! 小ホールでの会話を最後まで聞いていなかったから歴史が変わったって言いますけれど、あんなの、その場のちょっとした気の変化じゃないですか」

「いやいや。普段の貴女だったら、まず部屋の中に突撃したでしょう。貴女が冷静になったこと自体が、すでにおかしかったんです」

「そんなことを言われても……」


 私だって、冷静になれるときはある。

 いつだって感情を丸出しにして転げ回っているわけではないのだ。そういうことは、5歳くらいで卒業した。


 了承しかねて憮然としていると、アージュさんは顎をさすりながら訊ねてきた。


「カトレアさん。どうして自分が冷静になれたか、覚えていますか」

「どうして、って言われても、そんな細かいこといちいち覚えていません」

「何か気になったことは? お腹が減っていたとか、お腹を壊していたとか、お腹が痒かったとか」

「どうしてお腹縛りなんですか。私のお腹はそう簡単に壊れ——」


 言いかけながら、私はふと思い出す。あのとき、別にお腹なんて痛くなかったけれど。確かに、お腹が窮屈な感覚はあった。あれは、そう……


「ドレスがきつくて……殴り込みはやめようって思った気がする……」


 あのウェディングドレス、上半身をぎゅうぎゅう締め付けてきて、動くのも呼吸するのもちょっときつかった。だからあまり派手に動き回れなくて、自然と気持ちも押さえ込まれていたのを覚えている。


「なるほど」


 アージュさんは独りごち、うんうん頷く。置き去りにされたまま勝手に納得されて、私の方はちょっと気分が悪い。


「何がなるほど、なんですか」

「観測者は、人間の感情や思考を映像から推察することはできますが、実際に読み取ることはできません。ですから、観測局内でも、なぜ常日頃、矢のように飛び回る貴女が、あの瞬間だけ冷静になれたのかをずっと皆で議論していました。……が、ようやく答えがわかった」


 アージュさんが言葉を切ると共に、壁にまた光景が広がる。でも、今度は結婚式の様子じゃなかった。



 見慣れた天井。見慣れた床。見慣れた壁の凹み。……あれ、私が子供のころに蹴りつけて作った凹みだ。

 映し出されたのは、私が生まれてからずっと過ごしてきた、バルトの屋敷。そしてその部屋の中心では、私と父様、モル兄様、エド兄様が夕食を囲んでいる。

 

「レア、お前そんなにガツガツ食べていいのかぁ? 来週には結婚式だろう」

「大丈夫です、代謝と体型には自信ありますから。それより、嫁いだらこういうがっつり系の肉料理は滅多に食べられなくなるでしょ? 今のうちに食べ貯めておかないと」

「まあその気持ちは分かるが。王都周辺の飯はお上品すぎて食った気がしないからなぁ」

「モル兄さん、そこで納得するなよ。レアがつけあがるぞ」



 ……ああ、覚えている。結婚式の前に、当日は参加できないからって上の兄様2人が実家に急遽戻ってきてくれた日の光景だ。

 これ、どこかのループ途中でも、走馬灯的なかんじで見たな。


 モル兄様は、お金がないからって、お祝いに猪を仕留めて持ってきてくれた。エド兄様は、お金が勿体ないからって、『ピンチのときに助けてくれる券』を3枚くれた。


 いや、そんなことより。


「アージュさん。どうしてこんな私の家族団欒を見せつけてくるんですか?」

「わかっているでしょう。これがおそらく、貴女が冷静になった原因だからです」

「原因って……」


 壁には、お肉をモリモリ咀嚼する私の姿。無言でいると、何かを伝えようとするように、肉の部分が拡大された。

 ……。


「あ……あああ……」

「お肉、美味しかったんでしょうね。そして貴女は、本来の歴史を逸脱して、より多くのお肉をお腹の中に収めた。普通、結婚式直前になったら、体型を気にして食事を控える女性が多いのに」


 全身の力が抜けて、私は床に両手をつく。

 もう、考えることを放棄したかった。自分の脳の働きを全て停止させたかった。


 しょうもない。これはしょうもなさ過ぎる。


 打ちひしがれる私を更に鞭打つがごとく、アージュさんは熱を込めて叫んだ。


「カトレアさん、真実から逃げてはいけません! 貴女は式の1週間前に、猪肉を食い溜めだと貪って、その体の体積を増やした! そしてジャストサイズで購入したはずのウェディングドレスが、当日はきつすぎてろくに動けなくなり、平時ではあり得ないような冷静さを手に入れた! その結果、旦那さんの本心を聞くことなく、旦那さんを誤解したまま夜を迎え、あんな相手は絶対嫌だと部屋で大暴れ! 貴女に愛の告白をしようとしていた旦那さんはそれを聞いてショックを受け、貴女と顔を合わせることなく図書室へ引きこもる! こうして、貴女を殺害することが可能な条件が、整ってしまったのです!

 ……そう、猪のせいで!」

「やめて!」

「ぎゃうっ」


 それ以上聞きたくなくて、アージュさんの足を掴むと、アージュさんはいとも簡単に背中からすっ転んだ。

 申し訳なかったけど、彼を気遣う余裕はなかった。


 本来なら、難なく手に入れられるはずだった相思相愛の新婚生活。

 それが……それが、こんなくだらな過ぎる理由で殺伐とした夜に変貌しただなんて、信じたくない。


「やっぱりおかしいです! つまり、お肉を食べたり、小ホールの中に突撃したことが本来の歴史ではあり得ないイツダツコウイって言いたいんでしょう。なら、そこでループが起きるべきじゃないですか!」


 何度もばんばか殺されるループより、お肉を食べたり食べなかったり、腹の立つ人たちを蹴ったり蹴らなかったりするループの方が、何倍もマシだったのに。


「れ、歴史の、寛容力です……」


 幾分か勢いを失って、アージュさんは答える。

 彼は後頭部と背中を摩りながら、よろよろと上半身だけを起こした。


「それら逸脱行為は、歴史の寛容力によって、見逃されたのです」

「でも、そのせいでループが……」

「歴史は、例え貴女が旦那さんへの誤解を抱えたまま夜を迎えても、その夜起きるべき出来事は達成可能と判断したのでしょう。だから、この夜にループが発生した。

まあ、その判断は大きな誤りだったと言わざるを得ませんが」

「……」


 あいたたた、とこれ見よがしにアージュさんは声をあげつつ立ち上がる。そして、私を憐れむように見下ろした。


「本来なら、貴女は旦那さんと夫婦らしい時間を過ごし、新たな命を授かるはずだった。しかし逸脱行為と偶然が重なり合い、貴女は旦那さんとすれ違ったまま、暗殺計画に巻き込まれる羽目となった。

 それでも、歴史は信じたのでしょう。貴女がいつか旦那さんへの誤解を解き、彼に歩み寄る時が訪れるだろうと。そして貴女は、なんとか最後のループで歴史通りに行動することができた。……多少無駄というか、オプション的な逸脱行為を更に行なっていますが。それらは、寛容されているのでまあノーカンということで」

「うう……。じゃあ、本当に私のあの死闘は……」

「……本来の歴史的には、あまり意味はなかったということになりますね」

「……」

「まあ、こちらとしては無駄にハラハラさせられたという感は拭えませんが、貴女はこの厳しい条件下でよく頑張りました。事情を知る側から見ても、このループ達成条件は、非常に難度が高かったと思います。……難しくしたのは、貴女自身ですが」


 もう、アージュさんに慰められても全く心に響かなかった。


 何十回と繰り返してきた、あの戦いが。あの痛みが。あの怒りと涙が、全部、ループを抜けるのに、必要なかった?


 私は本来なら殺されるはずのない人間で、犯人探しすら必要なかった?

 どうして。どうして、こんな大変なことになったの。


「あの人も……。こんなことなら、パーティーで口にした言葉は、全部本心じゃなくて。しかもきっちり訂正したって、言ってくれればよかったのに」


 そうしたら、もっと早くに誤解やわだかまりが無くなっていたかもしれないのに。


 つい誰かの責任を探したくなって、そう呟く。私の言葉に、アージュさんは軽い調子で頷いた。


「ああ、そうですね。今回のループは、貴女の旦那さんの分かりにくい態度と、誤解されやすい発言も大きな原因であると思います。

 一応、あの小ホールでのやりとりには続きがあるって、彼もループ中に言いかけているのですが……。変な責任感のせいで、言い訳しないで黙っちゃったみたいなんですよね」

「……え?」

「ほら、貴女に告白する直前のことですよ」


 さらさら得意げに語るアージュさん。けれど、その言葉は聞き捨てならなかった。

 この人やけに私の身に起こったことに詳しいな、でも観測者ってそういうものなのかなって思っていたけれど、ちょっと看過できなくなってきた。


「全部、見ていたんですか」

「え?」

「アージュさん、さっきからその口ぶり……もしかして人のプライベート、全部見ていたんですか!」

「……見ていません!」


 怒気を込めた私の問いかけに対し、即座に叫んでアージュさんは股下をガードする。……まだ、こちらは何も構えていないのに。

 その仕草を私が凝視すると、彼もこれでは説得力が落ちると思ったのか、「この場面は見てました!」といらない自白をした。


「観測者にも倫理規程がありまして、行きすぎた観測は行われません。本当です!」

「でも、告白って言いましたよね。そ、そういう場面、見ていたってことですよね」

「だって、あんな唐突に始まるなんて思っていなかったものですから……。カトレアさんだって、いきなり告白されて驚いていたでしょう! 我々も驚いて気まずくなりました!」

「な、な、な……」


 アージュさんがザクザクと不要な墓穴を掘っていく。つまり見ていたってことじゃない。


 私が恥ずかしさに体を震わせながら立ち上がると、アージュさんは何がそんなに怖いのか、何度もぺこぺこ頭を下げた。


「すみません、認めます。あの告白は一部始終見ていました。でも誓って、過剰な観測は行っておりません」

「……」

「ほんと謝りますので許してください。その代わり、ループに関する疑問にはお答えしますので」

「……じゃあ、事件の真相は」

「はい?」


 怯えた顔のまま、アージュさんは首を傾げる。


「あの暗殺者たちの目的や正体、黒幕がいるのかいないのか、全部教えてくれたら許してあげます。洗いざらい、話してください!」

「それは、無理です」

「無理ですって?」


 凄みをきかせて聞き返す。

 アージュさんはそれだけで、薄い体をびくつかせ、私から距離を取ろうと壁際まで後ずさった。


「私がお話しできるのは、ループの原因だけです。貴女に必要以上の情報を与えたら、それこそ歴史への過干渉になってしまいます」

「十分過干渉じゃないですか。人のプライベートを出歯亀しておいて!」

「出歯亀って……うわ、失礼な人だな」

 

 ぶつぶつ何か聞こえるけれど、睨みつけるとその声も止まった。


 ここまできたのだ。過干渉だかなんだか知らないけれど、出歯亀されたぶんを取りもどすためにも、アージュさんの口を割らせてやる。

 そんな決意とともにアージュさんへと距離を詰めようとすると、彼はおもむろに指を弾いた。

 すると、私の背側にあったはずの扉が、アージュさんの背後の壁に突然現れた。


「あっ、ずるい!」

「んもぅ、これ以上貴女と一緒にいたら、必要以上のことを喋らせられかねませんので、今日はこれで終わりです! とにかく、ループの詳細についてはお伝えしましたから、今後は気をつけて下さいよ! それと、ループに関する情報は一切口外禁止です。先ほどの契約書にも、情報守秘についての項目がありますからね!」

「喋るなって……。そんなの、無理があります! そうしたら、私がどうやってイネスの正体を見破ったり、暗殺計画の詳細を看破できたのか説明できなくなるじゃないですか」

「貴女なら“野生の勘”とか“なんとなく”でも通用するでしょう。適当に誤魔化してください」

「適当にって、そんな簡単に誤魔化せるわけ」

「じゃ、これで! 二度とお会いしないことを願いますよ!」


 私が不平を口にする間に、アージュさんはドアノブに手をかける。

 扉の外に消えゆく彼の姿を追いかけようと、私も慌てて床を蹴った。


「逃すか!」


 ドン!


 突然、顔面に衝撃が走る。

 全身を打ち付けられ、私は後ろに仰け反り尻餅をついた。


「い、いたぁ……」

「レア……。お前、何やってんだ」

「へ?」


 潰れた鼻をおさえながら、声のする方を向く。そこには、呆れたようなトリス兄様の顔があった。


「あれ、ここは……」


 周囲を見回すと、白い壁はどこにも見当たらなかった。

 いつのまにか私は城館の廊下にいて、左右には数人の領兵と、兄様が立っている。


「あれ……?」

「あれ、じゃねえよ。お前、扉を出ようとした瞬間いきなり『逃すか!』って叫びながら壁に向かって突進したんだぞ。あれか、とうとう頭にきたか」

「……」


 どうやら、私は白い部屋に入る直前——領兵に呼ばれて、部屋を出る場面にまで戻って来たらしい。一応、再度周辺を確認しても、アージュさんらしきナヨっとした人影は見当たらなかった。かわりに、私をなんとも気まずそうに見下ろす視線の数々を感じた。


 ……逃げられた。しかもあの人のせいで、ちょっと恥ずかしいところを知らない人たちに晒してしまった。


 くそぅ、アージュさんめ。次に会ったときは、容赦しない。



 新たな決意と共に立ち上がり、私はドン引きモードの領兵たちと共に、執務室へと向かった。

 大丈夫かな。顔、潰れていないかな。奥様としては、あまり潰れた顔を旦那様に見せたくない。


 ……ところで、なんだかとんでもない衝撃事実をアージュさんからさりげなく聞かされた気がするけれど。鼻がじんじん痛くて、何を言われたのか思い出せない。

 まあいいや。後でじっくり考えよう。

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