第6話ループ2-2



 元々お喋りな気質らしく、ペトラは主寝室へと向かう道すがら、館についてのあれこれを語ってくれた。


「城館を構成する3つの棟は、外観こそ統一性はあるものの、それぞれ全く別の時期に建てられているんです。だから設計上の問題だとかで、今いる西棟は1、2階しか中央棟と繋がっていないんですよ。これだと中央棟へ移動するのに、3階から一度階段を降りなくちゃいけなくって面倒臭いですよね」

「へえ〜……」


 ペトラのお喋りはあまり頭に入ってこなかった。夢であっても、襲われた生々しい感覚は残っている。また闇から剣が飛んでくるのではと、私はびくびく警戒しながらペトラの後をついて行った。

 ペトラはペトラで、こちらの挙動を気にもとめず、口を動かし続ける。


「主寝室のある中央棟は最も古く歴史のある建物で、1階以外は公爵家の方々のプライベートエリアになっているんです。と言っても、旦那様とセレニア様しかいらっしゃらないので空き部屋が多いのですが……あ! 奥様のお部屋も、ちゃんと中央棟の主寝室近くに用意されていたんですよ! ただ、数日前に火事があったんです」


 ペトラが慌てて弁明するように両手を振る。

 ……ああ。どうしてそのプライベートエリアに嫁である私の部屋がないんだ、って私が訝しると思ったのだろう。言われるまで気づかなかった。むしろ、火事なんて物騒なことがあったという事実の方が気になる。


「火事があったの? それって結構大ごとじゃないの」

「幸い、奥様がお使いになる予定だった部屋がすこし焦げ付いた程度で済みました。けど、修繕の者が出入りしますし、しばらくは仮のお部屋として西棟の客間をお使いいただく方がいいだろうとファロー執事長がおっしゃいまして」

「そうなんだ。火の原因はなんだったの」

「分かりません。火の不始末が原因じゃないかって言われていましたけど、部屋の手入れをしていた子たちはそんなことないって言っていますし……」


 よく分かっていないってことか。それはそれで不安になる話である。

 あんな不吉な夢を見た後に火事の話をされてはたまらない。


 もやもやする気持ちを抱えたまま進むと、とうとう目的地にたどり着いた。


「こちらが主寝室になります。どうぞ中へお入りください」


 マカボニー製の重厚な扉。表面にはわずかに光沢があり、薄暗い廊下の中にあっても強い存在感を放っている。


 ——私は、この扉を知っている。


 既視感で手が震えた。ドアノブに触れると、これまた覚えのある冷んやりとした感触が伝わる。


 腹を、胸を穿たれた熱い感触が一気に蘇るようだった。

 

「……奥様?」


 一向にドアを開く様子のない私の顔をペトラが覗き込む。

 これじゃあ私はただの不審者じゃないか。柱にしがみつき、扉の前で静止するおかしな女とは思われたくない。


 それに、ここには確認のために来たのだ。せめて中の様子を見るくらいはしないと。

 ここで腰を抜かしていては、バルトの名が廃る。


 そう自分に言い聞かせて、私は勢い良く扉を押し開けた。ただ踏み入るのはやはり怖かったので、顔だけ扉の隙間から中に覗かせる。


「誰かいますかー……?」


 声をかけても返事はなかった。


 怪しい人影はないかと目を凝らす。

 静かな部屋。月光に濡れた闇。そこには、夢とまったく同じ光景が広がっていた。

 ……あの大きすぎるベッドにも見覚えがある。


「公爵様! いらっしゃいますかー! こっおっしゃっくっさっまっ」


 今度は大きな声で呼びかけてみる。やはり何の返事もない。

 そこで私は扉を閉じた。


「うん、公爵様はいらっしゃらないわね」

「ええっ。でも……」

「寝ていたとしても、この声で起きないなんてあり得ないわ。発声には自信があるの。子供の頃は、山向こうにいても私の声が聞こえるから静かにしろと、よく父に怒られたわ」

「……」


 ペトラが反応に困っている。


「よし、撤収。部屋に戻りましょう。寒いし」


 畳み掛けるよう言って、さっさと扉から離れる。

 恐怖で足がほつれそうになった。心臓がバクバク言っている。


 夢か幻覚と思いたかったけれど、これはどう考えても幻覚じゃない。

 あの部屋は危険だ。とにかく離れなければ。


 そこでふと、自分が目的地も定まらぬまま廊下を直進していたことに気がついた。振り向くと、走ってこちらを追うペトラの姿がある。

 ペトラは私に追いつくと、膝に手をついてぜいぜい荒く呼吸した。


「奥様。お待ちください……」

「ご、ごめんなさい」

「いきなり早歩きでいなくなっちゃうから、置いて行かれるんじゃないかと思いました……」


 本当は一刻も早く逃げ出したかったけど、ペトラの息が整うのを待つ。

 しばらくして、漸くペトラは顔を上げた。


「旦那様……どちらにいらっしゃるのでしょう」

「そうね。でも分からないんじゃ仕方ないわ」

「ファロー執事長なら知っているかも」


 知らなくていいけど。もうさっさと部屋に帰って、布団に潜り込みたい。

 一晩ぐっすり眠れば、この不気味な体験のこともすぐに忘れられるはずだ。多分。


「何にしても、一度部屋に戻りましょう。それからどうするか考えるってことで」


 「うーん」としばらく考えたあと、ペトラは頷く。

 そこで今度こそ、私は足早に自室へと戻るのだった。

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