ひそめ

@suneo3476

プロローグ

今、帰りの会です。


実は私の転校初日なんですけど、それに見合った特殊イベントも特に起こらず一日がサッと終わろうとしています。みんなあんまり私のこと興味持ってくれないのか机を囲んで尋問タイムみたいなのは無かったけど、シカトされてるって感じでもないし。なんというか、私だけじゃなくって、みんなお互い距離を取り合っているような……。


成山なりやまさん?」

「あ…、はい」


そんな考え事をしていたら横井先生に突然呼ばれた。うちのクラスの帰りの会には、先生が一日を振り返るコメントの時間がある。転校生が加わったので、学校生活に慣れるように協力を促そうとしていたところで、私がうわの空だったのが気になったようだ。


「困ったことがありましたら、気軽に相談してくださいね」


してくださいねって、それは要求なのでしょうか。


でも、気軽に相談できる環境であることは確かだ。関口せきぐちさんは校内移動に付き添って歩いてくれた。塚本さんはシャーペンの替芯を忘れた私に一本「くれた」。いっさい恩着せがましさのない親切に、心の余裕を感じるのであった。


親切にしてもらったら、目に見えない「借り」ができる。それは借金みたいなもので、利子がつく前に早め早めに還していくのだ。私はそれがいやなので、そもそも「貸す」ことに、親切にしてもらうことに怯えるようになった。それが今まで経験してきた学校の人間関係だ。でも、ここはどうやらそうじゃないみたい、今のところ。


――「成山さん一緒に帰ろうよ」

  「いいよ!」


関口さんだ。私はこの子と一緒にいると落ち着く気がするので、こうやって呼ばれるのも嬉しくなっていた。一日で。ちょろいオタクか私。


でも、実際かわいいと思うのだ。本人には失礼だけど、私より頭半分ほど小さい彼女が歩く姿は小動物らしいかわいさがある。


自宅と学校のあいだは自営農家の耕地と一般住宅のパッチワークになっていて、そこを車のあまり通らない生活道路が縫っており、それが私と関口さんの通学路と考えてよい。まだ日が出ていて明るく、青い空の下で関口さんと肩を並べて歩いており、ふたりのまわりには湿った土の匂いが漂っている。


「給食にピーナッツと煮干しの和え物が出たよね」


これは関口さんの発言である。それ私もすき――と言おうとすると、顔をこちらに向けると「にっ」と笑って、すぐまた前を向いた。急に笑顔を向けられた私は、照れて口角がにやりと上がってしまった。私は何を喜んでいるのだ?


彼女はどうやら、ときどき「嬉しかったこと報告」をつぶやいては、笑顔を見せて感情表現するのが好きらしい。これが彼女の主なコミュニケーション方法らしい。


「かわいいなお前……」


えっ、とこちらを向いた彼女に、「にっ」と笑顔を向けてやると彼女も流石に照れ臭かったのか顔を伏せた。これが今日が初対面の人間同士のすることか?


「ごめ、お前は失礼でした、ごめんなさい」

「全然いいよ、びっくりしちゃった……ふふ」


「ところで、聞きたいことがあるんだけど……」



そう、聞きたいことがあった。今日はおもしろイベントもなく終了しそうだなどと言ったが、ひとつだけ謎があった。


誰も同級生を「下の名」で呼ばないのだ。みんな「上の名」で呼び合っている。「下の名」のヒントになりそうなあだ名すら使ってなかった。それどころか、持ち物や教室の掲示に至るまで「下の名」が分かるものが見当たらなかった。どういうことだ?


というか、今日私は自己紹介していないのだ。横井先生が「ナリヤマさん」と呼んだからよかったものの、「下の名」を言う機会はついぞ無かった。


だから、聞きたかった。


「なまえ、教えてほしいです」


謎に敬語を発してしまったけど、つぶやいて、遠慮がちに微笑んで顔を向ける。

関口さんは「えっ」という顔をした。口を少しあけたままで、何を聞かれたのかわからないような、そういう顔を。


「…………」


やば。聞いちゃいけないやつだったかな。


しかし、関口さんは狼狽え始める私を見て、余裕ありげに微笑みをつくってみせた。


「まず成山さんから教えてほしいなあ」


たしかにそうだ。……そうか? いやそうか。いや、わかんないぞ。わかんないけど、関口さんは私の下の名を知りたがっている。それを拒否する理由はない。ん? でも関口さんは私の質問をいったん保留しているし。え、じゃあなぜ私から? 私から言うことが大事なのか? そう言いたいのか?


「ゴウンゴウン」という大気の震える音が聴こえてくる。ゴウンゴウンゴウン。

市内の自衛隊基地の航空機だ。ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン。


ゴウンゴウンゴウン「しょうがないなあ。私の名前はね、」ゴウンゴウンゴウン


混乱して返答しない私を見かねて、関口さんが足を止めて私を注目させると、口を動かした。彼女はこの轟音の中で会話ができると思ってるのか?


え、ちょっとまって、今喋られても―――


「ヒュウウウウウウウウウウウウウ「………」ウウウウウウウウウウウウウウウン」


                      ちょうど航空機が上空を通過した。


そして、関口さんはなんで微笑んでいるんだろう。

それで、なんでワンラウンドが終了したみたいにまた普通に歩き始めてるんだろう。


でも、彼女の口の形ははっきりとしていて、何と言っているのかわかった。

三文字だった。そしてそれは推理するまでもなかったが、余計な混乱の元だった。

これは特殊イベントだ。


               「ひ、そ、め」


なぜなら、それは私の下の名前だったからだ。

そして、私はとんでもないところに転校してしまったことを後で知る。

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