テレ=エム
@namase
第1話 マムゥの倦怠
【1-1 倦怠】
シーツがこすれる音がする。
香の匂いの充満したその部屋で、マムゥはダリの紅潮した頬にその透き通るように白くほっそりとした手を添える。ダリは冷たい彼女の手の感触に身を強ばらせながらも、月光に照らされた彼女を伏し目がちにみた。
毎晩どおり彼女の顔は美しい。見入ってしまうほどに。
長いまつげに覆われた緑色の瞳。薔薇水晶のように透き通った肌。しかし「当たり前のこと」かもしれないが、完璧すぎる彼女の美しさそれはやはり人間のそれとは違うもののように思える。
ダリの視線に気づいた彼女は妖艶な笑みを浮かべ、吟味するような目でダリを見つめ返す。そのねっとりとした視線におびえ、目をそらしたダリを見て、彼女は一層満足した表情を見せた。
「ダリ。」
「お前の一族は美男子ばかりだが、お前ほどにザラの面影を色濃くみる男は歴代のテレエムにもいなかった。私はお前を見るたびに‘はやくたべてしまいたい‘といつも焦がれる想いよ。」
「お許しください、マムゥ。‘恩血祭‘のその日までは。」
「ダメだとわかっていてもつまみ食いしたくなるのはしようがないことではないか。」
「お許しください、マムゥ。あなたのためでもあるのです。」
―恩血祭の日まではテレエムたらんとするものはその純潔を守る。女神マムゥに穢れなき身体を捧げるため―
マムゥ=ナン教団の鉄の規則に触れんとするマムゥの発言にダリは怯えた。いや、ダリの純潔を狙っているのは他ならぬ『教団』が奉じるマムゥ自身なのであるが。しかしマムゥといえども恩血祭の儀に支障をきたすことを許されない。それが彼女と彼ら、彼の地の、『契約』であった。
気まぐれに発したたわごとを真に受けてあわてふためくダリの様子をみて、マムゥはため息をついた。
「ダリ、お前は言うことがいちいちつまらんのが玉に瑕よ。お決まりの『お許しください』と『教団』の型通りの言葉しか言わぬ。」
「・・・・お許しください、マムゥ。決まりですので。」
「だからわかっていると言っておる。冗談よ。おぬし、ザラと似ておるのは顔だけよな。お前は私と最初に会った12のときからいーっつもビクついておる。傲岸不遜なザラのやつとは似ても似つかぬ。」
そんなことを言われてもダリにとっては大祖ザラなど700年以上前の人間である。
初代・テレエム。マムゥの血の力を得て、このエムラ=マメンの地と『教団』の繁栄を築いた偉大なる祖。マムゥはザラのことを血の通った人間のように話すが、ダリにとってザラは歴史上、いや神話の中の人物である。完全無欠の聖人にして英雄ザラを懐かしい友のように語るマムゥの言葉はダリにとってまるでピンとこない。
「まあお前と血の交わりを交わすのは楽しみではあるよ。おぬしの父親の顔もそろそろ見飽きてきた。」
そういいながら彼女はダリの服の中に手を突っ込み彼の体をまさぐり始める。ダリの吐息が荒くなり、身をよじるとマムゥはにぃっと嗜虐的な笑みを浮かべる。
「・・・お許しください、マムゥ・・・」
懇願するダリの表情を見て、マムゥは一層彼の体を撫でまわした。ダリは羞恥心に耐え切れず目を閉じる。視界を閉じると部屋に充満する香の匂いがやけに気になった。焦がした糖蜜のような匂い。甘い香の匂いに頭がぽおっとする。もうなんでもいいか。マムゥに逆らうことはできないならいっそ身を任せよう。
ああ今晩もまた眠らせてはもらえないのか。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
「偉大なるマムゥ。夜が明ける。」
一人の男がマムゥの寝所に入ってくる。マムゥの横たわるベッドを覆うベール一枚隔てた向こうではあるが。ああジンクスが来た、もうそんな時間か。マムゥの『触診』を終え、ぐったりとした顔のままダリは寝所に入ってきた長身の男を見た。しかし彼のシルエットを見た瞬間、ダリは血相を変えた。
「ジンクス!!帯刀したままマムゥの寝所に入るなどと!!規則で厳しく禁じられて・・・」
「おおう、気づきませんで。これは失礼をいたしました、ハハッ、マムゥ。がさつもののすることゆえ許されよ。」
「ジンクスの所業をお許しください、マムゥ!!」
「あーよい、騒ぐなダリ。お前たち教団のいちいち細かい規則、あれな、私はほとんど気にしておらんぞ。」
「ありがたきお言葉、マムゥよ。」
心底ほっとしたという顔でダリは安堵の表情を浮かべる。
「ジンクス、お前はまた」
「もうよいと言っておるだろう、ジンクスの阿呆は今に始まったことではない。まったく細かいことにそんなに口やかましいと私以外にはモテんぞ。」
「マムゥ、ダリの奴は美しい女の扱いというものを知らんのですよ。勘弁してやってくれ、ハハッ」
「ジンクス!!」
ジンクスがこれ以上余計なことを言わぬうちに退散せねばならぬとダリは慌てた。乱れた絹衣のすそをさっさと直すと、ダリは頭を低く保ったままベッドから降り、ジンクスの立ち位置まで素早く退く。
「それではマムゥ。夜も明けますので私共は失礼いたします。」
「ああご苦労であった、ダリ。ジンクスも。またな。」
寝所を後にしたあとも、ジンクスに説教をするダリの声と軽口を叩くジンクスの声が遠くに聞こえる。
マムゥは慈愛の表情で彼らを見送った。本当に可愛い子らよ。
だがー
二人の男の去った寝所ではマムゥはひとりごちた。
「なあザラ。」「ここの生ぬるい生活、嫌いではないがさすがに700年も過ごすとなんというかな。」
「だが」
「あの目はいい。もしかするともしかするかもしれぬなあ。」
マムゥは手元のパイプに火をつけ、紫煙をくゆらせた。
香を焚こうが、煙草を吸おうが。
700年余りの時の中、幾筋も流れた血の匂いの取れぬ‘乞神園‘の最奥にて。
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