スカトロ哲学――糞便兵法・排便陣形第一

 わたしは常々「ウンコ」というものを嫌悪しており、その道では一種のスペシャリストであることを自認している。

 ただこれは生理的な嫌悪というよりも、別に理由があり、ウンコそのものを差別をしている訳ではない。

 即ち、原因の一つに幼児期の思い出がある訳だ。幼児期の思い出というあたりが、やはり「フロイト・トラップ」な感は否めない。



 幼かった私は、トイレットペーパーでおしりを拭いた際、その拭いた紙で自分のTシャツをこすってしまい、そのシャツをクソまみれにしてしまったことがあった。

 また無駄にシャツの丈の長い時などは、便器の中に裾を侵入させてしまい、その裾に無能な雑巾の役割をさせてしまったこともある。

 更にポピュラーな被害例をいうと、いわゆるセンスのない店員のように「不必要なお釣り」を便器から頂くということも、高い頻度で起こった出来事だ。

 それにしても、この「お釣り」をもらうということは、望まないキャッチボールを強いられているような気分になるものだ。



 ウンコの度に洋服を台無しにしてきたわたしに対し、母は「クソも満足に出来ない人間」というレッテルを与え、怒りをぶつけてきた。

 わたしは母の求める「クソを満足に出来る人間」になって欲しいという期待に、応えられなかったのである。



 そんなわたしにとって、自分の着ている服にウンコが付着するなどということは、量の大小の如何を問わず、決して許されない行為であり、ただでさえ、わたしの、かよわい精神を軽快に破綻させてしまう。

 だから、もしあなたがわたしを発狂させたいのなら、ウンコを使うといい。ウンコでわたしのことは大体攻略出来る。



 このように、わたしにとってトイレで排便をするということは、危険区域にわざわざ出かけるのが趣味――といったような人の行為に相当するものであった。

 いつしかわたしはウンコをすることに対して極めて拒絶的な児童となり、自意識的且つ慢性的な便秘の信者となった。

 そんなわたしにとって、排便というのは単なる排泄行為に留まらず、ウンコとの抜き差しならぬ一騎討ち――つまり戦いであった。



 これら一連の出来事の苦悩や反省から、わたしは「みんなはどのようにウンコをしているのだろう?」という興味を抱くに至った。

 わたしだって、無為にシャツやシリを汚したりはしたくないのだから。

 だがそんなわたしの深刻な悩みに対し、母をはじめとする周囲の人たちは「普通にすればいいのよ」などと、極めて抽象的なアドバイスしかくれなかったのである。



 この「普通」、あるいは「普通ってなに?」という言葉は、ありがちな厨二病患者の使いたがる言葉ではあるが、わたしがこの「普通」に悩まされたのは、わたしのウンコの仕方が、尋常とはいえなかった可能性についてであった。

 しかし、わたしには自分がウンコをするときのスタイルが、他人と異なるものであるとは思えなかった。

 ただ便座に座り、ウンコをするということに、他人との差など、まるで見当たらない。

 しかし人と同じやり方なら、わたしは失敗するのである。

 だからわたしはここであえて「普通」のやり方ではなく、わたし独自のスタイルを築き上げる必要性があることに、気付かざるを得なかった。



 わたしは創作をする人間だけれども、今思えば「ウンコの仕方」を発明することが、わたしの創作の原点であったのかもしれない。

 そして遂に、わたしは独自の排便スタイルを獲得するに至ったのである。



 即ち――私は「トイレで“大”をする際、必ず全裸で臨む」ようになった。真冬であろうと自信をもって確実である。

 


 その理由として、全裸であれば仮にどの部分に付着しても、容易に洗い落としが出来るからである。

 勿論滅多なことでは――余程のミスと手違いがなければ付着することなどはない。

 だがもし、トイレから出てきたわたしが、迷わず浴室に向かっていくところをあなたが目撃してしまったとしたら――。

 その時は、わたしの姿を「ウンコとの一騎打ちに敗れた敗軍の将の姿」だと思って欲しい。



 更に排便にかける怨念の情熱は、これだけではない。

 全裸の体制をとったあと、自分なりの便座の座り方――つまり便座に対するおしりの陣形と言える訳だがこれを必ずとる。

 この様式に至るまでに、わたしは色々とこの「排便陣形(はいべんふぉーめーしょん)」を模索した。

 時には、却って拡散の頻発を招く無能な陣形を使用する失敗もあったが、どうにか完成にこぎつけることに成功した。

 この完成品は、大体、全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形にあたることから、わたしはこの布陣を「方円」と呼んでいる。



 「方円」は円形である――即ち大きくおしりを開き、便座の両端にガッチリと左右の尻の肉を載せ、重心を安定させる陣形の構えをとるわけだ

 この場合、肛門は左右から引っ張られる状態となる訳だが、敵(ウンコ)の出現は必ず「方円」の中心となるため、拡散を防ぐ意義と包囲網が築けるため理想的だ。



 ウンコはその時の出方や内容によって、激しさや拡散が違う。

 お腹を圧迫するほどの量の多い時、下腹部を痛めつける下痢のような時などは特に注意が必要であるが、「方円」はどの状況にも対応出来る――まさに排便のスペシャリストともいえるような陣形だ。



 しかしどんなに完璧だと思える優秀な人材にも、どこか欠点はあるものだ。

 即ち――この「方円」はリベンジ・リバース(お釣り)を招きやすいという致命的な欠陥を持っている。だから必ずペーパーを便器の水面に浮かべておく。

 ほぼ、これだけでお釣りは防げる。この方法はご存知の方も多いとは思うが、知らなかったあなたは試してみてはいかがだろうか?

 


 なお当然のことながら、この「方円全裸」は寒冷地には向かない。しかし先にも述べたとおり、わたしは真冬でもこのスタイルを崩すことはない。

 これまでに真冬の北海道で、「方円全裸」を行ったこともあるが、わたしは勇敢にも全裸になり、排便に勝利した。

 まるで凱旋のように、意気揚々とトイレの扉を開けて出てきたわたしの姿を、羨望の眼差しで見ていた者も少なからずいたに違いない。



 次項では遂に「排便の陣形――払拭の兵法」について、述べたいと思うが、今回ご紹介した「方円全裸」との相互運用についても、ここで併せて記述したいと思っている。

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