53:ラース山脈2(怖がりニース)
ニースが気を失ったため、馬車列から離れてしまったオルガン馬車だったが、追いつくのには、さほど時間はかからなかった。グスタフたちは、少し開けた平らな場所で、馬車を止めて休んでいた。
「すみません、遅れてしまって」
御者台から降りてきたラチェットに、グスタフは笑った。
「私たちも、今休み始めたところだ」
グスタフは道の先を指し示した。道の傍らには、打ち払った枝が積まれていた。
滅多に人の通らない稜線へ続く山道は、整備されていない。大きな岩がゴロゴロあり、道幅は山の上に進むほど狭く、ギリギリ一台の馬車が通れる程度しかない。
低木の茂みが道に枝を伸ばしている箇所もあり、車輪が引っかかると、枝を打ち払って進まなければならなかった。
積まれた枝を見て、ラチェットは苦笑した。
「これは大変でしたね」
「まあな。だが、馬にもいい休憩だよ」
「そうですね。この子たちも休ませないと」
狭く険しい道を、馬は重い車体を引いて登っている。一行は、度々馬車を止めて休憩を取る必要があった。
ラチェットがオルガン馬車から馬を外し、休ませる。ニースも手伝おうとしたが、ラチェットに断られた。その様子に、マルコムが首を傾げた。
「何かあったのか?」
「えっと……。ぼく、さっき気を失っちゃって」
「は⁉︎ 具合でも悪いのか?」
驚くマルコムたちに、ラチェットが気まずそうに話した。
「僕がニースを怖がらせてしまったので。ニース、ちゃんと休んでね」
「はい。ありがとうございます」
ニースはグスタフたちと共に、ゴツゴツした岩に腰掛けた。ジーナが気遣い、水筒を渡した。
「ニースくん、大丈夫なのー?」
「はい。大丈夫です」
「そおー? 具合悪い時はすぐに言ってねー」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
元気そうなニースの姿に、グスタフたちは胸を撫で下ろした。馬を休ませるのを手伝いながら、メグが大きなため息を吐いた。
「でも本当に、無理は禁物ね。山を登るのがこんなに辛いなんて、思わなかったわ」
メグのぼやきに、案内役兼護衛として雇われた中年の男、アントニーが笑った。
「はは。これだけ大きな馬車がこの道を通るなんてことは、滅多にないですからね。俺たちも話を聞いた時はびっくりしましたよ」
アントニーは、息子のグレゴリーと共に、一座の山脈越えのため雇われた。二人は普段、クフロトラブラで猟師として働いているが、たまにいる山脈越えをする物好きな旅人たちの案内役を、代々請け負っている家系だった。
アントニーは槍と弓が上手く、グレゴリーは弓が得意だ。二人とも馬車を動かせるため、今回の案内役には適任だった。
一座が借りている二台の幌馬車も、アントニー親子所有の馬車だ。二人は皇国へ着いたら、交易で使えそうな品をいくつか仕入れて、馬車を持ち帰る予定だった。
弓の確認をしていたグレゴリーが、感心した様子でオルガン馬車に目を向けた。
「しかし、まさかあんなデカイ馬車が、この山道を楽に通れるとはなぁ」
一行の馬車の中で、最も重そうなオルガン馬車だが、意外にも四台の馬車の中で一番楽に山道を登っていた。
大きな不思議な車輪は、道に突き出ている岩を物ともせず踏み越えていき、オルガン馬車を引く二頭の馬も、ほかの馬に比べて疲労が少ないように見えた。
「ああ。それはたぶんこの馬車が、発掘品だからだと思いますよ」
ラチェットが馬に水をやりながら、気怠げに答えを返した。ラチェットにとっては、馬車よりも中身のオルガンの方が大切なようで、馬車にあまり興味はなさそうだった。
対してニースは、普通の馬車とオルガン馬車の違いに驚いていた。
「ぼくもびっくりしました。あんなに大きな岩を乗り越えていたのに、オルガンはそんなに揺れませんでしたし」
「それは僕も助かったよ。こんな道で揺らしたら、オルガンが壊れるからね」
ラチェットは大きく頷くと、冗談混じりに肩をすくめた。
「ニースはぼんやりしちゃって、オルガンを見ていてくれないし。僕は本当に冷や冷やしたよ」
ラチェットの言葉は責めるものではなかったが、ニースは申し訳なく感じて俯いた。
「すみません、ラチェットさん」
その様子に、メグがラチェットを睨んだ。
「ちょっと、ラチェット。ニースにそんな言い方ないじゃない。元はと言えば、あなたがニースを怖がらせたから、ニースは気を失ったんでしょ」
メグは手頃な木に馬の手綱をくくりつけると、うなだれるニースに近づき、後ろからそっと抱きしめた。
「可哀想なニース。ラチェットの事なんかほっといて、私と前の馬車にいましょうよ」
「でも……」
「め、メグ⁉︎」
メグの豊かな膨らみが、ニースの頭を包む。まだ小さなニースは何とも思わなかったが、ラチェットは慌てて、声を上げた。
「ごめん、メグ! 頼むから、ニースから離れて!」
「い・や・よ! そんなにニースにオルガンを見張らせたいわけ?」
「違う! そうじゃない! いや、そうなんだけど、そうじゃないんだ!」
ラチェットは訳の分からないことを言いながら、メグをニースから引き離すと、ニースの両手をしっかり掴み、謝った。
「ニース、ごめん。本当にごめん。もうしないから。怖い話はしないから。だから許してください……」
ラチェットは跪き、悲壮感溢れる声でニースに懇願した。必死に謝るラチェットに、ニースは戸惑いながらも小さく頷いた。
そんな二人を見て、メグは渋々ラチェットを許した。馬に餌を与えていたマルコムが、顔をニヤニヤさせてラチェットに尋ねた。
「それで? 一体何の話をして、ニースに気を失わせたんだ?」
ラチェットは、マルコムの顔を見ると、言い辛そうに頬をかいた。
「いや、その……ラース山脈が、大地の裂け目の上を通ってるって話で……」
「は? それだけのことで?」
からかう気満々だったマルコムは、ラチェットの返事を聞いて唖然とした。マルコムの言葉にニースは、ムッとして立ち上がった。
「だって、怖いんですよ! 大地の裂け目は
身振り手振りを交え、大真面目で言うニースの姿に、皆、声を上げて笑った。納得いかないニースは、口を尖らせ小さく呟いた。
「なんでみんな笑うのかな……」
そんなニースの姿を見て、グレゴリーは水筒の水を一口飲むと、優しく語りかけた。
「ニースくん。それって、あれだろう? 町で言われているお伽話を聞いたんだろう?」
グレゴリーの言葉に、ニースはこくりと頷いた。グレゴリーは肩をすくめ、話を続けた。
「あれはね、あくまでも
「……作り話ですか?」
アントニーも、グレゴリーの話に合わせるように、落ち着いた声でニースに話した。
「そう、グレゴリーの言う通りだよ。だから、別に鬼が出てきてニースくんを食べたりはしない。安心しなさい」
ニースは、しばらく首を傾げて考えたが、ゆっくり頷き、ラチェットに頭を下げた。
「ラチェットさん、ごめんなさい。ぼく、てっきり鬼が来ちゃうと思って……」
ラチェットも、ニースに謝った。
「いや、いいんだよ。僕もごめんね。走る馬車の上で話すことじゃなかったかもしれない」
仲直りする二人を見て、メグはにっこりと笑った。しかしグスタフが、はははと笑って爆弾を落とした。
「まぁ、鬼は出なくても、足を滑らせて大地の裂け目に落ちたら死ぬし、熊や狼は出るから、下手すると食われてしまうがな」
「熊に食われ……⁉︎」
グスタフの言葉を聞いて、再び気を失うニースをラチェットが抱きとめた。メグとジーナが、抗議の声を上げながらグスタフを叩く。マルコムとアントニー親子がため息を吐く中で、グスタフの悲鳴がこだましていった。
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