第4章 はじめてのユニゾン

51:ラース山脈1(山道にて)

 柔らかな陽射しの中、荷物を満載に積んだ四台の馬車が、縦一列に並んで山道をゆっくり走る。ニースを乗せてクフロトラブラを出発した一座は、ラース山脈の稜線を目指していた。


 先頭を走るのは、ハリカと大きく書かれた、派手な装飾の箱馬車だ。グスタフが手綱を握る馬車には、大量の荷物と共に、メグとジーナが乗っている。客車の屋根には、こんもりと荷物が載せられ、布と紐で落ちないように括り付けられていた。

 その後ろを走る二台の小さな荷馬車は、案内役の狩人とマルコムが、それぞれ手綱を握っていた。古びた幌がかけられた荷台には、ぎっしりと木箱や樽が積み込まれており、馬車を引く馬たちは、坂を登るのが辛そうだ。

 最後尾を走るのは、ラチェットが手綱を握るオルガン馬車だ。その御者台には、ニースの姿もあった。


 ラチェットの隣に座るニースは、ローブの袖口を捲し上げ、小窓の隙間から馬車の中を覗いていた。


「ニース、辛くない? 大丈夫?」


 心配そうに問いかけたラチェットに、ニースは中を見つめたまま答えた。


「平気です。荷物と一緒に中に詰め込まれるより、ずっといいです」


 荷台を見つめるニースの表情は、真剣そのものだった。


 オルガン馬車は、古代文明の発掘品だ。貴重な仕掛けのついた馬車だが、その仕掛けは中からは開けられない。外にある丸い車輪にレバーのついたような「ハンドル」と呼ばれるものを回さなければ、開くことが出来ない。

 にも関わらず、ラチェットはあろう事か、オルガンの見張り要員としてニースを荷物と一緒に中へ詰め込もうとした。当然、ニースはそれを嫌がった。

 その結果、ニースは真剣な面持ちで小窓から荷台のオルガンを覗いているのだ。

 ニースの言葉に、ラチェットは苦笑した。


「そうか。ごめんね。本当は、僕が自分で見られればいいんだけど……」


 オルガン馬車の中には、大量の荷物がオルガンと一緒に押し込められている。ラチェットは、自分の商売道具であるオルガンを大層気にしており、馬車の走る振動でオルガンが壊れないか、一緒に積んである荷物が崩れて当たらないかと、心配していた。

 オルガン馬車の中の荷物のほとんどは、柔らかな布や衣類だ。それらは、布袋に詰めて積まれているため、オルガンに衝撃を与えるようなものではない。しかし、ラチェットはどうにも心配で、オルガンの見張り要員が必要だと、頑なに譲らなかった。

 ニースは、宥めるように答えた。


「仕方ないですよ。ジーナさんは筋肉痛ですし、メグとぼくは馬車を動かせませんから」

「うん、まあね。でも、ジーナさんたちが余計なものを買い込まなければ、荷馬車はひとつで足りたはずなんだ。そうすれば、マルコムさんにこの馬車を動かしてもらって、僕が見張れたんだけどなぁ……」


 当初、馬車は計三台となるはずだった。一座は、案内役兼護衛として狩人親子を雇っており、その際に荷馬車も一緒に借りていた。一座の馬車は大きいため、山脈越えに必要な物資を積んでも、その三台で済むはずだった。

 しかし、ジーナが食料品や服飾品を無駄に購入し、メグが羊毛ウールのセーターなどの洋服類を大量購入してしまった。さらにニースも加わるということで、それならばと馬車を一台追加で借りたのだ。


「すみません。ぼくが増えちゃったから」


 苦笑いを浮かべたニースに、ラチェットは慌てて頭を振った。


「ニースは良いんだよ。ニースの分なんて、たかが知れてる。この馬車の半分は、ジーナさんとメグの荷物なんだから」


 御者まで追加で雇ってしまうと、旅の食料が不足してしまう。そのため、追加で借りた馬車を、マルコムが動かしていた。狩人親子も二人とも馬車を動かせるが、護衛役として最低一人は自由に動く必要があるからだ。

 ラチェットは小さくため息を吐き、話を変えた。


「それにしても、ニースの荷物はずいぶん少なかったね」

「はい。ぼくはまだ背が小さいから、服は畳めば小さく出来るし、おじいちゃんに少しの荷物で旅をする方法を教えてもらいましたから」


 小さなニースひとりでも、頑張れば全ての荷物を持ち運べるように、マシューは旅の仕方を教えていた。

 ニースの旅の荷物は、着替えや毛布を入れた大きな布袋がひとつ。マーサからもらったストールと、保存食や水筒を入れた小さな背負い袋がひとつ。そして、ナイフと投石紐、火打ち石や財布などを入れておける小さな肩かけ鞄と、マルコからもらった木剣を腰に下げるだけだ。

 ラチェットは、感心しきりで微笑んだ。


「すごいなぁ。メグたちにも見習ってほしいよ」


 ラチェットの言葉に、ニースは照れくささを感じて、はにかんだ。

 ガタゴトと馬車はゆっくり山道を登っていく。山頂から吹く冷たい風に、木漏れ日が、そよそよと揺れた。

 ラチェットはメガネをくいと上げると、気持ちを切り替えるように笑った。


「さて、それじゃ、お勉強の時間としようか」

「はい! !」


 ニースにとって、初めての異国への旅だ。ラチェットは、これから訪れる国のことや通る道について、ニースに教えるよう、グスタフから言付かっていた。

 キラキラと瞳を輝かせて、元気に返事をしたニースに、ラチェットは、ほんのり苦笑いを浮かべた。


「オルガンは、見ておいてね?」


 を告げられ、ニースは慌ててオルガンに目を向けた。


「……はい!」


 ラチェットは満足げに笑みを浮かべ、穏やかに問いかけた。


「王国に学校はないけど、ニースは世界のことを、どのぐらい知ってるのかな?」


 アマービレ王国には、庶民の通う学校はない。子どもたちは、家の仕事を手伝いながら暮らしており、最低限の読み書きは親から教えられる。

 親のいない子どもや、貧しい子どもたちも、周りの大人たちから文字を教わっていた。文字さえ覚えていれば、手紙の配達で暮らしていけるからだった。


 ニースは、オルガンから目を離さずに、何を知ってるかを話した。


「ぼくが知ってるのは、昔、家庭教師の先生から教わったことと、おじいちゃんから聞いたことぐらいです」


 王国に印刷技術はないため、本はほとんど流通していない。あっても、手書きの写本が富裕層の家にわずかにある程度だ。マシューの家には本などあるはずもなく、ニースは本で学ぶこともなかった。


「ぼくは、王国のことは結構知ってると思います」


 幼いニースが、伯爵家の家庭教師に教わったことは、基本的な常識とマナー、言葉遣いや貴族の習慣だ。そこには庶民の生活や旅で使える知識はなかったが、ニースはマシューから、生活の知恵や王国内の旅の仕方を教わっていた。


「でも、世界について知ってるのは、本当に少しだけです。世界のどこでも言葉と文字は同じですけど、国によってなまりっていうのがあって、時々伝わらないことがあるとか。ルールが違うとか。そういう、なんとなくのことしか分かりません」


 話を聞いたラチェットは、なるほどと頷いた。


「そうか。それなら細かいことは、その都度教えていった方が良さそうだね」


 この世界は、多少の訛りはあれど言葉と文字は世界共通だ。そしてどこの国でも、肌の色や人種での差別はない。しかし各国には、それぞれ歴史や文化の地域性があるため、何も知らずにいれば、要らぬトラブルに巻き込まれぬとも限らない。

 ラチェットは少し考え、を始めた。

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