37:一座の誘い2(リンドの手紙)
日は山に沈み、すっかり暗くなった空に二つの月が登る。広場での公演を終えたニースは、マシュー、マーサと三人で家へと帰ってきた。家では、ウスコが留守を預かっており、マシューたちの帰りを待っていた。
「おう、おかえり。どうだった、初めての舞台は?」
ウスコが、笑顔でニースたちを迎え入れると、四人はテーブルを囲み、茶を飲んだ。ニースは興奮覚めやらぬままに、どれほど素晴らしかったかを話した。
「すごく楽しかったです! 手品もオルガンも凄かったし、ぼくの歌でメグが踊ってくれて。最後には色んな楽器と一緒に歌ったんです!」
「へえ。そいつはすごいな」
ニースよりもさらに興奮したマーサが、横から声を挟んだ。
「アンコールが止まなかったのよ! ああなるって、私は最初から分かってたけど、やっぱりそうでね。あの踊り子の女の子なんて……」
マーサの話は、終わりが見えなかった。ウスコは早く帰りたそうにしていたが、席を立つタイミングを失い、そのままマーサの話を聞かされた。
「本当に素晴らしかったわ。ニースのあの歌! あんなに小さかったニースが、こんなに立派になって……」
ひとしきり語り終え、感極まってメソメソと泣き出したマーサに、マシューが
「ほらほら、マーサ。涙を拭いて」
「ありがとう。……本当に素晴らしかったのよ。私、感動しちゃったわ」
マシューから手布を受け取ると、マーサは涙を拭って鼻をかんだ。手布を返そうとするマーサに、マシューは微笑んで手布を譲ると伝えた。
ウスコは呆れた様子でマーサを見ながら、この機を逃さぬようにと、椅子から立ち上がった。
「マシュー。羊はみんな羊舎に入れといた。羊もシェリーも代わりなかったよ。じゃあ、あとは俺は帰るぜ」
ウスコはニースをちらりと見ると、ふっと笑みを浮かべた。
「ニース、今日はお疲れ様。またな」
「ウスコさん、ありがとうございました!」
ニースが挨拶をすると、マシューがウスコを玄関まで見送った。ウスコは扉を開けようとして、ふと思い出したように振り返った。
「あ、そうだ。マシュー、お前に手紙が届いてたんだった。確かに渡したからな」
ウスコはマシューに手紙を渡し、今度こそ帰っていった。
「誰からだ……?」
マシューが手紙の差出人を見ると、伯爵領にいるリンドの名が書かれていた。マシューは椅子に座り、封を開けた。
「ほぅ……」
「おじいちゃん、誰から?」
「お前の
「え⁉︎ リンド……お母さんが?」
照れくさそうに、はにかみながら「お母さん」と口にしたニースを見て、マシューは口元を緩めた。
「ああ、そうだ。手紙が出されたのは二ヶ月前だな。……おそらく、来週には帰って来るだろう」
マシューは、手紙に書かれた日付と文面から、大体の目安を検討付け、ニースに告げた。
アマービレ王国の主な通信手段は手紙だ。急ぎの際は使者を馬で走らせ、口伝で連絡を伝えるが、それは戦時などの緊急時のみだ。伝書鳩も使われることがあるが、これは城や砦の間での通信、または旅先からの連絡手段として使われていた。
大きな町と町の間では駅馬車を使って手紙が運ばれ、小さな町や村へは、伝令を生業とする者や依頼を受けた旅人、商人たちが運ぶ。運ばれた手紙は宿にまとめて届けられ、町の住民が直接受け取りにきたり、孤児や貧しい人々が生活費を稼ぐために各家に配達する。
手紙には、布で作られたリボンのような切手がつけられており、その切手は販売と換金を王国が一括して行なっている。そのため、他国へ手紙を送る事は出来ない。
リンドの手紙も、多くの町や人の手を経由して届けられていた。届かない手紙があることも珍しくないため、無事に届いたことは幸いだった。
リンドが帰ってくると聞いて、マーサは笑みを浮かべた。
「まあまあ! 二人とも良かったわね! 家族みんなで住めるじゃないの! こうしちゃいられないわ。早速リンドたちの部屋を準備しておかなくちゃね」
張り切るマーサとは対照的に、ニースは顔を曇らせた。
――みんなが帰ってくる? そうなったら、ぼくは……。
マシューがそれに気づき、心配そうに声をかけた。
「ニース、どうした?」
「……あ、ううん。なんでもない」
ニースは、はっとして、笑顔を作って誤魔化した。
「ぼく、お腹空いちゃった。スープ残ってるかな?」
「あらあら、そうね。先にご飯だわね。今作るからちょっと待ってね」
立ち上がったマーサに、マシューは慌てて声をかけた。
「おい、マーサ。お前さんは自分の家のことがあるだろう。夕飯はわしが作るから……」
「大丈夫よ。先に下ごしらえはしてきたし、息子も嫁も自分たちでやれるんだから。あなたたちの方が私は心配だわ」
マーサは笑いながら台所へ向かい、ニースも手伝おうとマーサについて行った。ニースに誤魔化され、マシューは心配に思いながらも、詳しく聞く事が出来なかった。
その晩は、マーサの特製ミートパイが食卓に並んだが、ニースはいつもより食べられなかった。
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